金曜日, 12月 30, 2011

娘との会話

「今日?うん、行ったよ」
「え、またコーナン行ったの?」
「おぅ、当然やろ」
「何が当然なん?」
「だって、昨日行ってないし」
「え゛~!一昨日行ったじゃん」
「だから、昨日は行ってない」
「意味わからんし。毎日行く必要無いやろ!?」
「毎日行くでしょ、コーナン」
「なんで?」
「なんでって何やねん」
「だから、どーして毎日行くわけ?」
「お前、なんで毎日ご飯食べるん?」
「いやいやいや、それとこれとは違うから」
「違わんやろ」
「ご飯食べな死ぬやん」
「ほらね」
「何が「ほらね」や!」
「やっぱり毎日やないとあかんやろ」
「いやいやいやいや・・・」
 :


こんなこと言いあいながら、、、
毎日を積み重ねていって、、、
そのうち寿命が尽きるんやね。

火曜日, 12月 27, 2011

冊子版まえがき

この小話集は、放牧地にしようと荒地を切り拓いていた頃、刈っても刈っても生い茂ってくる雑草に絶望し、ともすれば折れそうになる心を慰めようと、ブログに書き留めていたものです。

うそ。

本当は、戯れに書いた第一話が当時4年生だった娘にウケたので、調子に乗ってシリーズ化しただけです。2004年3月~同10月に渡る長期の連載となりました。

感動も涙もありません。ファーム侵略を企む雑草軍をみわファーム防衛軍が迎え撃つという荒唐無稽な筋書きの、実は単なるメンバー紹介です。

個人的には、本当に自分たちにファームなんかできるのか?という不安と、身の回りの何もかもが新鮮だった気持ちの入り混じった、当時の複雑な感覚が蘇ります。
と同時に、すでにいなくなったメンバーが多く、切ないような痛いような心持ちにもなります。

読んでも読まなくてもいいが読まない方がいくらかまし、というくらいの駄文ですが、作者の感傷に免じて一読いただければ幸いです。

2011年12月14日
みわファーム まろ

土曜日, 12月 17, 2011

掛布団と敷布団の闘い

居間のTVの前にリクライニングチェアがあって、そこにでれぇ~っと仰向きになって家政婦のミタなんぞを鑑賞するのが、至福の時である。

最近、その態勢に入ると、どこからともなく猫が姿を現し、腹の上によじ登ってくるようになった。
寒いからだろう。
身体を固められて動けなくなるのは迷惑だが、掛け布団の代わりになるので、ありがたいっちゃーありがたい。

でも、勝手なときに動いていなくなってしまうのが難点で、そんなときは「掛け布団のくせに動くなっ!」と心の中で毒づいている。
向こうは向こうで、「敷布団のくせに生意気な」とでも思ってるかもしれない。

そうやって火花を散らしながら、ずっとくっつきあっている。

木曜日, 12月 15, 2011

復刻みわファーム戦記

何のお導きか、新年早々、小さなギャラリーで展示会をすることになってるのだが、肝心のコンテンツが揃わない。

こーなったらもう、全裸の覚悟で見せられるものは何でも見せようじゃないかということで、昔、ファーム開設時に書いた「みわファーム戦記」というブログ記事を、小冊子にすることにした。
ファーム侵略を企む雑草軍をみわファーム防衛軍が迎え撃つという筋書きの、実は単なるメンバー紹介である。

当時、刈っても刈っても繁茂する雑草に深く絶望し、折れかけた心を励ますために執筆した、、、というのはウソで、たまたま第1話が小学4年生だった娘にウケまくったので、気を良くしてシリーズ化しただけである。
それでも、最終話など拓けた放牧地に立つ男の背中が目に浮かぶようで、期せずして優れた叙事詩になった。

7年の時を置き、その記事が冊子化されるというのは感無量である。
冊子化するのは自分だけど。。。

水曜日, 11月 30, 2011

誕生日

さん。

11歳、男。

今年は、胃捻転と原因不明の高熱で、3回も危機的な状態に陥った。
幸いにもその都度自力で立ち直ったが、さすがの強健男も、寄る年波には勝てないということか。。。

しかし今、体調の戻った彼は毛艶も良く、ファームの誰よりも健康に見える。
張りのある大声で、「メシ!」「水!」「庭に出せっ!」と喚く。

あと100年生きろ。

日曜日, 11月 13, 2011

架空の動物の話

大きさは小さめの猫かモルモットくらい。
全身ふわふわの柔らかい毛に覆われていて、手足短く、ぱっと見単なる毛玉のようである。
名前を、仮にマルモクルとしておく。平均寿命約10年。

一番の特徴は、魂が高貴だということ。
あまりに高貴なので、世俗のことにはまったく興味が無く、したがって一生のほとんどを寝たままで過ごす。
もちろん、食事や排泄といった下世話なことはしない。
半覚半睡のまどろみの中で、ずっと、「世界で一番美しいもの」を夢見ている。もちろん、夢の内容など誰にもわからないが、それくらい寝姿が可憐だということだろう。
飼い主はその寝姿を眺めるだけで満足できるらしく、ペットとしても大人気である。

そのマルモクルが、一生に一度だけ目覚める時がある。
それがいつ来るかは、誰にもわからない。
ある日突然、独特の「キュッ」といううめき声とともに欠伸をし、短い四肢を思い切り伸ばす。
しばらく寝ぼけマナコで周りを見渡したりしているが、特に気を惹くものが無ければ、そのまま再び眠りについてしまい、もう二度と起きない。
その間、ほんの数十秒。
だから、一度も起きたところを見たことの無い飼い主が過半数を占める。

幸運にもその場に居合わせた人は、できるだけ覚醒時間を長引かせるよう、まさにこのときのために用意しておいた名前を連呼する。
「おはよう、ルディ、気分はどう?、ルディ、ルディ、元気そうだね、ルディ、私がママよ、、、」

そうやって語りかけて興味を惹きつけ、10分ほど起こしておくことができれば、再び眠りに落ちる直前、それまでに夢の中で作り上げた「世界で一番美しい」表情をしてみせるという。
これが、俗に言う「天使の顔」である。
それを見た人は、もうその場で死んでもいいと思うくらい、幸せな気持ちになれるという。

マルモクル、、、その生態は謎に包まれたままである。

木曜日, 11月 10, 2011

田舎暮らし

新聞の宅配が無い。
毎朝、歩いて3分ほどのところにある集配所に取りにいかないといけない(アメリカみたいでカッチョイイ、、、こともないか)ので、1日外出しなかった日は新聞を読まないこともしょっちゅう。
それで別に困ることもない、というところが、また田舎らしい。
当然、牛乳の宅配も無い。

宅配ピザも無い。
市街地に出ればPizza Hatがあるけれど、余裕で配達区域外だ。原付だと、信号に引っかからなくても30分かかってしまうからだろう。

近所の小学生にどこに行きたいかって聞くと、元気良く返ってきた答えが「ジャスコ!」
泣かせるじゃないですか。
イマドキの子供が、USJでもジョイポリスでもなく、ジャスコですよ。
近くには古びたスーパーしかないから、おそらく、彼が知ってる一番ごーじゃすな施設なんやね、きっと。
うん、君はこれからの人生で、もっと楽しいことに一杯出会うと思うゾ。

そのかわり、ホームセンターはすごい。
車30分圏内に10軒はある(コメリ×3、コーナン×2、ジュンテンドー×2、プラント、ミドリ、ストック、、、)。
商品はどこも似たり寄ったりだが、それでも、通い慣れてくると違いが見えてくる。
コメリは農業資材に強くて、コーナンはDIYに強い。ジュンテンドーは地元に根強い人気があって、ミドリはツールがプロ向き、プラントは品揃えがイマイチだが安い、、、とか。

ホームセンターを縦横無尽に使いこなすことが、今の田舎暮らしのコツかもしれない。
 

日曜日, 11月 06, 2011

秋を愉しむ?

