木曜日, 11月 06, 2014

ちゃんと怖がる

白状すると、まろには「怖い」犬友達が3人いる。
すべて女性で、しかも遠方に暮らしているというのが、3人の共通点だ。

だから、普段はビクビクせずに済んでるのだが、先日たまたま、そのうちの2人がたて続けにファームに来るという、惑星直列みたく珍しい巡り合わせになった。

何がきっかけだったか忘れたけど、今回、命知らずにも、1人に「○○さんって怖いですよ」と言ってみた。
当然ながら、返ってきたのは「あら、私、全然怖くないわよ。失礼な」という、直球の全否定。
ご、ごめんなさい、本当に失礼でした・・・

ただ言い訳じゃないけど、怖いという感情って大切だと、常々考えている。
人は怖いから相手を「恐れる」わけで、実はこれは「畏れる」に繋がっている。
音が一緒というだけでなく、おそらく語源的にも同根のものだ。
つまり、怖いはrespectの第一歩だ。

キリスト教の「愛」というのは、私たち仏教圏の人間にはなかなか理解しにくいが、そこにはこのrespectが多分に含まれているんじゃないかと思う。
卑屈でも優越でもなく、対等かつ自然に他者をrespectできることが、人として成熟することじゃないかとすら思っている。

相手が動物でもそうだ。
例えば犬と長く暮らしていると、往々にして相手を恐れる気持ちが薄れるが、それが何かベテラン犬飼いの証みたいに感じてるとすれば、それは違うだろうと言いたい。
どんなに従順で可愛らしく見えても、犬は犬だ。
狩りを本分とする肉食動物であり、その気になれば、サルの末裔を咬み殺すくらいお安い御用だ。
勘違いしないでほしいのだが、だから躾を、、、などと言いたいわけじゃない。
そうじゃなくて、相手をちゃんと恐れ(≒畏れ)ましょうよ、と言いたいのだ。
(同じ理由で、ことさら相手を怖がらせる必要も無い。もともと「怖い」のだから)

その点、ファームに来る子供たちは素直だ。
最初のうち、ほとんどが動物を怖がり、腰が引けている。
それで良いと思うのだが、大人の多くは「怖くないよ~」と感情を否定し、無理に「触れ合い」させたがる。
だから、「傍にいながら見て見ぬふりをする」という最上の挨拶ができない。
相手が必死に「来ないで!」と叫んでるのに、にこにこ笑って上から覗き込んでしまう。
「動物愛護」というのは随分と傲慢なフレーズだと思うが、それを傲慢と感じない感性を育てるのは、そんな経験の積み重ねかもしれない。


幸か不幸か、3人目の犬友達とは長い間会っていない。
一番遠方だから、もしかしたらもう死ぬまで機会は訪れないかもしれない。

もし会って「あんた、怖いよ」と言えば、きっとこう返ってくるに違いない。
「バカじゃね!?」
ああ、怖い・・・


土曜日, 9月 13, 2014

ウソもつきます

「子供はウソをつかない」って誰が言った?
それってウソやと思う。
知恵が足りないから巧妙にできないだけで、ちょっとでも得すると思えば、むしろ大人より躊躇なくウソをつく。
ただ、すぐバレるから「他愛が無い」し、被害が軽いから「罪が無い」と感じるだけだ。

犬もそう。
かなり頻繁にウソをつく。

最近よく目にする、ウンチを喰ったあとのことさら何事も無かったかのような仔犬たちの表情。
あれはきっと最初の「ウソ」に違いない。
犬の世界でウンチ喰いに罪の意識は無いだろうが、人間たちのただならぬ気配を察して、これは隠しておいた方が世のため人のため、、、くらいは感じてるだろう。

それにしても…、完食してまんまと証拠隠滅したつもりかもしれないけど、床は汚れてるし、毛はゴワゴワだし、顔を舐めにくる口はめっちゃ臭い!
あれでバレてないつもりなんやろか?

ま、しょうがないか。
君らのおばあちゃんは、体型が変わるくらい盗み喰いしても、「私は何も知りません」としらばっくれてたからなあ…。
その後、腹一杯でどーしても食べられない夕食と延々にらめっこしてたのには、笑ったけど。

月曜日, 9月 01, 2014

いぬさらい

8がつ31にち ふりーと

きのう、きむとけんかしました。

いつものように、がぶがぶして、れすりんぐをはじめたようとしたのに、きむがひめいをあげたから、え!?とおもって、かおをのぞきこんだら、おもいっきりはなをかんできたので、それからはもうふたりともこーふんして、しっちゃかめっちゃかになってしまいました。

すると、とつぜん、くまおがいいました。
「もう、やめろよ。いいこにしてないと…」
みんな「はっ」として、サークルの中はいっぺんにし~~んとなりました。

そうです。
きのうのばん、ぼくのうちにいぬさらいがきたのです。
よるにふたりづれでやってきて、ちょっとぱぱとままとそうだんしたかとおもうと、あっというまにみじをさらっていってしまいました。

ぱぱとままは、「みじは、あたらしいかていでしあわせになるんだよ」といいましたが、そんなのはうそにきまってます。
だって、みじがあしにかみついたり、うなったりしたら、いつもふたりで「みじはわるいなぁ」っていってたから。
わるいこが、いぬさらいにつれていかれるってことくらい、ぼくだってしってます。

それから、どーしたらいいか、みんなではなしあいました。
みんな、れすりんぐがだいすきだから、やめることはできないけれど、しーなの「ふらいんぐ・ぼでー・あたっく」はきんしすることにしました。ものすごいおとがしてめーわくだからです。
それから、とりあえず、「きょうはいいこにしよう」ときめました。

そしたら、つぎのあさ、みんなげりになってしまいました。
きんちょーしたからかなぁ?

