水曜日, 3月 20, 2013

断固とした決意

ヒツジ、ウマ、ヤギ解放同盟との闘争が激化している。

冬の間、動物たちをシャットアウトして、放牧地の一部を養生することにしている。敷地が充分広ければそんな小細工はいらないのだが、そうでもしないと全部が不毛の荒地になってしまうので。その甲斐あってか、養生地には柔らかそうな若草が生えて、青々とした感じになってきた。

同じ景色を家畜たちも見ている。
草はもちろんのこと木の葉や木肌まで食い尽くし、ヒヅメ攻撃で荒廃させた不毛の泥地から。
そして、こう思っているに違いない。

「こんなクソ地にオレらを閉じ込めやがって...」

いやいやいや、クソ地にしたのは君たちですから、というのは人間側の言い分であって、確かに可哀そうに思うことが無いことも無いのだが、だからといって今、養生地に放牧してやることはできない。
どーせ、アッという間に食い尽くすだけでしょ?君たちは。

というわけで、ここ数日は柵を挟んだ前線の緊張が極限まで高まっている。
昨日なんか、気がつけばヒツジ、ヤギの全員が養生地になだれ込んでいたり、ウマが畑に首を伸ばそうとして柵を曲げてしまったりと、領土を巡るギリギリの攻防が続いている。
シープドッグ隊のスクランブルも4回を数えた。

やるべきことはわかっている。
柵の補強だ。
いや、もう、何年もそう思ってるのだが、手間と費用を考えるとなかなか手が付けられず、ここまでズルズル来てしまったわけです。
どうやら、それも限界のようですね。

やるか、柵の補強...


土曜日, 3月 16, 2013

春のユーウツ

固い地面がこんなにステキだったなんて。。。

だって、歩いてて「にゅるん」とずっこけないし、馬が駆け抜けても頭から泥かぶんないし、一輪車押すのが3倍くらい軽いし、犬を放っても泥人形にならないし。

大洪水が退いて方舟を降りたときは世界中が泥だったはずなのに、ノアの家族はよく気が触れなかったものだ。
あと、この時期、世間では黄砂黄砂と騒ぐけれど砂が舞う前は泥だったわけで、中国の人はさぞ辛かったのでは?とか、いろんな思いが交錯するのは、つまり、それだけ深く泥に悩んでいたということだろうか。
で、ようやく地面が乾いて、気持ちの良い風も吹くようになってきて気分爽快、、、かというと、そうは問屋が許さない(←死語)。

これは誰のせいでもなく自分が悪いのだけれど、昔から、春になるとユーウツになったり、ぞわぞわと不安になったりする。
特に風の中にほのかに甘い花の香りが混じったり、フと見上げた空が抜けるように青かったりすると、心の中に暗雲が立ち込め始める。
朝日をうけて小川のせせらぎがキラキラしたりするのもいけない。
衣替えの作業も鬱陶しいけど、それでも頑張って春物に着替えて外出したのに、くっそーまだ肌寒いやんけ、なんて状況はもっと悪い。

別に学校が嫌いだったわけでもないのに、なぜか小学生の頃からこうだ。
はい、自分でも面倒臭い性格だと思います。

でも何より面倒臭いのは、こうやって愚痴ってるときは案外機嫌が良かったりするところかもしれない。
 

土曜日, 3月 09, 2013

本の身体

タブレットPCをゲットした。
いろいろ比較検討した挙句、iPadでもNexusでもKindleでもXPERIAでもなく、NECのLife Touchを選ぶところがただ者じゃない。
まろが新しいものに弱いと思ってる人はゼウスの雷に撃たれるでしょう。

さっそく、紀伊国屋の電子書籍を試してみて、おおおっ、これは良いっ、フォントの大きさが自由自在に変えられやんけ!
めっさ読みやすい。
こんなことなら、半額セールに焦って老眼鏡買うんじゃなかった。。。
あと本の値段が安いとか、置き場所に困らないとか、ライトがいらんとか、良いとこだらけちゃうん?(でも、印刷も紙も製本も店舗も販売員もいらんし万引きも落丁返品も無いんだから、もっと安くできんかなぁ)。

でもでもでも、自分的に結構大事な「寝る前の一冊」は、わざわざ本棚からふる~い「竜馬がゆく」を引っ張り出してきて読んだりしている。
最初は嬉しくてベッドにタブレットを持ち込んで、寒い日は頭から蒲団被って読めるのを喜んだりもしてたのに、あまり長続きしなかった。
なんというか、寝入る前の安らぎ感みたいなものが違う気がする。

思えばかれこれ50年以上も紙の本を読んできたわけで、これだけつき合いが長くなると、文字や絵による情報交換の他に、手ざわりとか、重さとか、ページめくりの質感とか、匂いとか、いろんなチャネルが確立してて、そういういろんな身体感覚が無いと「本を読んだ」感がしなくなってるのかもしれない。
まだタブレットに慣れてないだけかもしれないけど。
 


土曜日, 3月 02, 2013

誰か唐沢寿明主演でドラマ化しませんか?

安倍公房氏の小説に「砂の女」という長編がある。
遥か昔、確か高校生の頃に読んだからもう内容は覚えていないけれど、砂丘の中のアリ地獄のような一軒家から脱出しようとする男、それを引き留めようとする女、穴の上から逃亡を妨害する村の人々、それにどう防いでもいつの間にか部屋に侵入してくる砂のイメージは、今でも印象に残っている。

自分にも名作が書けそうな気になっている。
題名は「泥の犬」。

降り続く雨と無残に泥濘化する敷地、そして敷地に放流した途端、一瞬のうちに頭から尻尾の先まで完璧に泥だらけになる犬たち。
夜のうちに泥が落ちて元の姿に戻るから、毎日、この儀式が繰り返される。
あ、そうそう、犬に飛びつかれて泥だらけになる男もぜひ登場させなければ。
何度長靴を新調しても、いつのまにか侵入してきて靴下をダメにする泥水のエピソードも重要だ。

考えただけでもワクワクするね。
問題は泥で何を暗示するかだけど、、、それは書きながら考えることにしよう。
書き出しだけは決まってるんだ。
こんなの。

朝、カーテンを開けると、辺り一面、泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥、でした。