このところの暖かさで、ハエやらブヨやらが大量発生している。
馬の世話をしているときに何かに右目の瞼の上を刺されたらしく、夜にはぷっくりと膨れてきた。
西田敏之の落武者にそっくりだとHiroは言うが、自分的には何だか外人の渋い表情になったようで、カッコエエやんけ・・・と思ってしまった。鏡に向かってニヤリとすると、悪役演じるトミー・リー・ジョーンズみたいな。。。
このまま、ずっと腫れたままだったらいいのに。

そんな話はどうでもいい。
言いたかったのは、暖かくても秋は秋、ということ。

先日は、近所の人に誘ってもらって、落ち鮎漁というのに一緒させてもらった。産卵のため下流の浅瀬に戻ってきた鮎を網に追い込んで採る。
落ち鮎は、旬のやつに較べて色が黒くなって、身も緩くなっているが、食べてみるとあの清々しい苦味は健在だ。たまに卵も入っていたりで、これはこれで大層な美味。まったく鮎ってやつは、どこまでエラいんだ。

いや、この話もどーでもいい。

秋を堪能する一番の方法は、椅子を庭に放り出し、日差しを浴びながら心を平らかにすることである。
光の粒子を眺め、落ち葉の香りを胸に吸い込み、鳥や動物の気配に耳をすます。

すると、乾いた空気を切り裂くように、パシィィィンという乾いた音が響く。

。。。またですか。。。

もう見に行かなくたってわかる。
馬が放牧地の外に首を伸ばそうとして、柵の横木をへし折ったのだ。
最初は音にビックリして飛びのいてたくせに、今はすっかり慣れてバキバキと柵を壊して草を食んでいる。柵は構造物というより、もう、被災地の瓦礫みたいになっている。

そこまでされても、全然腹は立たない。
心が平らかだから。
問題は、修理しようという気力も沸いてこないことである。
 

木曜日, 11月 03, 2011

また、おわかれ

う、小松左京氏に続き、北杜夫氏まで、、、

訃報に接してショックを受けるのは、大抵は若かった頃に親しんだ名前だけれど、これまでは政治家や(老)俳優が多かった。それが作家さんたちの年代になってきたということやね。
ってことは、これから、(若い頃ファンだった)スポーツ選手やアイドルの訃報が増えていくんだろうな。
やだなぁ。。。

最初に読んだのは、マンボウシリーズでも楡家の人々でもなく「怪盗ジバコ」。
確か中一の頃、B型の友達が「これ、おもろいで」と貸してくれた本にまんまとハマッてしまった。それまで、本といえば課題図書とドリトル先生くらいしか買ったことがなかったのに、それからは、北杜夫のコーナーを目指してせっせと本屋さんに通うようになる。
さんざん悩んで単行本(さびしい王様)を買った直後に文庫本が発売されるくやしさも、初めて経験した。

名著の呼び声高いどくとるマンボウ青春記では、旧制高校という別世界があったことを知った上に、作者に感情移入して懐かしさをを感じるまでになってしまった。自分の10代(おお、恥ずかしい)はどちらかというとドライで平坦だったけども、本当の青春(ああ、恥ずかしい)は本の中にあったのかもしれない。

もう一度読み返したくなって本棚を探したけれど、なぜか青春記だけ見つからなかった。
申し訳ないような、さびしいような、落ち着かない気持ち。
ご冥福をお祈りします。
 

月曜日, 10月 31, 2011

ユビキタスもなか

夜、PCを開こうとすると、、、その上に猫が寝そべっている。
デブい肉体が弛緩しきって、ノートPCを覆うように拡散している。
その平和な様子を見ていると、とても邪魔する気にならない。

そうですか、と、トイレに行ってから最近導入したリクライニングソファでテレビを観ようとすると、、、もうそこで猫が箱座りしている。
「私、ずっと、ここにいてますけど?」
何となく、起きている自分が虚しくなってしまう。

寝室に行くべと階段を上がっていると、その脇をすごいスピードですり抜けていく。
踊り場で4輪ドリフトするくらいの勢いだ。

ベッドにたどり着くと、案の定、ヤツはそのど真ん中で毛繕いをしている。
「ん!?」と顔を上げ、何か不思議なものに出会ったかのようにこちらを見つめている。

わかったよ。
お前は俺の行動を全部お見通しなんだよな。

もしタイムマシンに乗ってビッグバンを見ることができたら、、、きっとそこには猫がいると思う。
「んっ!?さっきからここに居てますけど?」

日曜日, 10月 23, 2011

感謝の気持ちが足りないぞ、と

ほんの2週間ほど前まであれほど忌み嫌っていたシャクネツ様が、今はもう恋しい。

考えてみれば夏の間って、ほとんど短パンTシャツで服を選ぶ手間が省けるし、部屋を暖める必要は無いし、あんまりお腹も減らないし、陽が長いから作業を焦らなくて良いし、昼寝してても怠惰に見えないし、冷えたビールさえ思い浮かべれば一日頑張れるし(これはウソ。お酒飲めないから)、、、要は生活が少しずつシンプルになって、大体において楽なんだよねー。
どうして、暑いときって暑さを呪うばかりで、そのことに思いが至らないのだろう。

それにあれほど恋焦がれていた秋冬が、ちょっぴり朝夕が冷え込んできたりすると、何となくもううざい。
そう、手足泥だらけのまま満面の笑みで駆け寄ってくる犬のように。

そうだ、こーゆーときこそ真夏の辛かったことを思い出して、今の気候を愉しむのだ!、、、と思っても、うんざりするほど経験した蒸し暑さが、どうしても体感として蘇ってこない。
「喉もと過ぎれば熱さ忘れる」というのは本当に言い得て妙である。

なんて愚にもつかないことを書いてる間に、外はもう陽が傾いている。
暗くなる前に動物たちの世話しないといけないな。
ああ早く夏が来ねーかなぁ。
 

金曜日, 10月 14, 2011

ヤギの罪

ファームの放牧地に野生の栗の木が2本生えている。

メメちは、その栗を好んで食べる。
もちろん、木に生ってるのは届かないから落ちたのを食べるのだが、皮膚が強力なのか、単に鈍いのか、あの棘々のイガを鼻先でこじ開けて中身を食べる。
おかげで、以前は放牧地をぶらつくついでに栗拾いができたのに、わざわざ脚立を運んできて実を落とさないといけなくなった。

そういえばメメさん、タケノコ(の先っちょ)、たらの芽、ワラビ、栗、柿の実などなど、人が楽しみにしている自然の恵みを、ことごとく胃の腑に納めてしまう。ファームに来た当時はそれらに見向きもしなかったから、もしかして、人間にイヂワルしてる?
家畜たちのおかけで、イノシシや鹿の被害は出ないが、身内に害獣がいるとは。。。

本当はメメだけでなく、オスヤギのトトも同罪なのだが、彼は最近、腰麻痺に骨折という二重苦に見舞われて、ヨレヨレになっている。
さすがに、そんな彼を悪しざまに書くことは憚られるので、今回はスルー。
早く元気になっておくれ。
 

火曜日, 10月 11, 2011

私は食物を通す一本の管

この2日間というもの、村恒例の芋煮会がありーの、勝手知ったる気安い友だちが集まりーので、ほとんど間断なく食べ続けた。
そしたら、昨日の夕方から今朝にかけて、10分おきくらいで間断なく○ンチが出た。

なんというわかりやすい身体。

脳みそもつるっつるになったような気がする。

水曜日, 10月 05, 2011

もなかのか

あまり爪を使わないせいなのか、すぐ歯を使おうとする。

もちろん全部甘噛みなのだが、二の腕とか、手のひらとか、腹とか、足裏の土踏まずとか、やわらかいところを好んで「かぷっ」とやるから、かなり迷惑である。
今の今まで撫でられてゴロゴロしてたくせに、いきなり抱え込みの態勢に持ち込み、猫キック&がぶがぶ攻撃に入る。苦笑するほど後ろ足が短いので、キックの威力は乏しいけれど。

この猫、基本的にいつもエサを催促していて、エサ入れの置いてあるキッチンの上に陣取り、通りすがりの家人を捕まえようとする。
キッチンの脇を歩いていると、横からサッと手が伸びてくる、、、うちはまだ良いとして、たまに、首を伸ばして手や服にかぶりついてくる。
お前はカミツキ亀か!?