金曜日, 8月 29, 2014

さんの近況

このサイトでブログを書き始めたのが2006年の1月。
書いても書かなくてもいいけど、どちらかというと書かない方が世のため人のため、、、という内容ばかりを書き連ねて、気がつけばもう八年と八か月。

最初の頃の記事を読み返すと、りん姉が君臨してて、ぐれぐなんかまだ子犬で、さんは「青二才」と呼ばれている。
出世犬のさんにとって、ちゃん→わかぞー→青二才と、確か3つ目くらいの名前だったと思う。
そんな彼も今や老境である。

先日、そのさんが胃拡張になり、大騒ぎをした。

人間だったら胃拡張といっても「食べ過ぎやろ」と返されて終わりだが、犬にとっては致死的な疾患である。
そのメカニズムはまだよくわかっていないらしい。
まず胃にガスが溜まって膨れる。体型が痩せていたり筋肉が弱っていたりすると、膨満した胃が「クルリと」ひっくり返ってしまう。そうなるとますますガスが溜まり、周りの臓器を圧迫したり、胃そのものが壊死したりして、悪くすると2~3時間で死に至る。
捻転を起してしまえば、手術しか有効な手立てが無いが、胃を元に戻した途端、急に血流が復活してショック症状に陥ることもあるらしい。病気というよりはほとんど事故のような疾患だ。

実はヤツには2度ほど前科がある。
どちらも捻転までは至らず、胃拡張の段階で回復してくれた。捻転が無ければ、ガスさえ抜ければウソのように元気になるのも特徴である。
それでも腹が風船みたいにパンパンになるし、吐きまくったり苦しげに呻いたりして、その都度最悪の事態を覚悟した。

それで今回である。
以前と同じように腹を擦ってガスを吐かせようとしたが、悲鳴まで上げて痛がる始末。
これはダメだと獣医に行こうとしても、お盆のど真っ最中で、市内はおろか舞鶴、綾部、亀岡…、どこに電話しても繋がらない。
ようやく、年中無休という京都市内の病院に予約を取り、約1時間半かけて搬送する。
それがまた運悪く記録的大雨の降った8月16日で、道中、滝のような土砂降りになり、ただでさえ焦ってるのに運転にまで神経をすり減らす始末。

なんとか病院にたどり着き、ガスを抜いて胃の動きを促す薬を投与してもらう。
これでダメなら開腹手術と宣告されたが、何とか持ち堪えてくれた。
それでも入院は必須と言われたので、翌日、また往復3時間かけて病院通い。
交通費含めて10万弱が、一夜にして吹っ飛ぶ。

それから2週間、ヤツは何事も無かったかのように暮らしている。
食事の回数が増えた分、要求吠えの回数も増えた。
ヤツは、ってゆーか犬は、自分の都合の良いことは、びっくりするくらい速やかに習慣化する。

というわけで、家の中がまた少し狭くなったような気がする。

火曜日, 8月 12, 2014

夢一夜

犬のるぢ男がいつのまにか学生服を着た青年になっていて、ビルの駐車場のあたりをうろうろしている。
自分はそれを3階くらいの窓から眺めていて、、、

って、あ、もちろん、夢の話ね。

あいつヘラヘラしやがって何か危なっかしいな~、と思っていると、案の定、向こうから歩いてきたガタイの大きなおっさんに飛びついてしまう。

おっさんの怒った様子に、るぢ男は腹を見せておびえている。
運悪く、おっさんは乱暴な上に性根の悪い男のようで、これからたっぷりるぢ男をいたぶるつもりだ。
いつのまにか現れた手下みたいな連中と一緒に、ゲラゲラ笑いながら、るぢ男の腹にスプレーみたいなものを吹付けている。

助けに行くべきだと思ったが、(こちらに落ち度があることがわかってるので)おっさんに殴られるのが嫌で、なかなか出ていく勇気が出ない。
そのうち、おっさんはるぢ男をトラックに載せて、どこかに連れ去ってしまう。

ここで目が覚めたのだが、そのとき自分は、るぢ男を助けなかったことを激しく後悔していた。。。

この夢って一体何が言いたかったんだろう?
 


火曜日, 6月 17, 2014

正しいシープドッグの育て方

  • ~生後15日: 生まれて間もないこの時期から勝負は始まってます。おっぱいに回り込んで到達するよう、親犬の前に障害物を置きましょう。
  • ~生後1か月: 優秀なシープドッグは、生まれてすぐにフセの姿勢をとります。すかさず、「ライダウン、ライダウン、ライダウン・・・」と声をかけてください。これを専門用語で「コマンドをかぶせる」と言います。
  • ~生後1か月: 目が開いて最初に見るものは重要です。決して猫を見せないように。
  • ~3ヶ月: 社会科が重要な時期。まず地理と歴史を教えてあげてください。
  • ~半年: 「シープドッグ養成ギプス」を装着して、正しいクラウチング姿勢を叩き込みましょう。アウェイとカムバイのお勉強も忘れずに。
  • ~1歳: いよいよ「牧場デビュー」です。本場イギリスでは赤飯を炊いて祝います。
  • ~1.5歳: トライアルを目指すなら名門私立校に、そうでなければ公立で十分でしょう。
  • ~2歳:  どこに出しても恥ずかしくない、立派なシープドッグの出来上がりです。あなたも犬もよく頑張りましたネ!

火曜日, 6月 10, 2014

ヘビネタ

また、いらぬ殺生をしてしもた。

ニワトリたちが寝場所にしている倉庫に向かう小道、軽自動車の脇あたりにでろんと伸びた1mくらいの青大将がいた。
道の脇にでもいてくれれば見逃してやるのに、狭い小道にスタートラインみたいに横たわってるから、避けて通るわけにもいかない(跨ぐのなんか死んでも嫌だ)。
近寄っても動かないし。

しかたなく、スコップでバンバン頭を叩き、昇天してもらった。
毎年やってるけど、こればっかりは何度やっても嫌なものです。
嫌なくせに、グネグネのたうち回るヘビから目が離せない。
あー気色悪い。

例によってHiroさんにお願いして、屍を近くの雨除けの屋根に放り上げてもらう。
鳥葬にするんですな。
ぐえぇぇぇ~。


そんなこんなで、朝からゲッソリしてしまったのだが、仕事には行かねばならぬ。
一旦、部屋に戻り、服を着替えて再び出てくると、、、

さっきとまったく同じ位置に、同じくらいの大きさの青大将がいた!
しかも、おんなじ姿勢で!
ぐぇぐぇぐぇ~、マジかよ~!?

嫌がらせか?
それとも、仲間の復讐しにきたん?
もしかしたら、さっきの生まれ変わり?
どーでもえーけど、そんなとこにおられたら、車に乗れんでしょうが...

