土曜日, 5月 26, 2018

信頼関係

よく「犬と信頼関係を築こう」なんてことが言われて、それがまた耳触りが良いもんだからつい激しく頷いてしまうわけだけれど、フと立ち止まると、どーゆーことかよくわからなかったりする。もうちょい噛み砕いて言ってもらわないと困ります、と当局に苦情の一つも言いたくなるが、その当局の所在がまたよくわからないときている。
こうなったら、自己流で解釈するしかない。

信頼関係は双方向の作用だ。
自分から相手、相手から自分への信頼があってこその関係である。
そして単純に字面を追えば、信頼とは「信じ」て「頼る」ことだから、その第一歩はまず相手を「信じる」ことになる。

実はここで引っかかってしまう。
人が犬を信じるのはまぁ信じればいいとして、犬が人を信じるとはどういうことか?
「信じる」は、相手がウソをついたり裏切ったりする可能性があるからこそ成り立つ行為だ。いや、別に本当にウソついてくれなくてもいいのだが、少なくともウソという概念がないと、それを乗り越えたところにある「信じる」も成立しない。

何だかわざわざ話をややこしくしているようだけれど、言ってみればウソも裏切りも、わざわざ話をややこしくするのが大好きな生き物特有の技だ。犬の住む世界はそうではないだろう。
だからことさら言わなくてもいーじゃんという意味で、「犬が人を信じる」という言い方には違和感をおぼえる。

では、犬はどんな心理を経て、人を信頼するようになるのか?
それは「安心」ではないかと思う。

動物の欲求は、基本的には生存確率を高める方向に向いているから、特に群動物の場合、メンバーから受ける安心感は、何物にも代え難い魅力に違いない。
だから犬は真っ先に、一緒にいて安心できる存在を求めるようになる。
エサくれるとか、遊んでくれるとか、褒めてくれるとかもポイントにはなるが、それよりも何よりも、安心を与えてくれる人を求める。
そして人から安心を得た犬は、その人の意を汲み取ろうとするし、周りの世界に向けて自発的に行動しようとする。

だとすると、当面の問題は、どうすれば犬に安心感を与えられるのか?に移る。
人間同士だと、相手の財力や権力も安心の源になるだろうが、もちろん犬にはそんなものは通用しない。言葉も無力。
たぶん動物としての安定感みたいなもの、、、落ち着いた態度、穏やかで力強い声、安定した姿勢、揺るがない自信、心身の健康、、、そういうもろもろを全身をアンテナにして感じているに違いない。ノンバーバル言語とか無意識の所作と言ってもいい。

これは頭で考えたりコントロールするものではないから、できる人は最初からできるし、できない人はなかなかできない。
そう言ってしまうとミもフタも無いが、それでも、自分の様子が犬を安心させるかどうか、ということは頭の片隅に置いておいてもいいと思う。
犬が人を信頼するようになるのは、そういう僅かなことの積み重ねだと思うし、それにきっと、人の動物的な部分に対しても同じような効果があるからだ。

では逆に、人から犬に対する信頼とは何か?
私見ではそれは、「この状況でこの犬はこういう風に振る舞うだろう」という予想のことだ。
予想が確信に近いものになり、かつ予想された振舞いが人にとって不快でも問題でもない場合に、私たちは「犬が信頼できる」と言っている。
その意味ではリードで街中を散歩するのも、クレートに入れずに留守にできることのも、信頼の賜物と言えるのだが、普通はそこまで大仰には言わない。
ここでポイントになるのが、自由意思と人との関わりだ。

ファームでは、朝と夕の2回、犬たちをフィールド内に放している。
頭数が多くて散歩に連れていけない(こともないけど、面倒臭い)からだ。
その間、人間は家畜の世話に忙しいので、犬たちはフリーで敷地内をうろついている。
本当はもっとかまってやりたいのだが、あいにく、そんな暇は無い(こともないけど、面倒臭い)。

羊を見張るやつ、鳥を睨みつけるやつ、ひたすら放牧地を駆けるやつ、人の傍を離れないやつ、、、犬たちのやることは見事にバラバラだ。個性ってすげーといつも感心している。
ただ、暇そうにするやつがおらず、揃いも揃って何やら忙しげなところは、さすがボーダーコリーと言うべきか。
こっそり柵の中に忍び込み、羊を追いつめる不届き者もいないではないが、まあ事故は起きないやろと多寡をくくっている。

最初からこうしようと決めたわけではない。
毎日の暮らしの中で、人と犬が試行錯誤を重ねてきた結果だ。
仔犬の時、自由にしてやれるのは狭いサークルの中だけだったのが、やがて庭や作業場に広がり、大人になる頃にはほぼ敷地全体になる。
その中で犬たちは、色んなことと折り合いをつけながら、自分の居場所を見つけ、わきまえた行動を身につけてきた。
ざっとまぁ、そういうこと(=そういう風に思えること)が、人から犬への信頼ではないかと思う。

と、いうことで強引にまとめると、人と犬の信頼関係というのは、犬がまず安心できることであり、その安心感を糧に人と犬が互いの意思を尊重しながら暮らしを築いていくことだと思う。
異論は多々あるだろうが、大事なことは、双方が相手(の意思)を欲望することだ。


犬と暮らすということは、イコール犬の自発的な行動を制限することでもある。
しかし信頼関係という見えない秩序のもとで、自由意思を発揮する場面を増やすことはできる。
それは人にとって煩わしいことだし、リスクも伴う。
ただ、世の中の多くのことがそうであるように、それは一見犬のためのようであって、実は人がよりよく生きるためのものだったりする。