とゆーことで、、、もなかの"か"の字は「カミツキ亀」の"か"。
 

 

日曜日, 10月 02, 2011

もなかのな

シャイな猫は、見知らぬ人間が来るとどこかに隠れてしまって金輪際姿を見せないものだが、ヤツは必ずといっていいほどしゃしゃり出てきて、積極的に交流を図ろうとする。

ゲストの中には、猫嫌いや猫アレルギーもいるし、「近くにいるのはかまわんが、食卓に乗るのは絶対許せん」という人だっている。だから、ゲストを迎えたときは、とりあえずドアを閉め切って部屋に入ってくるのを阻止するのだが、間髪入れず、壁の向こうからカリカリという擦過音とともに「なーなー、入れてーなー」という声が聞こえてくる。

庭に出たときは、ガラス戸をきちんと閉めたかどうかを、まず第一に確認する。ヤツを庭に出してしまうと、デッキの下にもぐり込んで大変面倒なことになるからだ。
しょうがないから彼は、ガラスの向こうからじっとこちらを見つめている。さすがに退屈だろうと思うのだが、たまに虫をいたぶったりして暇をつぶしている。最初はそれほど気にならないが、1時間も2時間もそうやって居られると、なぜかこちらの気持ちが落ち着かなくなってくる。

そんな風に、いつも自分を最大限露出する上に、ぼてっとした存在感が尋常じゃないので、ほとんどのゲストはヤツの相手をせずにはいられない。
ほんと、すみませんねぇ。

人間嫌いの猫は素気ないけれど、人懐っこすぎる猫というのも、それはそれで面倒くさい。

てなわけで、、、もなかの"な"の字は「なじみすぎやろ」の"な"。


 

土曜日, 10月 01, 2011

もなかのも

このところ、ちっちゃい男はすごく食欲があって、ドンドンでかくなっている。でも、いかんせん猫は猫なので、ファームの中ではやっぱり"ちっちゃい"男のままである。

自分の猫歴を振り返ると、実家にいた頃も含めて、これまで8匹の猫と暮らしてきたことになる。8匹目がちっちゃい男なわけだが、文字通り"はち"切れんばかりの身体である。なんちて。。。

そのもなか、最近は首回りの毛が伸びて、たてがみとゆーかエプロンみたいになってきた。
見ていると、そのエプロンを毛繕いするのが大仕事である。
普通は首を軽く上下させれば用が足りるのだが、ヤツの場合、一旦前に折った首を、ラジオ体操第二の胸の体操のように目一杯後ろに反らさないといけない。毛が舌に絡みついて取れないのだ。

そんな過酷な運動をしてるのに、一向に痩せる気配は無い。
猫っ毛だけに腰が無くなるのでしょうか。なんちて。。。

というわけで、もなかの"も"の字は「もしゃもしゃ」の"も"。


 

火曜日, 9月 27, 2011

静養と睡眠

シャクネツ様が(というより稲刈りが)一段落すると、恒例の道造り。
春と秋に1回ずつあるのだが、春は溝掃除くらいなのに対し、秋は、好き放題生い茂った雑草/雑木刈りという大仕事がある。

いつもは適当に手を抜くのに、今年はうっかり頑張りすぎてしまった。
案の定頭と喉が痛くなり、午後一杯、ごろごろと静養するはめになった。
その夜は用心して早めにベッドに入ると、あっという間に眠ってしまい、そのまま10時間寝た。

翌朝、すっかり回復したので、懸案だった畑作りに取り組むことにする。
鋤で土を掘り返していると、10分ほどで両手に豆ができて血がにじんでしまう。
仕方が無いので静養していると、そのまま寝入ってしまい、目が覚めると夕方。。。

何だか、静養と睡眠ばかりしているような気がする。
明日こそ、寝ないで頑張る。
 

日曜日, 9月 25, 2011

死闘ズッキーニ

名前をド忘れするのは切ない。
人の名前だとバツが悪いし、物の名前で実害が無いときでもすごく気持ち悪い。
相性の問題だろうか、何度でも忘れることがある。

今日ド忘れしたのは、野菜の名前。
見た目きゅうりで、油で炒めたらおいしい、ほら、、あれ、、、

匂いや味までめっちゃイメージできてるのに、名前だけ出てこない。
頭の中で記憶と格闘していると、なぜか浮かんで来るのは「マクガイア」。
たぶん、まくわ瓜からの連想だろう。
何だよマクガイアって、野菜だよ野菜!と自分を叱咤していると、今度は「キューカンバ」がしゃしゃり出てくる。
その2つが交互に邪魔するので、どーしても肝心の名前にたどり着けない。

結局、自力更生をあきらめてHiroに訊ねてしまう。
この瞬間が、何とも言えずくやしい。

と、歯噛みしていたのは朝だったのに、夕方にまたマクガイアと格闘する羽目に...
1日に2度忘れるとは、宿命としか言いようが無い。
ズッキーニめ。
 

月曜日, 9月 19, 2011

朋有り、遠方より来たる。亦た楽しからずや

昔の職場の友人たちが、はるばる関東から駆けつけてくれた。
あいにく残暑厳しく、動物たちを引っ張りまわすのも気が引けたので、舞鶴のとれとれセンターや天の橋立など、もっぱら日本海観光に勤しんだ。
皆さん泊まっていってくれたので、ゆっくりと歓談することができた。

それにしても、「話が通じる」というのは心地良い。
この地に来て8年目になるが、実はいまだに土地の人のことばがうまく聞き取れずにいる。話の中に出てくる固有名詞(知合いの誰それとか、農業関係のテクニカルタームとか)がわからないし、そこにお酒が入って話題があっちこっちに飛び出すと、もう最初から終わりまでコテンパンに理解できない。
で、アルカイックスマイルを浮かべて静かに佇むことになる。

よく、仕事が捗らない理由として「会議が多すぎる」というのがあるが、これは事の順序を取り違えるから生じる不満であって、本当は「会議をするために」仕事をひねくりだしてるのだろう。オレらは。
「仕事」という共通の土台があれば、とりあえず、話を通じさせようと皆が努力するからね。元来、コミュニケーション下手な"オレら"でも、何とか場が持つ。

あれだけ憂鬱だった打合せが、今はもう懐かしい。
 

月曜日, 9月 05, 2011

Wキッチン

京都府の条例では、飲食業をするためには、業務用と自宅用のキッチンを分けないといけないので、ダイニング・エリアにキッチンを増設した。さらに業務用のシンクは最低2つ必要なため、今、シンクは全部で3つもある。

最初はムダだなぁと思っていたが、3ヶ月ほど使ってみると、案外、使い勝手が良いことに気がついた。
洗い物の食器を残したまま料理をするのは怠慢かもしれないが、食後にきっちりと食器を片付けるのも、毎度となるとそれはそれで気が重い。そんなとき、複数のシンクがあると、"生活に疲れた"感をそれほど出さずに、楽をすることができる。忙しいときは2人で料理することもできる(あまりやってないけど)し、ちょっと食材を置いておくのにも便利である。

もちろんスペースは必要だが、食器洗い機やオーブンを揃えるだけでなく、「ムダに広いキッチン」の効能を想像してみるのもいいかもしれない。
コンロの上で猫が寝ていても逆上せずにすむ、というのも大きい。
 

日曜日, 9月 04, 2011

泥犬と堆肥馬

犬たちが信じられないくらい汚れている。
台風のせいで、屋根付きの犬エリアまで雨が吹き込むからだ。

一歩足を踏み入れると、泥団子たちが満面の笑みで駆け寄ってくる。
「お前も泥だらけになれ~!!」
気のせいか、普段よりボディアタックが激しい。

彼らの汚れ具合を見ていると、もう2度と元には戻れないと思うのだが、不思議なことに、地面が乾く頃には普段の外見に戻っている(うちの犬は、決して「キレイ」にはならないけど)。
洋服だったらそうはいかないから、やっぱり動物の毛というのは、優れものだ。

泥団子どもの次は、堆肥パックした馬の世話だ(オリバーは、堆肥エリアでゴロゴロするのを日課にしている)。
雨の日はユーウツ。
 

土曜日, 9月 03, 2011

おわかれ

SF作家の小松左京さんが亡くなられて一ヶ月過ぎた。

中高生の頃、氏の作品を随分と読んだ、とゆーより、溺れるように読みまくった。
さっき本棚を数えてみたら、文庫本ばかり43冊もあった。失くしたのもあるだろうから、50冊近くは読んだことになる。
これだけ大量の作品に接していると、文体だけでなく、作者の感じ方や思考パタンまでわかった気になる、、、というのはウソだけど、どこか身近なオジサンという感じしてくる。ありえないくらい物識りなオジサンだけど。

特に好きだったのは「継ぐのは誰か」とか「復活の日」といった骨太の長編作品。
何度も読み返してクタクタになったそれらの本を開いてみると、あちこちにソースのシミや鼻毛の標本がついてたりして、その頃の生活が匂い立つようである。
慣れ親しんだ文章の一つ一つが本当に懐かしい。
ご冥福をお祈りします。

氏の作品をほとんど読み終えた頃、今度は筒井康隆さんに入れ込むことになる。
たまりたまった所有本が80冊。
こーなると、好みというより一種の嗜癖なんでしょうね。
 

木曜日, 9月 01, 2011

しえすた

シャクネツ様のご機嫌を損じないためには頭を低くする、、、つまりは寝るしかないやろ、ということで、このところほとんど毎日、昏倒するように午睡している。

それで一番暑い時間帯をやり過ごし、あと数時間をネットやテレビで紛らわすと、夕方からはちょっぴり涼しい風が吹いてくる。
人間らしさを取り戻すのは、夜になってからである。