幸い、今度はすぐに逃げて行ってくれたので、殺生せずにすみました。
頼むから、一生、目の前に現れないでくれ。
なんまんだ~
なんまんだ~

火曜日, 5月 27, 2014

毛刈り報告

羊の毛刈り、何とか今年も完了しました。
お手伝いいただいた方、声援いただいた方、本当にありがとうございました。

今回の新兵器は、新型バリカンと刃砥ぎツールでして、どちらもまぁそれなりに効果はありました、、、けど、劇的に状況を改善するには至らず。
刃を新品に替えた当座はビックリするくらいの切れ味なのに、2,3頭でガクッと落ちます。

羊たちの毛が良くないんだろうか?
ならば、というわけで、今年から刃砥ぎにも挑戦してみました。
説明書にあった通りにガシガシ砥いでみたんですが、「ちょっとマシになったかも?」くらいで、とても新品刃のようにはいきません。
すっげー期待してたのに。

変圧器、クーリングオイル、刃砥ぎツール、新型バリカン、、、これまで、作業の抜本的効率化を目指して投資に投資を重ねてきましたが、それももう限界です。
あとは神に祈るか、腕を磨くか。。。

それでも、ちょっと無謀でしたが、今年は某牧場で出張毛刈りまでしてきました。
毎年ぼろ雑巾のようになりながら、これでも少しずつ上達してるんです。

いつか自分で納得いくように刈れるようになったら、名前を変えるつもりです。
「シザーハンズ・まろ」とか。 
 
 

木曜日, 5月 22, 2014

理由

これだけ鼻突き合わせて暮らしてるのに、動物たちのことは、まるでわからない。
何を見て、何を感じ、どんな衝動に突き動かされているのか?
皆目、金輪際、徹頭徹尾、びた一文だってわからない。

というのはウソ。
一つだけわかっている。
それは、彼らが私たちのことを認め、彼らなりに信頼してくれている、、、ような、、、こと。
根拠もへったくれも無いが、これだけは「わかる。」

それがうれしいし、誇らしくもある。
だから、動物たちには精一杯敬意を払うし、彼らの暮らしはできる限り尊重したい。
誰でもウエルカムの「ふれあいファーム」にできないのは、たぶん、その辺が理由なんだと思う。
 

月曜日, 5月 12, 2014

爽やかな朝が暗転

久しぶりに「途方に暮れ」た。

その日はゴミの収集日だったので、のんびりと使い古しの網を袋に詰めていたところ、Hiroが血相変えて駆けてくる。
「それどころじゃないっ!」
エミューが脱走したらしい。

駆けつけると、3羽のうちの1羽が、敷地の外側をウロウロしている。
夜の間に、何かに驚いて柵を飛び越えてしまったのだろう。
柵の外はもう他所さんの畑で、その隣は田植えの終わった水田である。
農家の人にとって、水を張った田んぼは神聖にして侵すべからずの聖地である。 そこを不気味な怪鳥が走り回り、苗を踏み荒らしでもしたら、、、と思うと、生きた心地がしない。

エミューはおとなしくて人懐こい鳥だが、図体の割に怖がりで、パニくると凄いスピードで駆け回る。
そうなると、もう誰にも止められない。
力も強いので、運よく捕まえたとしても、蹴飛ばされる危険もある。

というわけで、最初は穏便にエサで釣ろうとしたが、警戒してまるでついてこない。
自分で飛び出したくせに、中に入れて~!と、柵の側を離れない。
エサ作戦は早々に見切り、馬用の長いリードを身体に巻きつけ、引っ張ることにする。

幸い、リードはおとなしくかけさせてくれた。
しかし、入り口まで連れて行くためには、一旦、柵から離れる方向に移動しないといけない。
それを嫌って暴れる暴れる。 少しでも仲間から遠ざかるのが怖いのだろう。
そーだよなー、怖いよなー。

いっそ持ち上げて柵の上から放り込んでしまおうと、今度は脚立を運んでくる。
しかし、柵もエミューも脚立もみんな180cmくらいある。
暴れるエミューもろとも地面に落下する図が頭をよぎり、決行する勇気が出ない。

進退窮まる。
思わずその場にしゃがみ込んで幼児に退行したくなったが、それでは何も解決しない。
しかたなく、力づくで引っ張っていくことにした。
幸いにも、一度抵抗して横倒しになってからは、そのままズルズルと引きずられていく。 (猫も羊もそうだけど、動物って引きずられると脱力する習性があるんだろうか?)

とにかく、表面的にはいつもの状態に復帰した。 エミューたちは、何事もなかったかのように敷地を歩き回っている。
しかし、「柵を飛び越えられた」という事実は重くのしかかったままだ。
何か対策を講じないとなぁ~。



金曜日, 5月 09, 2014

残業の鬼

↓の記事「日本人は怠惰だ」を読んだとき、以前、同じ会社に勤めていた人物を思い出した。
以下はその思い出話。(オチも教訓もウンチクも無いので安心してください)

彼は会社の購買部門に所属していた。
その部門は、500人超の事業所の購買業務を一手に担っており、確かに忙しい部署ではあった。

それでも、月150時間を超えることが珍しくないという、彼の残業時間は尋常ではなかったと思う。
たぶん労働基準法に引っかかっていたはずだが、当時はその辺の運用はルーズだった。

業務が多かったことを差し引いても、彼の場合、明らかに仕事の効率が悪かった。
机の上には処理を待つ帳票が山と積まれ、発注した社員からの督促電話が頻繁にかかってきた。
それを避けるためなのかどうか、彼は日中はほとんど席につかず、外出や会議と称して姿をくらましていた。
そして終業時刻がとうに過ぎた頃、どこからともなく現れ、おもむろにデスクワークに取り掛かるのである。

ある日、珍しく勤務時間内に着席していた彼のもとに、とっくの昔に購入依頼したのにどうなってるんだ!?という、キレ気味の電話がかかってきた。
一瞬、あたりに緊張が走り、近くの者は耳をそばだてた。
その書類が机上の山に埋もれていることは、誰もが確信できたからだ。
人々の関心は、事態の推移というより、彼がどんな釈明をするかに集中していた。

しかし次の瞬間、彼は涼しい顔で言い放った。
「書類が来てませんね。出し直してください。」
誰もが耳を疑い、正義の通らない世の中を呪った。

定休日の土日は、毎週のように出社(休出)である。
休出時の彼の勤務内容は、平日以上に謎に包まれていた。
いくつかの目撃情報-構内を散歩していたとか、自家用車を洗車していたとか-は出回っていた。
あくまで「噂」という形でだが。
それが本当なのか、あるいは悪意のこもったデマなのかは、今となっては確かめようもない。
ただ、そうやって残業時間を積み重ねても、書類の山は一向に減らなかった。

おそらく彼には、本給を軽く超える残業代が支給されていたに違いない。
「残業残業で身体ボロボロっすよ」とこぼす彼の顔は、その言葉の意味とは裏腹に、イキイキとしていた・・・らしい。

もう20年くらい昔の話。
その後、彼がどうなったのかは知らない。
たぶん年相応の役職に就き、部下に訓示してたりするんだろう。
「仕事は効率です」とか。

月曜日, 5月 05, 2014

覚え書き

とりあえず、夏までにやっとかないといけないこと。

 羊の毛刈り
 あちこちの草刈り
 第二放牧場の柵直し
 ログ小屋のデッキ修理
 ログ小屋のペンキ塗り直し
 裏庭への砂利撒き
 第一放牧場の鹿柵修理
 薪集め
 犬エリアの遮光ネット張り
 ・・・

もう、仕事なん かしてる暇ありません!

