木曜日, 3月 05, 2020

口下手な男前

無差別殺人の容疑(たぶん冤罪)で逮捕された男の息子が、タイムスリップして若き日の父に会い、何とか事件が起きないように奮闘するが、不自然な言動のせいでその時代の警察や当の父親から疑われてしまう。
「おまえ、本当は何を企んでるんだ!?」
ここで主人公の竹内涼真は、視線を逸らして黙ってしまう。

あー、また。
いぃっっっつもそお。
竹内涼真も向井理も松下奈緒も佐藤健も天海祐希も、ここでもうちょっと説明したら解決するのに!という場面で決まって黙る。
これはもう日本のTVドラマに深く根付いたお作法で、どれくらい深いかというとそうじゃないとドラマが成り立たないくらい深い。
言い淀んだときの悩ましく切ない表情が、歌舞伎の「見得」みたいな演技の見せどころになってるし、最後には「言わなくても真心が通じる」シーンがお約束のカタルシスとして用意されている。

なぜ説明しないのかと問えば、「大切な人を傷つけてしまうから」とか「きっと○○はこの事実に耐えられない」とか言うに決まってるんだ、どーせ。
相手は子供じゃないんだから、いやたとえ子供だとしても、そういう決めつけは相手への敬意を欠くと思うのだが、ドラマでは逆にそれが優しさや、誠実さや、思慮深さを表すアイコンになっていて、大いに肯定される。
他人を気遣うというのは確かに麗しい態度だけれど、見方を変えれば、それを言い訳にして説明から逃げていることにもなる。
脚本家や演出家はそーゆーもんと割り切ってるのかもしれないが、それを自然に受け入れてしまう観る側の意識が問題だ。

自分もその一員という強い自覚とともに言うけど、日本人は大体において口下手だ。
それも、男。
それも、おやじ、おっさん、おじん。
どーでもいいことは結構喋るのに、気持ちをことばにするとか、筋道立てて理由を説明するとか、悩みを打ち明けるとか、肝心な時に口ごもってしまう。
「男は黙って札幌ビール」とか「俺の目を見ろ何にも言うな~♪」とか「説明せんとわからんのか!?」とか「何にも言うな、まぁいいから一杯飲もうや」みたいな決まり文句が一杯あって、世間も口下手の肩を持つことになっている。
だから説明しないことを、自身の怠慢とも努力/能力不足とも思わないし、逆に口数の多い奴(この言い方にもう負のバイアスがかかっている)を軽侮してたりする。

日産の会長解任劇については何の知識もないから、ゴーン氏、検察、日産の誰の肩も持てないが、一つ感心したのは、ゴーン氏が逃亡先のレバノンで2時間を越える会談を行ったことだ。
ほとんどが当人のスピーチだったらしいが、あのハイテンションを保ったまま2時間!
内容があるかどうかはともかく、同じことができる日本人が何人いるだろうか?
自分には絶対ムリ。
きっと彼は、小さい頃から「男のくせに言い訳すんな」とか「口答えするな」とか「子供は余計な口を挟むな」とか言われたこと無いんだろうな、、、知らんけど。

全然分野が違うが、どうしても較べたくなってしまうのが、去年目立ったスポーツ指導者たちの記者会見。
アメフトの内田監督、ボクシングの山根会長、テコンドーの金原会長、、、さすがにどの仁も押し出しが強そうで、頼り甲斐のある親分という風情だが、不正が指摘されていざ記者会見となると揃ってムッツリしていた。
そんなことやる人間かどうか、オレを見んかい!!、、、本当ならそう一喝したかったところだろうけど、あいにく相手は組織内の人間ではなく、記者やその後ろに控える世間だ。
そういう外部の人に対しては、結婚式の挨拶以外、特に語る言葉を持ち合わせていない。
橋本治氏が言うところの、農村の家父長制度の意識を引きずった典型的な「都市おやじ」だ。
(非を決めつけて謝罪する/しないにしか興味が無いような、質問する側の姿勢にも問題あるとは思うけど)

もう一つどうしても触れたくなるのが永田町の「説明」。
特に今の政権で目立つのだけど、官房長官の定例会見なんかもう芸の域に達している。
ちょっと答えづらい質問になると「適正に処理している」「その指摘は当たらない」「〇〇に聞け」と言い放つだけで、どう適正なのか、なぜ当たらないのか、なぜ説明を差し控えるのか、などの説明は一切しない。
あとは、あー世界で一番つまらん仕事や、みたいな顔で突っ立っている。
たぶん、まともに答える気はないけど、周囲にマウンティングして自分と政権の威厳を保つにはどうしたらいいか?を考えたらあーゆー態度になるんだろう。
その他にも、口を開けば暴言の財務大臣とか、措辞を整えようとして無残に噛んでしまう首相とか、歯切れよく煙に巻こうとして炎上する環境大臣とか、もうどうしちゃったの?とゆーくらい説明が拙い。
日本人が口数の少なさを何で補ってきたかというと、たぶんそれは、少ない言葉一つ一つに対する思い入れであったり、発言に対する誠実さや責任感や覚悟だったりしたと思うのだが、それらを国民の先頭に立って片っ端から粉砕しつつあるのが、現政権の隠れた一面だ。言葉への信頼を踏みにじることで「国会で何を議論したってムダだよ、大事なことは全部閣議決定で決めるから」と言いたいのだろうか。

ただ、一口に説明といってもそんなに簡単にできるもんではない。
少なくとも、①考える、②考えを共有可能な意見にまとめる、③意見を相手に伝えるためのロジックや筋道を立てる、④発言のための言葉を選ぶ、という4ステップを踏む必要がある。
前半は「自分の意見を持つ」こと、後半は「相手に伝える」ことがテーマだが、両方とも結構テクニカルな作業だ。
であるからして、この辺を学校教育の一環として小中学校でのカリキュラムに組み込むべきだと思う。
、、、というのはウソで、何でもそうだけど、本当に子供を教育したいと思うなら、まず大人が進んで取り組めばいいんだ、きっと。

土曜日, 2月 08, 2020