でも、でも、、、その夜も11時を過ぎると頭がぐらぐらするくらい眠い。
人間らしさを取り戻す前に、人間をやめた方が良いかもしれない。
 

金曜日, 8月 19, 2011

気に食わないやつ

つきあいが10年にもなる知り合いがいる。
あまり数の多くない男友達の1人、ということになるのだが、正直、どーも苦手だ。

別に悪い男じゃないし、イジワルをされたわけでもない。
どこがどうとは言えないのだが、普通に挨拶してるだけで、ついイラッとしてしまう。
相手もそう思っているようで、こちらを見る視線が微妙に険しい。
じゃあつき合わなければいーじゃん、と思われるだろうが、世の中そう簡単に割り切れるものではない。
お互いぎこちない気持ちのまま、今も結構頻繁に顔を合わせている。

最初の頃はそうでもなかった。
ツーカーの間、、、とまではいかなくても、むしろ話せばなんでも分かる相手だと思っていた。
それが、いつからだろうか、表面だけを取り繕うような関係になってしまった。

いや、わかっている。
きっかけは、あった。
5年ほど前、用事が終わって立ち去ろうとしたとき、こちらからかけた声を、男が無視したのだ。
完全に声が届く距離だったのに、なぜか聞こえないフリをしやがった。
そして、そこから10歩ほど進んだとき、男はひょっこり振り返り、声を出さずに口だけ動かしてこう言った。
「ば~か」
それ以来、私は人が信じられなくなってしまった。

その男は今も私の横にいる。
クソ暑い中、わざわざ身体をくっつけて、はっはっと喘ぎながら。
 

土曜日, 8月 13, 2011

疑問

なぜ音楽を聴くと心地良いのか。
それも、万人が魅了される曲とそうでもないのがある。ほんのちょっとの違いなのに。
これまで無数の曲が作られて、今もガンガン作られている。
その原動力って?

どうして人は、特定の造形を「格好良く」感じるのか。
なぜそれが、マジョリティで共有できるのか。
規則性があっても無くても、極彩色でもモノトーンでも、格好良いものは格好良い。
その条件って?

どうして人は、自然を観て「美しい」と感じ「癒される」のか。
どうして、動物に魅了されるのか。
クラゲや雲を何時間も眺めてなぜ退屈しないのか。

快の原理って何なんだろう?
生命維持?種族保存?自然律との同調?
わからん。。。
 

木曜日, 8月 11, 2011

夏のシャクネツ様

ファームにおわす荒ぶる神のシャクネツ様は、それでも、午前中はまだご機嫌麗しゅうあられる。
軽い畑作業や掃除くらいだったら、ちょっと息苦しくなる程度で見過ごしてもらえる。

午後になると、苛烈な本性がむき出しになる。
禁を侵して草刈りなどしようものなら、たちまちのうちに天罰下り、"パンツまでどろどろの刑"に処される。
たとえ室内で謹慎していたとしても、少し頭が高いというだけで激怒される。

だから昼から夕方にかけては、ただひたすらゴロゴロと横たわり、お慈悲を乞い願うしかない。
それでも昨日なんかは、夜になっても鎮まる気配もなく、無力な民は完璧に叩きのめされた。

だから、、、

一日をただ無為に過ごす私を、非難しないでください。
これは神のご意思であるからして。
 

月曜日, 8月 08, 2011

感慨

うちの犬は、頭をなでられるのが好きだ。

最初からそうだったのかどうか、わからない。
犬同士ではそんなことしないから、別に気持ち良いわけじゃないんだろう。

でも今は、自分からぐいぐいと頭を手のひらに押しつけてくる。
何度もされてるうちに、好きになったんだろう。

そんなことを思いながら、両手で犬の頭をこねくり回している。
 

土曜日, 8月 06, 2011

夏との闘い

見事な攻撃だ。

「かかって来いや!」とこっちが気合を入れてるとき(先週くらいね)には手を抜き、「何やその程度か」と油断したとみるや、嵩にかかって攻めてくる。一度、気を緩めてしまうと、態勢を立て直すのは至難の業だ。

そんなわけで、暑さに負けて、部屋でごろごろしている、、、ってゆーか、頭が持ち上がらん。
でも温度計を見てわが目を疑った。どー見ても30度をちょっと越えたくらい。
体感的には、優に35度は越えてるのに。

そういえば、一昔前は「熱射病」と言ったが、今はもっぱら「熱中症」である。
確かに後者の方が、"熱が体内にこもるのが危険"的な感じがあるし、"室内でも安心できない"といったメッセージ性まである。
でも、逆にそういう言葉があるから、余計に暑さに弱くなった気がする。

放牧地では、馬も羊も日陰に入らず、日差しの下で突っ立っている。
彼らに「熱中症」という言葉を教えたら、その場でぶっ倒れるんじゃないだろうか?
 

木曜日, 8月 04, 2011

その後・・・

下で「焼却処分にした」と書いたが、実は、外に放置してある古い風呂釜に投げ入れ、上からゴミを燃やして逃げ帰ってきただけ。

Hiroは「ちゃんと確認した?」なんてしらっと言うけれど、そんなこと、できるわけがない

だって、もしネズミがシートから外れかかってて、そこに火がせまってギャーッって暴れたはずみに自由になって、手から顔に駆け上がって、恐怖で開いた口の中に逃げ込んできたりしたら。。。

あるいは、てっきり死んだと思っていたヘビが、火の中でビクビクうごめいてたなんて光景を目撃でもしたら。。。

とても、正気なんか保っていら、、、んのにテレビを見るなって言っただれた皮膚が張りついったーなんかやってられメルヘン喫茶のはかばかアルパカってつもげらるもf差ヒアhlい、、、、、、れんじゃないですか!?

もう3日したら、確認しに行きます。
ああ、でも、、、もしかして、、、
 

水曜日, 8月 03, 2011

気色悪さをおすそ分け

田舎暮らししてるくせに、ヘビとムカデとネズミとゴキブリが嫌いだ。

共通点は、遭遇したり追い詰めたりすると、ワサワサジタバタ動くこと。
こっちに向かって逃げたり攻撃してきたりするのを、肌感覚で想像してしまって、気を失いそうになる。

これまでネズミは全然嫌いじゃなかったのに、倉庫で頻繁に出くわすようになって、心理的アレルギーの閾値を越えてしまった。

それがさ、昨日、倉庫に仕掛けたネズミ捕りシート(ゴキブリホイホイみたいにくっつくヤツ)に、でっかいネズミとヘビの子供が一緒にかかったのさ。
ひぇ~っ!!
気色悪×気色悪=えげつのぉ気色悪。。。

それをHiroさんてば「あばれても剥がれないように」シートを2つ折にしてギュッと押さえたりするもんだから、まだ元気なネズミがちゅうとか鳴きながら必死でもがいて、もう、死ぬほど気色悪い。
シートの外に出た尻尾がビクビクしてるし。
ヘビなんかその横で変な形でくっついてて、生きてるのか死んでるのかもわからんし。

そこで気力が尽き、やむなく一晩放置したブツを、今朝、焼却処分にしました。
泣いてはいませんが、まだ、呼吸が荒いです。
お願いだから成仏してください。
 

火曜日, 8月 02, 2011

大事なキーワード

特にすることもなかったので、戯れに「週刊たくボ」でぐぐってみたら、最初のページにここの記事が7つほど表示された。そのトップに来るのが、「人間にはわからない動物の感覚」である。たぶん、下の文章に含まれるキーワードが、結構頻繁に検索に引っかかったのだろう。

「もともと短い体毛がぴったり身体に張り付いて、もう全裸より裸みたいだ。 これ以上、肉を付けたくないのに、ああダメ、草に鼻を突っ込むとつい貪り食ってしまう。 もーいやっ!」

偉大なり、エロスの神。
しかし、その気で検索してここにたどり着いた人はムカついたやろね。
 

土曜日, 7月 30, 2011

誰がうるさい?

普段、同極の磁石のようにちっちゃい男から距離を置いているサンだが、なぜか今日は寄り添うように寝ている。
理由は単純で、遠くで花火が鳴っているからだ。
この男、身体はでかいくせに、音にはとても敏感である。

身体がでかいと言えば馬だが、これも音に弱い。
夕方、最初の「ドーン」が鳴ったときに、2頭同時に飛び上がりやがった。
たまたま近くで作業していたので、マジ、ビビッた。
どーもファームでは馬>犬>猫の順で臆病なようで、肝っ玉と身体の大きさは反比例するようだ。

しかし、、それにしても、、つくづく、、、人間という動物は騒がしいと思う。
今も、遠くからは祭囃子が聞こえてくるし、お隣では刈り払い機が唸ってるし、テレビでは松岡修造が叫んでいる。
そうそう、誰か松岡修造を止めてくれないかな。
 

 

木曜日, 7月 28, 2011

栄養が足りない?