土曜日, 4月 26, 2014

ライダウンの抜け殻

一昔前に流行った「芸能人は歯が命」に倣えば、さしずめ「シープドッグは目が命」。

犬種の中で一番目が強いのが、たぶんセッターやポインターの類で、彼らは獲物を見つめると身体が固まってしまう。ボーダーコリーはそこまで極端じゃなくて、睨みながらも動くこともできる。

「見つめる」ことは、その衝動を持つ個体にとってはそれ自体がSelf Rewardingな行為とされていて、これという指示や報酬が無くても、延々と睨み続けることができる。
この衝動は人間には理解しにくいが、もしかしたら、ゲーム中毒やスマホ依存も似たようなものなのかもしれない(違うと思うけど)。

るぢ男くんの目はそれほど強い方じゃないと思うが、それでも朝夕の動物世話タイムには、自分の出番が来るまで、延々とニワトリを見つめている。
誰に頼まれたわけでもないのに、風が吹こうが雨が降ろうが、ベッタリ地面に伏せ、見張り続ける。(ちなみにこの見張りは何の役にも立っていない。トリたちは、るぢ男の目の前でエサを啄んだり、頭を踏んづけていったりするからね)
ほとんど芝居がかった生真面目さは、バッキンガム宮殿の衛兵を思わせる。

先日、おもしろい光景を見た。
ニワトリを見張るるぢ男くんの様子がなんとなくおかしい。
いつものように伏せてはいるものの、身体に力がこもってないというか、目が虚ろというか。。。

パッと見にはわからないだろうが、毎日彼の様子を見ている私たちの目はごまかせない。
まさに、「心ここにあらず」。
犬も仕事のフリをするんだ~、と妙なところで感心した。

理由は不明。
様子がおかしかったのはそのとき限りで、それ以降は今までと変わらず監視に精を出している。
体調が悪いとか、恋に悩むとか、人生に疑問を感じるとか、、、まあ、犬にもいろいろと事情があるのだろうと、あえて好意的に解釈している。

水曜日, 4月 23, 2014

バリカニック・ハイ(2)

↓だけでは記事にならないので、書いておきます。

買ったんですよ、、、3羽目のバリケンを、、、じゃなくて、2台目のバリカンを!
ごめんなさい、どうも感情のコントロールがうまくできないので、ぐふっ。

ちょっとというか、めちゃ高かったですが、エヘッ、軽量の羊バリカン。
そうやね、カタログの文言を書き写してみましょ。

「他社のバリカンに比べて10%以上の小型化および20%軽量化が施されているので、自然と強いグリップ感を味わうことができ、まるでバリカンを身体に装着するといった感覚に近いものがあります。」

あははははは、、、失礼。
「バリカンを身体に装着」して何がうれしい?とゆーツッコミは置いといて、とにかくまぁそういう次第ですわ。

いやー、毎年(このシャレわかります!?)、ちょっぴりユーウツだった羊の毛刈りが、今年は楽しみになりました。
これで、去年までの苦労が、実は腕じゃなく道具のせいだったということが証明されるでしょう。
夢の2人同時作業も実現します。

というわけで、ゴールデンウィークは毛刈りウィークということで、ちょっとずつ片づけていきます。
見学/体験したい方はぜひファームにいらしてください!!

何より、くぅぅ~、絶好調のまろと会えます!

バリカニック・ハイ(1)

ふふふふふふふ・・・

以上

土曜日, 4月 19, 2014

お前が言うな、って話ですが

この「日本人は(案外)怠惰である」という記事、おもしろいです。

自分も含めて、確かにそんなところがあると思う。
私たちが「勤勉」と思いこんでることって、案外、同じことを繰り返すことで知的負荷を軽減していることと、イコールだったりする。

最近は「おもてなし」が大流行りだけど、本当に「おもてなし」したいなら、相手のことを理解しなくちゃいけないと思うし、本当に相手のことを理解したいなら、自分が変わる覚悟がいるのだろう。

相手が動物でも同じことだと思う。


火曜日, 3月 18, 2014

熱血るぢ男が行く

るぢ男くんは、熱い男だ。
だからなのかどうかわからないが、暑さに弱い。

るぢ男くんは、この時期になるとガクンと食欲を落とす。
3月にして、早くも夏バテなのだ。

ついこの前まで、エサ皿を見るとぶっ飛んできてたのに、ここ数日は、物憂げに顔を上げて「あ、ご飯ね。そこ置いといてください」という感じ。むかつく~。

仕事もいいかげんになってきて、羊の餌やりの途中にフといなくなったかと思うと、作業が終わった頃にお隣さん(と言っても30mくらい離れてる)の畑からトコトコ帰ってきたりする。

例年、彼が絶好調になるのはほとんど12月に入ってからだし、それが3月にはもう終了。。。
オフシーズンが9ヶ月というのは、ちょっと許しがたい。
ツンツンの薄毛のくせに。


仕事中のるぢ男


...じゃなくて、こっちだ

水曜日, 3月 12, 2014

すし屋の呼び名に関する件

週一くらいのペースで大手チェーンの回転寿司に通っている。

寿司が好きというよりは(好きだけど)、すし屋の駐車場にある自動精米機のヌカをいただくのが目的。
ヌカとオカラは、ファームの2大食材だからね。
最近は、犬たちもご相伴にあずかったりしている。

子供の頃、外食で寿司というと超ド級の高級料理だったけど、たぶん今の子供にとって、すし屋と言うのはイコール回転寿司のことだと思う。
だとしたら、もうそんな無粋な名前は止めて、単に寿司屋と呼べばいいじゃないか。
そのかわり、普通の寿司屋のことを固定寿司とか板前寿司とかカウンター寿司と呼んで、プレミア感を出しましょう(自分でも、何を言ってるんだか...)。
それにしても長い間ご無沙汰だな、カウンターのすし屋。

アメリカでも、寿司の定着ぶりはすごいらしい。
以前は高級日本料理店というイメージがあったが、最近は、なじみ深いパック入りの寿司がスーパーで普通に売られている。
それを休憩時間なんかに買ってきて、パパッと食べる。
箸の使い方も堂に入っている。
ほんの10年くらい前は、それこそ箸にも棒にもかからないほど不器用だったくせに。
でも、まだ味噌汁は飲めねーだろ。

日曜日, 3月 02, 2014

シープドッグいろは歌留多 ゑ~京

【ゑ】Aはいらないアジのもの
   ←縁は異なもの味なもの
Aフレームを使うのはアジリティ

【ひ】ヒルは一代眼は末代
   ←人は一代名は末代
どんな立派な牧場も一代で潰れるが、シープドッグは継承される

【も】目前の子羊慣れぬ脚を踏む
   ←門前の小僧習わぬ経を読む
子羊のくせに、イッチョマエに前脚で威嚇する

【せ】正確にはカエル腹
   ←背に腹はかえられぬ
「体格が良い」というのは誉め言葉とは限らない

【す】スイカの実を食う?
   ←粋が身をくう
基本、何でも食べます。

【京】京の田舎にあり
   ←京に田舎あり
〇〇ファームのこと?



 

日曜日, 2月 23, 2014

シープドッグいろは歌留多 あ~し

あまり面白くもないのになぜ続けるかというと、それは、始めてしまったからです。。。

【あ】頭掻けても尻掻けず
   ←頭隠して尻隠さず
(犬ってふつうそうでしょ)

【さ】柵も木から腐る
   ←猿も木から落ちる
(もう年がら年中、柵の修理をしてる気がする)

【き】極めてお気楽、見事に遅刻
   ←聞いて極楽見て地獄
(中にはゆるゆるの犬もいて、あろうことか仕事に遅刻する)

【ゆ】悠々自適
   ←油断大敵
(引退したシープドッグが母屋でのんびりと暮らす様)

【め】目の上のタン
   ←目の上のたんこぶ
(トライカラーにはよくありますけど、それが何か?)

【み】身内から出た恥
   ←身から出たさび
(どこに出しても恥ずかしいヤツというのはいる。人も犬も)

【し】知らんわ、ほっとけ
   ←知らぬが仏
(勝手なことをする犬は放っておくに限る)


土曜日, 2月 22, 2014

オトナのフリ

中高生の頃、中年越えのオッサンと言えば、理解も共感も及ばない、完全に隔絶した存在だった。別に悪口じゃなく、オッサン達は確かに不格好で横柄だったりもしたけれど、人間社会というものにどこまでも通暁した安定感抜群の存在、という意味でだ。
それに引き替え自分は、無知で無力で、強がるくらいしか世渡りの武器の無い、情けない存在だった。それでも自分も歳を重ねていけば、どこかで別人種にガラリと生まれ変わるのだろうと、何となく思っていた。
今、実際に馬齢を重ねてみて、それが間違いだったことがわかる。

その頃と今の心根は、見事なくらい地続きだ。
全く同じとは言わないが、少なくとも断絶は無い。
もし今、14歳の容姿になれたとしたら(なりたくないけど)、違和感なく高校生活が送れる自信がある。
それを確かめる術は無いし、実際にはそうじゃないのかもしれないが、そういう風に思えてしまうとところは否定できない。

何が言いたいかというと、オトナというのはなるものではなくて演じるものだということが、段々とわかってきたということ。
最近、つくづくそう思う。
子供っぽい欲望やわがままは、いつまでもたっても消えて無くならないことが、実際に歳を重ねてみると骨身に沁みてわかる。

多分私たち大人はみんな、常識をわきまえたオトナを演じることで、周りの人間から信頼され、時には頼られたりもしながら、それを隠れ蓑にして世の中を渡っている。ミもフタも無い言い方だけど、それが実情だと思う。

ある種の社会的地位にある人たち、例えば学者や社長や芸能人やアーティストなどには、子供っぽい人が多い。それは彼らが選択的に子供っぽいのではなく、彼らの職業がそういう風に認知されていて、ことさらオトナを演じなくても、周りからちゃんと遇されるからだろう。
「老人」もそういうポストの一つで、よく「老人になると子供に還る」と言われるけども、それは長く生きたということで一目置かれ、仮面を着ける必要が無くなったという面もある。

...とここまで書いて、急に書く気力を失ったので止めます。
コドモだから、許してね。

水曜日, 2月 12, 2014

シープドッグいろは歌留多 や~て

【や】焼くもの無いの?全然肉無い!
   ←安物買いの銭失い 
(犬連れBBQでは、往々にして悲劇が...)

【ま】巻き尾はちょっと
   ←負けるが勝ち
(Jの字は好まれるが、背中の上まで巻いた尻尾は敬遠される)

【け】毛はみ出て薄く
   ←芸は身を助く
(く、苦しい、、とても苦しい、、、でもそれが快感)

【ふ】笛は鳴らねどタカが用事
   ←武士は食わねど高楊枝
(コマンドが無くても、日々の用事くらいは犬が勝手にやってくれます)

【こ】ころがされて強ぇ~
   ←ころばぬ先の杖
(強い羊に頭突きされて、すっ転がされるときもあります)

【え】得てして音を上げ
   ←得手に帆を上げ
(最初に威勢の良い犬は、バテるのも早い)

【て】停止をすれば良いんだし
   ←亭主の好きな赤えぼし
(ライダウンは、形はどうあれスピードが緩まればOK)

日曜日, 2月 09, 2014

フル天才

「振る」という行為は、先端に付着した、あるいは内部に残存した水様物を散逸させるために、子供未成年高齢者含めたほぼ100%の男性が日常的に経験している。これを怠れば、起立や収納の際に、不覚の一滴が衣服に付着あるいは床に落下することとなり、極めて不愉快な事態を惹起する。
自分の場合、当該行為を5歳齢から1日平均5回実施してきたとすると、今までざっと8万9千回繰り返したことになり、これは日本に生息する動植物種に匹敵する数字である。だからどうというわけでもないが。

世の中には1万時間の法則というのがあって、これは、一般に天才と言われるパフォーマンスが実は生まれもってのものではなく、ほとんど例外なく1万時間に及ぶ専門的トレーニングの賜物である、という説。雑誌記者のマルコム・グラッドウェル氏という人が「天才」と言われた偉人たちを調べ上げ、この法則を見出したらしい。
何だそんなもんかと一瞬思うが、1万時間と言えば、1日5時間のトレーニングをしたとして、それを5年以上休み無しで続けないといけないわけで、やっぱり尋常じゃない。それだけ努力できるということが、生まれつきの才能なんじゃないの?と思ってしまう。

でも、ちょっと待ってほしい。

もし一回の行為に1/10時間=約6分の時間をかけていれば、「振る」ことにかけては天才の仲間入りができたかもしれないということか。もしそういう競技があったとしたら、今頃ソチに行っていたかもしれない。いや、さすがにオリンピックは厳しいとして、ちょっとした名士とかカリスマとか教祖とか、少なくとも地方の有名人くらいにはなっていただろう。惜しいことをした。

さ、現実逃避はこれくらいにして、動物の世話をしにドロドロのフィールドに出ていくことにしよう。

 

火曜日, 2月 04, 2014

シープドッグいろは歌留多 ら~く

【ら】ライダウンあればクロッシングあり
   ←楽あれば苦あり
(単純な作業から高度な技まで、一通りこなせるようになること)

【む】無理に通せばそれがシェディング
   ←無理が通れば道理ひっこむ
(群を二手に分けるため、強引に羊の隙間を通させる)

【う】うしろから出たとこ勝負
   ←うそから出たまこと
(ルックバックで見えない羊を追いに行きます)

【ゐ】いぬが見えても動じない
   ←いもの煮えたもご存じない
(こういう羊はトライアルドッグにはしんどい、、、かも)

【の】のど元撫でれば背中丸まる
   ←のど元すぎれば熱さ忘れる
(のけぞって抵抗する羊も、腹を撫でてやれば丸くなって毛が刈りやすくなる)

【お】追い手が子羊を従え
   ←老いては子に従え
(強い犬ほど子羊には優しいので、子羊がついていくことも)

【く】臭いものにはダイブ&ロール
   ←臭いものにはふた
(犬のクセは千差万別なのに、これだけはなぜか共通)
 

土曜日, 2月 01, 2014

失礼とかそういうレベルじゃないかもしれない

何なんだろう、この激しい物忘れは?