「緑のカーテン」ばやりで、街では大量の自家製ゴーヤが流通していると聞く。

ご他聞にもれず、ファームでもプランターに苗を植えた。
一番避暑対策が進んでいる犬エリアに、さらにカーテンを追加してやろうという、神よりも慈悲深い行為である。

そのゴーヤ、ようやく実が収穫できるまで育ってきたが、どうも元気が無い。
ちょっと日差しがきついと、すぐに葉が萎れてしまう。
カーテンというよりは簾である。

そんな情緒はいらないから、いやらしいほど茂って欲しいのに。
 

木曜日, 7月 21, 2011

たこ焼き焼き

昼の1時から夜の9時頃まで、ひたすら、たこ焼きを食べ続けた。

ポリバケツに一杯あったから、生地は10リットル?
特に変化をつけるわけでもなく、たこ、天カス、紅しょうがを混ぜ込み、ソースと青のりとかつお節をかけた、最初から最後まで正統派のたこ焼き。
外カリ中フワの焼き加減が絶妙で、んまい!
眼光鋭い父子鷹の焼き師によると、「大体1000個は焼いた」んだそうである。

それを4家族9人で食べ尽くした。
台風前の蒸し暑い日に。
屋外で大汗かきながら。

齢も50を過ぎたが、これで、ことたこ焼きに関しては悔いを残さず死ねる。
食べ切れなかった分をパックに詰めて、次の日も朝から食べたからね。
 

土曜日, 7月 16, 2011

他の言い方無い?

先日、友人が運営しているギャラリーにお邪魔してきた。
数年前からずっと行きたかったんだけど、聞き分けの無い動物たちを残して、なかなか訪れる機会を作れずにいた。

市街地真っ只中のビルの一室にある、手作りの小さなギャラリー。
ちょうど、グラスアート展が開催されていて、足の生えたかわいらしいコップなどが、5メートルほどの棚に陳列されていた。
あまりに居心地が良かったので、ついつい長居をしてしまいました。

よく「自然に触れて心身を癒す」と言うけれど、今の時期、ファームの生活は、蒸し暑くて、虫だらけで、臭くて、草むらにヘビが潜んでいて、猫がムカデと格闘していて、、、かなりストレスフル。
そういう生活にどっぷり浸かると、逆に、街の人ごみや空調が効いた清潔な部屋にこそ「癒される」思いがする。
人間ってややこしい。

それにしても、自分も含めて多分90%くらいの人は漢字も書けないのに、この言葉が氾濫しすぎている気がする。
もうちょっと、きめ細かく言葉を割り当てた方が良いと思う。
 
 

月曜日, 6月 27, 2011

あなぐらむ

飲食店の営業許可をもらうため、最近、キッチンを増築した。

さっきそこで洗い物をしてたら、突然ギクッとした。
一瞬、なぜかわからなかったが、すぐにシンク上のラベルが目に入った。
そこには、「ワークトップ・シンク」と書かれていた。

きっと、脳のどこかが「ワーキング・シープドッグ」と誤読したのだろう。
おそるべし、犬の呪い。
 

木曜日, 6月 23, 2011

不平等

この世には、、、



でっかくても邪魔にならないヤツと、




ちっちゃくても邪魔なヤツがいる。




どっちが罪深い?
 
 

土曜日, 6月 18, 2011

人間にはわからない動物の感覚

ねこ
猫の筋肉はぐにゃぐにゃのゴムのように柔らかい。
だから、ここという時のバネと瞬発力がすごいわけだ。
でも同じ姿勢を保ちたいときは、この柔らかさがアダになる。
日がな一日べちゃっと寝てるのは、眠いからとゆーより、じっと座ってられないからかもしれない。

にわとり
歯が無いので、大きい獲物を食べるときは啄むしかない。
そして啄むためには、獲物を一旦地面に置かなくてはならない。
手が使えないからね。
ここで、にわとりは苦悩する。
置いた瞬間に、そばで狙っているにわとりに横取りされてしまうし、くわえたままだと永遠に飲み込めないし。。。
実際、にわとりの群にでかいミミズなんぞを放り込んでやると、延々と追いかけっこをしている。


馬は自らの肉体を恥じている。
男たちの目を惹きつけて止まないムチムチバディを。
できればひっそりと隠れていたいが、身体がでかいからどーしても目立ってしまう。しかも大量に汗をかくので、もともと短い体毛がぴったり身体に張り付いて、もう全裸より裸みたいだ。
これ以上、肉を付けたくないのに、ああダメ、草に鼻を突っ込むとつい貪り食ってしまう。
もーいやっ!
 
 

水曜日, 6月 15, 2011

もなかのテーマ


もにゃにゃ もにゃにゃ もにゃもにゃで
もにゃにゃ もにゃにゃ もにゃもにゃよ
もにゃにゃ もにゃにゃ もにゃもにゃの

この世は私のためにある うっ!


 

日曜日, 5月 22, 2011

「許せないプログレスバー」選手権

5位:途中で止まったっきり、生きてるのか死んでるのかわからんやつ
4位:99%までさくさくっと来たのに、最後の一目盛りでじっくり待たせるやつ
3位:わりとスムーズに終わったと思ったら、次から次とまっさらなバーが出てくるやつ
2位:「残り*秒」って表示しといて、その後に一言の謝罪も無く「残り*分」に訂正するやつ

そして、栄光の一位は!?

1位:ずぅーっと進捗が無いので長期戦を覚悟したとたん、一気に100%になって消え去るやつ

...でした。

 

木曜日, 5月 12, 2011

猫的人間

子供の頃から家に猫がいて、不本意ながら、今も猫と暮らしている。
だから猫トイレとの格闘歴も長い。これまで試したのは、、、

1) トイレタイムに猫を外に出す。
2) 木箱に砂を詰める。
3) 市販の猫トイレに市販の猫砂。
4) 猫砂の代わりに新聞紙をシュレッダーにかけたやつを入れる。
5) その新聞紙を取り除いたやつ(猫トイレは網で2重底になっていて、下の箱に溜まった液体をトイレに捨てる)。
人間用の便器にさせるやり方もあるらしいが、自分では試したことが無い。

1)は自然で良いのだが、このご時勢、家猫を外に出すことは諸般の事情で難しい。(猫って一旦外に出すと、出たいときに出られないとうるさくてしょーがないしね)

2)と3)は臭気との戦いだ。
2)なんか手間を惜しんで5日も放っておくと、傍に寄っただけでアンモニア臭で涙が出るくらい。子供の頃、近所の公園で砂を交換していたのだが、今考えると、よく近隣住民から袋叩きに遭わなかったものだ。良い時代だったなぁ。

"たろ" と "はな" という兄妹猫を飼ったときは、すでにお給金をいただく身だったので 3)をやってみた。いろいろな猫砂を買ってきて試したが、どうしてもコスト高になるし、かといって使用をケチると強烈に臭う。「濡れたところだけが固まってトイレに流せる」という砂も試したが、せっかく固まったやつを、せっせと猫がほぐしてくれるから、やっぱり臭い。

その後、案外長く続いたのが、4)の新聞紙&シュレッダーだ。
これだって、こまめに換えないと臭うのは同じだが、コストは安かった(職場仲間に古新聞を分けてもらい、職場のシュレッダーを借用してたので)。2年くらい続いたかな?

これの難点は、2×10ミリくらいの紙片が、猫の足にくっ付いて部屋のあらゆる場所に侵入すること。それはもう本当に、ありとあらゆる場所に侵入する。
引越しをして、猫もいなくなって何年もしてから、スーツのポケットや衣装ケースやカバンの底から新聞紙が出てくると、笑えるというより、宇宙の神秘みたいなものを感じて厳粛な気持ちになったものだ。

今は、昔使った猫トイレに新聞紙を敷いて、その上に千切った新聞紙を散らしている。
特に理由があるわけでもなく、ただ何となくそうしている。
費用と効果を天秤にかけて「これがベストだ!」と力ようなむことが、もうできない心身になってしまっている。
そうやって、毎日、粛々と新聞紙を千切っている。

。。。というのが、猫という寄生虫に侵された人間の典型的な生活態度だ。
 

月曜日, 5月 02, 2011

ぐきっ!