一週間前に今日の4時に事務所に伺う約束をして、それを午前中までは当然のように覚えていたのに、午後にはもうキレイさっぱり忘れていた。

代わりに何をしてたかというと、3時53分からやってる「最高の離婚」の再放送を見逃さないために家の用事をどうかたづけたらいいかとか、そんなことばかり考えていた。
で、先方から電話がかかってきたときは、あんだようるさいな、今いいとこなのに(怒)状態で、不機嫌声で応答する始末。

平身低頭。

もう、健全な社会生活を送れない身体になってるのかもしれない。
 

火曜日, 1月 28, 2014

シープドッグいろは歌留多 よ~な

【よ】横の隅から顔のぞく
   ←よしのずいから天のぞく
(犬がいない!と思ったら、羊の群からヒョッコリ顔を覗かせたり)

【た】To be a Mi Ti Do Re, you wanna shake.
   ←旅は道づれ世は情け
(農夫たちが音階に託した羊追いの極意。意味は「ミ・シ・ド・レでやってみ、シビれるぜ!」)

【れ】猟犬は口で逃すし
   ←良薬は口ににがし
(ハウンドドッグは吠えて羊をバラけさせちまう、というシープドッグのグチ)

【そ】走力の迅速
   ←総領の甚六
(ちょっと意味不明。走力があって身のこなしが敏捷ということかなぁ?)

【つ】杖も数本
   ←月とすっぽん
(恰好を気にするなら、クルークもTPOに応じて用意しておきたい)

【ね】猫にはケリを入れ
   ←念には念を入れ
(本当の敵は室内にいる)

【な】ナイスランにパチパチ
   ←泣きつらに蜂
(見事なランに会場からまき起こる拍手)

土曜日, 1月 25, 2014

シープドッグいろは歌留多 ち~か

【ち】チビも追われりゃ群となる
   ←ちりも積もれば山となる
(ルール知らずの子羊も、ちゃんと追ってやれば群れるようになる)

【り】リーダー犬の子沢山
   ←律義者の子沢山
(人も犬も「英雄色を好む」のは一緒のようで)

【ぬ】濡れ手でおさわり
   ←濡れ手で粟
(作業着にタッチするのを許すなら、外出着の時でも許さないと犬は混乱する)

【る】るぢもカラスも照らせば光る
   ←瑠璃も玻璃も照らせば光る
(真っ黒けで見えにくいが、日光の下では目立つ(苦し紛れの身内ネタ))

【を】主にカネボウ
   ←鬼に金棒
(ハンドラーのレインコートはほとんどが某素材メーカー製らしい)

【わ】われさきにドジぶた
   ←われなべにとじぶた
(フィールドに入ってしまったドジな豚を、先を争って追いかけるシープドッグたち、、、ってどう考えても設定に無理があるなぁ)

【か】帰りのつらを見ず
   ←蛙のつらに水
(作業を終えて帰るときに顔を覗き込んでこないのが信頼関係)


水曜日, 1月 22, 2014

シープドッグいろは歌留多 い~と

【い】犬も仰げば尊しわが師の恩
   ←犬も歩けば棒にあたる
(犬が師となるケースが多いのがシープの世界)

【ろ】碌でもない証拠
   ←論より証拠
(口くさっ!また、家畜のフン食ったろ!!)

【は】鼻よりかかと
   ←花よりだんご
(鼻キスするより、かかとに食らいついてくるヤツの方が圧倒的に多い)

【に】憎まれ犬、地に這いつくばる
   ←憎まれっ子、世にはびこる
(羊から見たらあの姿勢は憎たらしいに違いない)

【ほ】ホライゾンまでくたびれ大回り
   ←骨折り損のくたびれもうけ
(地の果てまでアウトランさせる気か!?このハンドラーは)

【ヘ】ヘマこいて尻すぼみ
   ←屁をひって尻すぼめる
(今日はすごく良いランだったのに、最後に失敗してぐだぐだに)

【と】トロ箱の冷や水
   ←年よりの冷や水
(暑い日には水浴び用のトロ箱に飛び込む犬が続出)

火曜日, 1月 14, 2014

極私的創世記 第2章

主なる神はヒトを連れて行ってエデンの園に置き、これを耕させ、これを守らせられた。
イヌは寝てばかりで何の役にも立たなかったので、ヒトは朝に夕に勤勉に働いた。

主なる神はそのヒトに命じて言われた、「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよい。しかし善悪の木からはこれを取って食べてはならぬ。それを取って食べると、きっと死ぬであろう」。

さて主なる神が造られた野の生き物のうちで、ネコが最も狡猾であった。ネコはヒトに言った、「善悪の木の実を取って食べるなと、ほんとうに神が言われたのですか。」

ヒトはネコに言った、「神はその木の実を食べると死ぬと言われました」

ネコはヒトに言った、「あなたがたは決して死ぬことはないでしょう。それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです」。

そこでヒトが見ると、その木はいかにも好ましかった。それでヒトはその実を取って食べた。
このようにして、ヒトの目は開かれ、それで自分が裸であることを知った。そこで、ヒトは、ネコの毛を剥いで身にまとった。

そよ風の吹くころ、ヒトは園を歩き回られる神である主の声を聞いた。それでヒトは、神である主の御顔を避けて園の木の間に身を隠した。

神である主は、ヒトに呼びかけ、仰せられた。「あなたは、どこにいるのか。」

ヒトは答えた。「私は園で、あなたの声を聞きました。それで私は裸なので、恐れて、隠れました。」

すると、仰せになった。「あなたが裸であるのを、だれがあなたに教えたのか。あなたは、食べてはならない、と命じておいた木から食べたのか。あなたは、なんということをしたのか。」

ヒトは答えた、「ネコがわたしをだましたのです。それでわたしは食べました」。

主なる神はネコに言われた、「おまえは、この事をしたので、すべての家畜、野のすべての獣のうち、最ものろわれる。おまえは一生、満ち足りることがないであろう」。

さらにヒトとイヌとネコに言われた、「おまえたちは罪を犯したので、罰として名前を変えなければならない。ヒトを犬と、イヌを猫と、ネコを人と呼ぶことにする。そして互いに反目しながら一緒に暮らすだろう」

主なる神は、彼ら犬という名のヒトと、猫という名のイヌと、人という名のネコをエデンの園から追放し、のろわれた地で暮らさせることにした。

だから、犬は善悪を知る上に勤勉であり、猫は寝てばかりで役に立たない。そして毛を失った人は相変わらず狡猾で、満足というものを知らないのであった。



土曜日, 1月 11, 2014

日出ずる国でシープドッグを思う (6)

こういうことをアテも無く考えていると、結局、彼らを理解することなんか本当に必要なのか?という疑問に立ち返ってしまう。

シープドッグだろうが何だろうが、相手は犬なんだから、人さえ愉しめればそれでいいじゃん。
ほら、犬だってあんなに嬉しそうなんだし。
大体、仕事って言ったって羊なんかどこにもいないんだから、そんなことゴチャゴチャ言っても始まらないだろ?
てゆーか、あんた、そういう自分を気に入ってるだけなんじゃないの?
自分で楽しむ分には勝手だけど、それをよそ様に押しつけるのはどうかと。。。


そんな声があっても不思議じゃないし、むしろ、もっともだと思う。
それでも、自分は彼らのバックグランドを理解したいし、そうした方がいいと思っているし、できれば周りの人にも勧めたいと思っている。

なぜって、そうすることで彼らの魅力を一層強く感じるようになるし、逆に、至らないところに一々腹を立てずに済む(こともある)から。一見不可解な彼らの行動を理解するヒントを得られることもある。
そして何より、「知りたい」と願い続けることが、彼らと彼らを育んだ世界に敬意を払うことになると思うからだ。

って、ん~、本当か?
我ながら、後づけでキレイゴトっぽい匂いがする。
やめよう。
いっそ「惚れた女の過去が知りたくて何が悪い?」くらいに開き直った方がすっきりするかもしれない。

それでも、犬が自分の意志で作業に参加し、終わりの合図で同じくらいイキイキと帰ってくるのを見ると、たったそれだけで、小さな奇跡に巡り合ったように思える。
そんな犬を作り上げ、今日まで継承してきた世界に感謝したくなる。
まだ十分クサいけれど、これは正直な気持ち。

自分がイギリス人だったら、断固、シープドッグをユネスコの無形文化遺産に推薦するのに、、、って、「その世界」の人たちにとっては、ホントにどーでもいいことなんだろうけど。

(終)

木曜日, 1月 09, 2014

日出ずる国でシープドッグを思う (5)

例えば、これまで色んなボーダーコリーを見てきて、一つの性格類型が形成されつつあるように感じている。
Hiroと私の間では、それを「フワフワした犬」と呼んでいる。特徴を一言で説明するのは難しいが、ざっとこんな感じ。

 ・ファームにいる間中、わりと愉しそうにしている。
 ・頭と尻尾が常に上がり気味。
 ・他犬と一緒でもケンカはしない。
 ・広い場所に出るとフラフラし始める。呼びも聞いたり聞かなかったり。
 ・共通する評価は「家ではよく言うことを聞く」
 ・羊にも結構突っ込んでいく。ただ、すぐに気が逸れる。
 ・「じっと見つめる」仕草をしない。基本的にキョロキョロしている。
 ・人への愛想はよい。ただし、目で語りかけてくるような感じは無い。

要するに、アウェーの場でも機嫌良くしていられるし、そこそこ言うことも聞くんだけど、集中力が無いというか、荒々しくないというか、どことなく「とりとめない」印象を受ける。
もちろん違いといったってわずかだし、単なる個性の範疇かもしれないが、いろんな農場で出会ってきた犬たちとは、やっぱりどこか違うという感じが拭えない。

私たちは、こういう気質が、犬と暮らすことの日本的な常識・良識の中で生まれてきたのではないかと考えている。もちろん交配の影響も大きいだろうけど、それに加えて、屋内飼いによる生活境界の消失や、ある種特徴的な犬に対する態度・習慣が相まって、そのような性格が形成されるのではなかろうかと。

それが良いとか悪いとか、好きとか嫌いとかは、また別の話だ。
フワフワしていること自体が問題なわけじゃ無いし、むしろ可愛らしく、どこでも一緒に行ける良いパートナーだと言える。
ただ、シープドッグのDNAを携えた犬を、極東の国で自分たちの枠組みで育てているという事実、それが性格形成に関わっているかもしれないという可能性には、自覚的であるべきだと思う。

(続く)

水曜日, 1月 08, 2014

トト急逝

ファームを開いた時からずっと一緒だった、トカラヤギのトトが逝ってしまった。

一昨日の夜から寝たきりになり、昨日は何とか立たせようとアレコレやってみたが、カエルのように這いつくばるのが精一杯で、それ以上は何もしてやれなかった。

動物と暮らすということは、死が身近になることでもあって、そんなことはもう慣れっこだと思っていたのに、意外なほどショックがきて自分でも驚いている。

柵を壊されたり畑を荒らされたり、いつもいつも敵対関係にあったが、10年も一緒にいるとさすがに情が湧くのか。

この数年は病気がちでボロボロだったけど、よく頑張りました。
敵ながらあっぱれ。

火曜日, 1月 07, 2014

日出ずる国でシープドッグを思う (4)

もちろん、シープドッグがお座敷犬でもスポーツ犬でもペットでも家族の一員でもなく、もともと農家で羊仕事を手伝ってきた犬だということは、誰でも知っている。しかし、この「誰でも知っている」というのが案外曲者で、それは「知ってるから誰もそれ以上突っ込んで考えない」ことでもある。
実際のところ、彼らが生活してきた世界を体感レベルで生々しく想像できる人は、この国にはほとんどいない(自分にはできない)。

なぜ、そこにこだわるかというと、もし「シープドッグとはどんな犬か」ということを少しでも掘り下げようとすれば、結局それは、「〇〇××の状況で、□□△△な振る舞いをする犬」という表現にならざるを得ないからだ。そして厄介なことに、この「〇〇××」には彼らが暮らしてきた世界そのものが含まれている。

例えば、羊に対する動き一つとってみても、それが地形や羊の気質や気候によって異なるのは、いかにもありそうだし、人の生活圏との距離や群との関係や自由時間の過ごし方なんかも関係ありそうだし、もしかしたら、食べ物や寝床の作りやトイレの作法でさえも、無縁ではないかもしれない。
結局、彼らを理解するためには、まず彼らのいた世界を理解する必要がある、、、とまぁそういうことになる。
当たり前だけど。

じゃーそーすりゃいーじゃん、と突き放されてしまいそうだが、それがそう一筋縄ではいかないのが、「枠組み」の面倒臭いところ。

そもそも「犬と暮らす」「犬と遊ぶ」「犬を躾ける」・・・ここ日本では常識(良識?)と言っていいような概念が、ことごとく当てはまらないのが彼らのいた世界だ。社会化とか散歩とか脚側とか、競技とか演技とかショーとか順位とか、車追いとか無駄吠えとか拾い食いとか、検査とか遺伝疾患とか毛吹きとかブリーダーの良心とか、、、そんなこんなとは無縁でいられたのが彼らの一生だ。
それを本当にリアルに思い描くことが、果たして私たちにできるだろうか?