足踏まれた。。。くらいで騒ぐのもどうかと思うが、相手が馬だと大事(おおごと)である。

馬の蹄には泥や糞や小石が詰まるので、ときどき、それらを掻き出してやらないといけない。バディ君はこれがおもしろくないようで、蹄を上げてるときに、わざとよろけた振りをして足を下ろす。
先日はこちらの位置取りが悪く、その蹄がもろに左足の指の上に落ちた。

よろけた振り、ということは、下ろした足に十分体重が乗っている、ということでもある。
確かに、身体の奥で「ぐきっ」という音を聴いた。
踏まれている間は足を引き抜くことなんかできないから、衝撃と痛みが持続する。
頭の中で「地獄」という文字が100個くらい炸裂した。

幸い、骨は大丈夫だったようだ。
それでも、踏まれてから3週間くらい経った今でも、触ると痛い。

本当は爪先に鉄の入った作業靴を履いて世話するんだそうである。
たとえ家畜でも、動物といるときは、油断してはいけない。
 

木曜日, 4月 28, 2011

寝比べ

(忙しくしてる人は腹が立つから読まない方が良いです)

昨日から体調を崩していて、朝から頭が痛かった。
起きられないほどではなかったが、万全を期し、用事を全部Hiroに押しつけてたっぷり休養を取ることにした。

起床してからもう一度ベッドにもぐりこむと、横に猫が来て毛繕いしている。
こいつも寝る気なのだ。
「そっちがその気なら。。。」
せっかくだから、この際、猫と「寝比べ」してやろうと思い立った。

2時間ほどぐっすり寝て目を覚ますと、猫も丸い背中を見せて眠り込んでいる。
先に起きた方が負けというルールなので、もう一度しっかり目を瞑る。
次に起きたときは12時過ぎ。
猫はますます深く眠りに落ち込んでいる。
タイムを宣告して、トイレに行く(トイレタイムは1日3回まで認められている)。

結局、そんなことをしながら、4時頃までベッドの中で眠ったり起きたりを繰り返していたが、さすが猫、1回だけトイレに行ったきりで寝続けている。しかも、横寝、頭抱え込み、へそ天、箱座り、大の字など、見るたびに違う技を繰り出してくる。
こちらは横寝と仰向けくらいでしか対抗できない。
しかも、体調が回復してくると、寝ていること自体が苦痛になってくる。

それでも、記念すべき第一戦は何とか引き分けに持ち込んだ。
しかし、猫は毎日これをやっている。
非常に手強い相手だ。
 

水曜日, 4月 20, 2011

2人の蜜月物語(15) -カイラの悪行-

この世には2種類の犬がいる。
失敗を学習して懲りる犬と、懲りない犬である。
賢明なカイラはもちろん前者だ。

以前、犬エリアに積んであるフードの袋を破って盗み食いした彼女だが、(食い過ぎて)気持ち悪くなって懲りたのか、それ以来、事件は再発しなかった(なんせ腹がカチカチになってたからね。その日の夕食は、睨むだけでついに食えなかった)。もちろん、こっぴどく叱られたことも、随分と堪えたのだろう。

しかし、歴史は繰り返す。

今朝、全員をフィールドで遊ばせていると、またしてもカイラが太って見えるではないか。
まさかっ!と腹をさすってみたが、普通に柔らかかったので、気のせいだろうということで一旦は落着した。

しかし犬エリアに戻ってみると、ケースに入れておいたフード袋が、大口を開けて横たわっている。
やられた。。。
中身をチェックすると、「少しだけ」フードが減っていた。

どうやら彼女が学習したのは、「盗み食いはいけない」ではなくて「食べ過ぎはよくない」だったようだ。
この図太さが、また彼女の魅力でもあるのだが。。。
 

火曜日, 4月 19, 2011

不自由なキーボード

今、このペキスポを打ち込んでいるパソコンは、アルファベッポの”S”の次の文字が打ぺない。だから、”S”の次の文字の代わりに”P”のキーを打ち込んでいる。読みにくくぺすみません。

なぜ、”S”の次の文字が打ぺないかぽ言うぽ、以前、犬がキーボードの上を走っぱぽきに、爪が食い込んで「パキーン」ぽキーラベルが剥がれぺしまっぱからです。

これはまろ家では珍しくない事故で、これまで、シフポキーや矢印キーが打ぺないパソコンもあっぱが、さすがに、”S”の次の文字が打ぺないぽ不便極まりない。そのせいで、週刊パクボの記事も激減しぺいる。

Hiroさん、新しいパソコン買っぺもよろしいでしょうか?
 

土曜日, 4月 02, 2011

ペース配分

夕方になるとようやく調子が出てきて作業がはかどるが、これからというときに日が暮れてしまう。
これじゃあいかんと午前中から頑張ると、午後がぐだぐだになる。

そうか、わかったと、そこそこのペースをキープしてたら、昼に睡魔に襲われてしまった。(そして負けた)

こうなったら、丸一日だらだらしてやる。
 

月曜日, 3月 21, 2011

どーでもいい話

最近,子ダヌキが出没している.
卵やエサの残りを狙って,フェンスで囲った鳥エリアに侵入してくる.
この前なんか産卵箱で寝てたから,侵入というより住み着こうとしてるようだ.
鳥たちもまったく平然としている.

人間が1mくらいまで近づいても逃げない.
毛が抜けててヨロヨロしてるのでついエサでもやろうかという気になるのだが,農家の人にとっては立派な害獣なのでそうもいかない.
「見つけたら殺してくれ」と言われている.
どうしたもんやら.

水曜日, 3月 09, 2011

野生動物のペット化

う~ん,知らなんだー.
ロシアの研究者が野生動物(キツネ)の家畜化実験をしていて,予想を超える成果が出ているらしい.→記事

50年間の選択交配で,人間に会うと「しっぽを激しく振り,仰向けに寝転がると,かまってもらいたくてハッハッとあえぐ」犬のような動物になったとか.彼らは人間の表情を読み取り,ときに犬以上の賢さを示すという.

方法は単純で,人間にフレンドリーな個体を選んで交配を重ねただけ.
しつけや訓練などは一切せずに,ヒトとの接触も最小限にしたとのこと.
130匹のぎんぎつねからスタートして,30~35世代で積極的にヒトの庇護と触れ合いを求めるキツネが100頭以上生まれた.

もっとびっくりなのは,気質だけでなく外見も変化したことで,尖って立っていた耳が丸くなり,単色だった被毛にぶち模様が現れ,体格が小さくなった.
つまりオオカミ→犬みたく,人間から見て幼く可愛い感じに「進化」したわけだ.
もちろん,もともと犬に近い動物だから,というのはあるだろうけど,それにしてもたったの50年でねぇ...

ネット上に写真発見(あれ?6年も前の記事じゃん).
キツネ顔のボーダーコリーかと思った...
 


家畜化に関与する遺伝子を発見することが研究の目的なので,もし成功すれば,多くの動物(人気のアライグマとか)の家畜化が可能になるかも.
いや,「ヒトの家畜化」だって可能かもしれないな.

そういえば噂を聞いたことがある.
実は日本でその実験が極秘で進められていて,ペット化の兆候が見られたサンプル群には,地域名と交配回数を組み合わせた〇×△48というコードネームが付けられている,,,な~んてね.

金曜日, 3月 04, 2011

2人の蜜月物語(14) -ずんどう姫-

ある田舎のお城で,中年の王子とカイラ姫が暮らしていました.

2人は誰もが認める公認の仲でしたが,誰にも知られていない決め事がありました.
王子に抱き上げられると,姫は身体を捻って王子の顔を舐めるのです.
こう言ってしまうと簡単ですが,横抱きされた状態で顔を舐めるには,相手側とは逆方向にぐぐぐぃと(約270°も)身体を捻る必要があります.
腰のくびれたナイスバディな姫でこそ可能な技でした.
王子はこれを「必殺エクソシスト舐め」と名づけ,密かに悦に入っていました.

しかし,今はその大切な儀式が出来ません.
最近城に住みついたちっちゃい魔法使いが呪いをかけ,彼女をずん胴にしてしまったからです.(超子供体型の魔法使いは,姫のスタイルが妬ましかったのです)
おかげで身体の捻りが浅くなり,あと少しのところで舌が届きません.
その度に,2人は少し悲しい思いをします.

「姫は私のことが嫌いになってしまったんだろうか」
「きっと王子様は私の愛をお疑いになるわ」

口のきけない姫は何とか気持ちを伝えようとしますが,いくら頑張っても,舌は空を切るだけです.
やがて失望した姫は,王子の腕を振りほどいて降りてしまいます.

魔法使いはイヂワルでした.
やっぱりずん胴のくせに,背中や太ももの裏を舐めて,身体の柔らかさを見せびらかすのです.
「ほれほれ~,こんなところもベロベロできる~」
わざわざ窓際に陣取り,肛門を見せつけて毛繕いする様は,本当に人を小バカにしています.
血気盛んな姫の侍従(ぺぐ)などは,窓の外で地団太踏んで悔しがるのでした.

・・
突然ですが,オチを思いつかないのでここから問題にします.
一念発起した姫は,敷地の周囲を全力疾走するという過酷なダイエットに挑みました.
食事量も減らしています.
でも,体型はずん胴のままです.(泣)
一体,なぜなのでしょうか?

1) 敷地に出たときに家畜のフンを食いまくるから.
2) 実は王子はずん胴が嫌いじゃないので,ついオヤツを献上してしまう.
3) 魔法使いはちっちゃいくせに大飯喰らいで,どんどん魔力が強くなっている.

正解は,,,全部でした.

おわり
 

木曜日, 2月 24, 2011

ディスカバリー・チャネル

朝,出張先のホテルで備付のテレビをつけると,「ダビンチの残したスケッチ(攻城用の移動式跳ね橋)から実物を再現する」番組をやっていた.
おもしろいので,つい見入ってしまった.
でかくて元気で小汚いナリをした,いかにもアメリカ人という5~6人の男たちが集まって,一週間ほどで完成させる.その一部始終をテンポ良く見せていく.

そのうち,ひときわ声のでかいじーさんの担当する部分がことごとく不出来で,周囲と揉めるようになる.ただ単に板の長さを揃えるだけの作業で,2cmも狂いが出てしまう.
「一体どうやったらこんなに狂うんだ!?」
他のメンバーが沈痛な面持ちで部品を囲む.

傑作なのはこのじーさん,誰がどう見てもヘタクソなのに,自分の腕に自信を持っている.
不手際を指摘されると,非を認めるどころか大声で反論する.
その言い訳がふるっている.

 「ここは寸法が狂っても大丈夫なんだ」
 「この道具で精度が出ないのは当然だ」
 「俺が科学的に説明してるのにリーダーは聞こうとしない」
 「地面がデコボコなんだから車輪もデコボコで良いんだ」
 「この寸法でもできるはずだ.全体の設計を変えようゼ」
 「俺たちは兵器を作ってるんだ.アートじゃない.動けば良いんだろ?」

いつもじーさんと口論になるリーダー各の男がインタビューに応える.
「各部品はできるだけ精巧に作りたいんだ.一見不必要でも,そうしておくと後になっていろいろ応用が効くからね」
そんな含蓄のある言葉を,じーさんはガハハハと笑い飛ばし,次々に部品製作にとりかかって行く.
やる気と体力は人一倍なのだ.

で,プロジェクトは失敗するかと思いきや,無事,動作試験に成功する.男たちは念願の「戦争ごっこ」を楽しみ,お決まりのハイタッチとハグで成功を祝う.

全部やらせのシナリオだと思うんですが,結構感動しちゃいました.
人の営みというものがうまく凝縮されている.
目的を一にした仲間が集まること,ただしその目的の意味はよくわからんこと,不快な他者と共存すること,死者(先人)と対話すること,などなど.
「没後数百年にできた建造物を見たら,ダビンチは喜んだだろうなぁ」なんて想像すると,ちょっとジンと来る.

で,番組が終わって時計を見たら8:55AM.
あら?
確か今日の会議は9時から...
 

金曜日, 2月 18, 2011

天啓

まだ十分寒いと思うけど,ちょっと陽だまりができると,犬たちは気持ち良さそうに寝そべっている.
窓越しに彼らを眺めていて,ふと,「大→犬変換」というアイデアがひらめいた.
さっそくやってみる.

 決算犬処分
 犬入り満員
 いちご犬福
 犬急ぎ
 犬学芋
 犬目に見る
 犬部分
 絶犬
 無限犬
 犬騒ぎ
 巨犬な赤字
 犬泥棒
 誇犬妄想
 犬騒ぎ
 犬文字
 等身犬
 粗犬ゴミ
 犬活躍
  :

これは使えますね!
「何に?」が問題ですが.
 

火曜日, 2月 15, 2011

雪のち雪

久しぶりの出張で武蔵小杉なう.

この辺り,いつのまにか高層マンションが林立して,小綺麗なホテルとスーパーがオープンして,3つ目の最寄り駅(JR横須賀線)ができて,,,つい5年程前まで,ゴチャゴチャした町工場と飲み屋くらいしか記憶にないのに.
夜に出歩くと都心のビル街のよう.
今さらながら,東京のダイナミズムには圧倒されてしまう(神奈川だけど).

それにしても,ファームから離れてしばし雪と縁が切れると思ったのに,何の因果かここでも雪.
勘弁して欲しいなぁ.
じっとりした雨雪で身体の芯まで冷え込む.

都会人が雪で右往左往するのを雪国の人は笑うけれど,情状酌量の余地はあると思った.
アスファルト上で大勢の人に踏み固められると,ちょっとの雪があっという間にツルッツルの氷になってしまう.
田舎でいくら降っても,これほど歩き難くはならない.

雪害にも人が関わるところがいかにも都会らしいと,妙なところで納得しました.

日曜日, 2月 06, 2011

占領

いま,コタツの中に,すっかり興奮したちっちゃい男が潜んでいる.
足を突っ込むと,間髪入れずむしゃぶりついてくる.
強烈に痛い.

足入れられないコタツって,存在する意味あるんやろか?
 

火曜日, 2月 01, 2011

ちっちゃい男

不覚にも猫と暮らす羽目になってしまった.
犬馬羊山羊鳥合わせて53匹を養うという,ふしだらで傲慢な生活をしながらも,猫は飼わないと固く心に決めてきたのに...

別に猫が嫌いな訳じゃない.
むしろその反対というか,,,でも好きとかそーゆーのとも違って,何というか,猫には「弱い」のだ.

世界三大愚問の一つに「あなたは犬派?それとも猫派?」というのがあるが,これがなぜ愚問かというと,そもそも犬と猫とでは比較にならないからだ.
次元が違う.
「日本経済と蟻とではどちらが強いですか?」と同じくらい無意味な質問だ.

人対犬であれば,お互いを個性や長短所を持った個体として認識し,その関係を客観視することができる.どんなに心奪われたとしても,例えば蜜月物語みたいに自らを戯画化することで,比較的容易に平常心を保つことができる.

猫はだめニャン.
彼らは本能的に人の心の弱ったところを探りあて,その辺りをつんつん突きながら,結局そこに居ついてしまう.
見た目は四足動物だが,実はスピリチュアルな寄生虫なのだ.
口から食物を採ってみせることもあるが,あれは人の目を欺く擬態だ.
そうやって宿主を油断させておいて,矜持とか誇りとかガマンとか毅然とした態度とか決断力とかケジメとか,,,とにかくその辺の稀少な気質を,少しずつ溶かして摂取している.

そして猫に憑かれた人は,ある日,何一つ生産的なことをせず1日を終えようとしている自分を発見する.
不思議なほど後悔の念はわかず,むしろ満ち足りた気持ちで己を肯定できるのだ.
それが自前の感情ではなく,猫の心象風景が紛れ込んだものとも知らずに.

この段階ですでに8割方は回復不能である.
ああ,おそろしい.
 

水曜日, 1月 26, 2011

あい あむ たつらー

一人で運転してると,過去のみっともない行為が頭に去来して,「ぼけっ!」とか「あほぅ!」とか反射的に叫んでしまうという困った癖がある.

走行中は誰にも聞こえないから良いのだが,昨日は信号で止まったときにやってしまい,車の横にいた歩行者に聞こえてしまったようだ.悪いことに,目まで合わせてしまった.
顔から火が出るとはこういうことを言うんだろう.
それより,突如,一方的にアホ呼ばわりされたおっちゃんの気持ちも心配である.

そんな話はどうでもいい.
先日,本やブログを愛読している内田樹氏が,京大での出張講義を無料公開するというので,仕事にかこつけて聴講してきた.NG話をしないとライブでやる意味が無いと公言されるだけあって,学会や学者の実名攻撃がバンバン飛び出してくる(貶された学会の理事長が,実はその講義の主催者だったという素晴らしいオチまでついたし).

頭の回転が速い人と議論すると,実際に「ブーン」という重奏低音が聴こえて部屋の温度が上昇するんだそうだが,内田氏ご自身の講演もそんな感じがした.
話のグルーブ感もさることながら,言い淀んだ時にまで「卓越した知性が新しいアイデアを生み出そうとしている胎動」が感じられて,聴衆の脳が共振し始めるんだろう.人間電子レンジ?
寒い日でしたが,だだっぴろい講堂はまさに「白熱教室」でした.

P.S.
その後,人身事故で帰りの電車が止まったり,数年ぶりで風邪を引き込んだり,猫の屋内侵入を許したりと,禍々しいできごとが連続している.何かの予兆だろうか?

日曜日, 1月 23, 2011

お詫びと訂正

最近投稿した記事で投稿者が「Hiro」になってるのがありますが,それは「まろ」の間違いです.