あ、いや、それはさすがに言い過ぎだったかもしれない。
少し頭を冷やそう。

(続く)






日出ずる国でシープドッグを思う (3)

「枠組み」と言っても別に一枚岩みたいにドカンとあるわけじゃなくて、その人の生死に関わるような重大なものから、気にも留まらない軽いものまで、多種多様にある(規範、主義、信条、常識、偏見、信仰、価値観、パラダイム、世界観、趣味嗜好、固定概念、好き嫌い、思い込み、こだわり、オレ流、、、等々)。
ただ、どんな枠組みでも一旦それとして登録されると、緩めたり解除することは想像以上に難しい。「授業で得た知識」のような、たぶんもっとも更新しやすい部類の枠組みでさえ、B君のようにあの手この手で抵抗してみせる生徒は、決して少なくない。

目新しく馴染みの無い事象でも、手持ちの枠組みで理解できる(ように思える)場合は少なくない。もちろん、その方が知的な負荷は少ないから、往々にして人はそれで押し通そうとする。しかし実際には、枠組み自体を拡げないと本当には理解できないことが、世の中にはゴマンとある。
そして厄介なことに、枠組みを拡げることの必要性とメリットは、実際に拡げた後になってみないと、金輪際わからない仕組みになっている(勉強の必要性が子供にはわからないように)。

ということで、ここまでが長い前フリで、ここから強引に話をシープドッグに振る。
「羊のいない国でどうやってシープドッグとつきあう?」というのは、Fair-rings Border Collie Centreとして掲げてきたテーマの一つだったりするのだが(実はそうだったんですよ!)、その前段に当たる「シープドッグを理解する」ことが、すでに十分難しいんじゃないかということを、最近しみじみと感じている次第。その理由を考えていて浮かんだのが、この枠組みの話だったのです。

今、日本には犬に関わる情報が溢れていて、それが多かれ少なかれ、私たちの頭の中に枠組みを形成している。それは確かに、私たちの「犬との暮らし」を豊かにしてきてくれたのだが、それが逆に、シープドッグ理解の妨げになってるのかもしれない、と。

(続く)

月曜日, 1月 06, 2014

日出ずる国でシープドッグを思う (2)

もともと人間というのは、頭の中に独自の「枠組み」を持っていて、それを通してでないと、出来事を認識したり、行動を選択したり、社会生活を営むことができない(つまり、何もできない)ことになっている。
それは子供とて同じで、彼らなりの枠組みで親/先生/友人たちとつき合い、学校/家庭生活を送っている。そして教科の内容も、知識や考え方という、知の枠組みの重要な構成部品である。

新しい単元に入るとき、B君は精一杯、理解しようと努めてくれている(と思う)。ただ、あくまで手持ちの枠組みで済ませようとするため、それで手に負えないような新しい概念が提示されると、反射的にストッパー回路が働らく。それが、矢継ぎ早の合いの手という形で表現されるのだろう。

もう言うことの予想がついたと思うが、A君はたぶん、その枠組み自体が柔軟なのだ。新しいことが入ってくると、一時的に手持ちの枠組みを緩めたり、( )に入れたりできる。口を半開きにしたヌエのような表情は、無防備な心の状態が表出したものだろう。
そして、わからないなりに説明を鵜呑みし、しばらく反芻していると、やがてどこかで「腑に落ちる」時が来る。たぶん、この時に出てくるのが、場違いな「あ、そっか」だ。
同時にそれは、知の枠組みが再構築されたことの合図でもある。
根拠は無いけど、そんな風に思っている。

B君はよく「要するにどういうこと?」と説明を求めるのに対し、A君は「それって〇〇ということでしょ?」と自分で要約できたりする。
この差は大きい。
ちょっと応用問題になると、B君はまた一から説明し直しですからね。

(ちなみにB君は普段から腰が低い。旅行のお土産を手渡す際に、いつも出来が悪くてスミマセンねぇと言い添えるその姿には、中学生にしてすでに苦労人の風情がにじみ出ている。彼は、人とのネットワークで枠組みを大きくするタイプなんだろう。安心しろB君、君は絶対出世するから)

(続く)


日曜日, 1月 05, 2014

日出ずる国でシープドッグを思う (1)

新年早々、回りくどい話になります。

縁あってここ一年くらい、塾講師のアルバイトをしている。
個別形式だから、教えた生徒は30人にも満たないくらい。これっぽっちで何かを語るのも何ですが、感想めいたことを一つ。

今、頭に浮かんでいる2人の生徒。
A君は、こちらが新しいことを説明しだすと、ほとんど毎度、顔つきがボワーッとしてくる。もしかして死んでる?というくらい反応が薄いので、どうしてもこちらから一方的に説明することになる。そのうち、というか場違いなほど後になって、「あ、そっか」とか「おお」とか呟いたりしている。
なかなかどうして、やりにくい。

対照的にB君は最初から積極的、「ここ、教えて!」と迫って来る。内心不安な新米講師としては、こういう前向きな発言はとてもうれしい。おお、そうかとばかりに説明を始めると「なるほど」とか「わからない」とか「あ、ちょっと待って」とか、盛んに合いの手を入れてくる。こちらも調子に乗ってぐいぐい説明する。

で、A君とB君、どちらがよく勉強できるかというと、実はA君なのである。それも圧倒的に、と言っていいくらい。
この違いはどこからくるのだろう?

B君が受講をおろそかにしてるかというと、そんなことはない。自分の成績にも、人一倍不安を持っている。ただ、何となく感じるのは、彼が盛んに言葉を挟んでくるのは、関心や意欲が高いからというよりは、それによって何かを守ろうとしてるんじゃないか、ということだ。
何か、というのはもちろん彼自身のことだが、もっと言えばそれは、彼がこれまでに築いてきた「知の枠組み」みたいなもの。

(続く)