ま,いーじゃんと思ったんですが,Hiroから「私が投稿したと思われたら困る」と抗議があったので,一応訂正しておきます.

それにしても,何が「困る」んでしょうねぇ?
 

水曜日, 1月 19, 2011

早口ことば

下の文章を書いてて思いついた.

チャチなネットできゃちをキャッチしちゃった,というキャッチィでキッチュなきゃちのキャッチフレーズ.

う~ん,めっちゃ言いやすいやんか.
 

月曜日, 1月 17, 2011

きゃちの冒険

一時期,きゃちが脱走を繰り返してたことがある.
畑や牧草地で作業していると,いつの間にか犬エリアを抜け出して,辺りをぶらぶらしている.

あれ?きゃっちゃん,なんでここにいるの?
そうか,柵の隙間から頭出して,ぐりぐりってしたら外に出ちゃったのか.

へー,きゃっちゃん,すごいねー.
で,お外で何すんの?
わかんない?
じゃ,中に入って一緒に考えよーか.おいでー!
「がちゃん」

なんてことを毎度毎度繰り返すのは煩わしいので,柵の内側に安いネットを貼ることにした.
ヤギにさんざん痛い目に遭わされてきた(今も遭わされ続けている)身としては,「こんなチャチなネットが効くわけねーよな」と半ば自嘲的に処置したのに,それから何も起きていない.

思えばきゃっちゃん,親姉妹たちのマネでなく,自分から何かしたのはこれが始めてかもしれない.
外に出てもキミはワルさしないから,ネット外してやろうか?
(信用の無い親姉妹、聞いてる?)
 

土曜日, 1月 15, 2011

カイラさん,あなたねぇ...

犬エリアに置いてあるフードの袋に傷がついてたから,「あれっ?」ってつぶやいたら,さささささぁって自分からケージに入って気配を消した.
 
何?それ.
何か疚しいことでもあるわけ?

そういえば,最近,腰のくびれが無くなったような...
 

土曜日, 1月 08, 2011

「のだめ」物語の精神分析的考察

長編作品では,エピソードや登場人物がどうしても膨大になる.
世に名作と謳われる作品では,ほぼ例外なく,それらが絶妙に共鳴しながら大きなテーマに向かって収斂していく.初期に提示されたテーマが,姿形を変えながら何度も回帰する.読者はその巧みさに酔いしれるとともに,「作者は神か?」といったある種絶望的な思いに捉われる.
「のだめカンタービレ」もまた,自分にとってそのような物語の一つである.

作者はこれらの伏線や登場人物を,計算し尽くして描いたんだろうか?
もちろん,膨大な準備と周到な計算はあっただろうが,それだけでこれほど巧みな物語が紡げるとは思えない.
おそらく,無意識的な何かに導かれる経験があったに違いない.
言い換えれば,単にストーリを考え出すのではなく,それをリアルに体験する,つまり作者が登場人物の内面を生きることによって(そしてさらにそれを作家の眼で客観視することによって),初めて可能になる作業だろう.
8年に及ぶ長期連載の意外なほど初期の段階で,作者はこの長大な物語のディテールまで,あたかも自分の生き様を振り返るようにありありとイメージできていたに違いない.

ヤドヴィガに出会って,そんなことを思った.
実は原作を読み進んでいるとき,なぜ彼女が登場したのかわからなかった.
全136話中の第102話に,彼女は唐突に現れる.
物語のグローバル感を出すためとか,マダム征子の懐の深さを強調するためとか,いくつか理由を考えたが,結局はその程度の脇役だと思っていた.
正直,その後,彼女のことはほとんど忘れてしまっていた.
それが最終話直前の重要な場面で,唐突にのだめと絡み始める.それも極めて濃厚に(性描写の無いこの物語では,共同演奏はもっとも濃密な人的交流を表す記号である).
そこであらためて思った.
「ヤドヴィって一体誰?」

で,辿りついたのが,ヤドヴィガ=のだめ分身仮説.
役割は「永遠の少年」.
事実,千秋が連想したように,彼女は(ホタル)のだめを髣髴とさせる上に,見た目や服がどことなく子供っぽい.彼女はのだめの少女人格なのだ.
のだめにとってそれは,強烈な表現力=「音楽の強さ」の源泉でもあると同時に,人間的成熟を妨げる楔でもある.変態行動をしている時の彼女の支配的な人格と解釈してもいいだろう.
それをより確実に説明するために,ヤドヴィガは造形されたんではないだろうか?

世に奇矯と言われる振舞いの多くがそうであるように,のだめの変態ぶりもまた,人の目をくらまし,厳しい社会から自らを守る鎧になっている(この文章もそうだけど).他者との共感を拒絶した結界(=変態の森)で,好きなピアノを演奏したり理想化した恋人とじゃれあうことで,一見自由奔放な,その実脆く壊れやすい自我を守っていたのだ.

シャドウであるヤドヴィガの音楽も,他者を拒絶し,内面に埋没する指向性を持っている.
つまりは自己満足の音楽であり,「自由に楽しくピアノを弾いて何が悪いんですか?」的な生き方を体現している.

師匠オクレールが早々に見抜いたように,のだめの成長の鍵は,自身の音楽を他者に向けて開放することにある.
聴衆に聴かせるために腕を磨き,曲の主題を演じきり,そして聴衆の反応を糧にさらに音楽性を高めていく.厳しい批評でさえ「悪いことばかりじゃない」のだ.
聴衆だけでなく,作曲者もまた重要な他者である.
曲の背景や意図を理解する,つまりは楽譜を介して作曲者と対話することも,のだめの音楽家としての成長に欠かせないのだ.
オクレールの忍耐強い指導により,それらは徐々に達成されつつあった.

ところが最終話近く,(主観的な)千秋の裏切りと自身の成功に深く傷ついたのだめは,やどかりが身を隠すがごとくヤドヴィとのセッションに埋没する.そこに知り合いの幼い子供たちも加わり,彼女の子供人格にとってある種の理想郷が出現してしまう.
しかし,それはあくまで刹那的な逃避に過ぎないし,のだめにもそれは自覚されている(アパート仲間への態度や,これらのシーンで描かれる彼女の表情がそれを表している).
ヤドヴィガは成長を促す他者ではなく,鏡に映った自分なのだ.
その役はやはり,彼女を愛する男性性の千秋でなければならなかった.

縦割りのほんの小さな1コマだが,印象に残るイメージがある.
のだめが千秋に連れ去られる際,ヤドヴィガと子供たちが見送るシーンである.
千秋が腹を括ったのに呼応するように,のだめもまた,理想郷を離れ一人の男性と対峙しようとしたことを,つまりは子供人格からのデタッチメントを,このシーンは表象している.
見送るヤドヴィガの表情はちょっと寂しげながら,暖かい眼差しである.
それは,のだめが子供人格を否定的に抑圧するのではなく,より大きな人格の中に統合することに成功したことを暗示している.

最終話,リュカに「音楽のほかにやりたいことは無かった?」と縋るように問いかけるのだめには泣かされた.
これまでしがみついてきた幼稚園の先生という(子供人格の)夢と決別し,これから先,音楽とともに生きると決意した彼女が,それでも思いを断ち切れず漏らした悲鳴のように思えたから.

その相手が,子供でも大人でもない微妙な年頃のリュカというのがまた象徴的である.
彼はヤドヴィガと同じく豊かな創造性を持ちながら,子供のまま留まろうとする「永遠の少年」ではない.
むしろ背伸びしてまで大人になろうとする「奇跡の子」である.
これによって読者は,これまでどおり様々な困難に出会いながら,音楽家として,人間として成長を続けていくのだめの未来を確信することができるのだ.

ちなみにドラマ/映画の上野樹里は,まるでコミックから抜け出してきたかのように,挙措の隅々まで忠実にのだめを演じているが,一点だけ,猫背&内股歩きというオリジナルな演技を採り入れている.型破りとは言えのだめもヒロインなのだから,これは大きな冒険だ.
おそらく彼女は,女優としての直感でのだめの子供人格指向を見抜き,それを表現したのではないだろうか.
彼女もまた,のだめの内面を生きたのだろう.
 

月曜日, 1月 03, 2011

成り行き

昨日,昼食は何をしようかと思案しているときに,ふと思い立って舞鶴の "とれとれセンター" というところに行ってきた.
食したのは,ウニいくら丼とバイ貝の煮つけとワカサギのから揚げ.
どれもうまくて,特に車中でつまんだ揚げたてのワカサギは絶品でした.
帰りに鰆を一尾購入.
オーブン料理と鍋にしてHiroと2人で食べてしまう.

一年分のシーフードを一日で食べた気分だ.
だから何?ということも無いんですが.