水曜日, 11月 30, 2011

誕生日

さん。

11歳、男。

今年は、胃捻転と原因不明の高熱で、3回も危機的な状態に陥った。
幸いにもその都度自力で立ち直ったが、さすがの強健男も、寄る年波には勝てないということか。。。

しかし今、体調の戻った彼は毛艶も良く、ファームの誰よりも健康に見える。
張りのある大声で、「メシ!」「水!」「庭に出せっ!」と喚く。

あと100年生きろ。

日曜日, 11月 13, 2011

架空の動物の話

大きさは小さめの猫かモルモットくらい。
全身ふわふわの柔らかい毛に覆われていて、手足短く、ぱっと見単なる毛玉のようである。
名前を、仮にマルモクルとしておく。平均寿命約10年。

一番の特徴は、魂が高貴だということ。
あまりに高貴なので、世俗のことにはまったく興味が無く、したがって一生のほとんどを寝たままで過ごす。
もちろん、食事や排泄といった下世話なことはしない。
半覚半睡のまどろみの中で、ずっと、「世界で一番美しいもの」を夢見ている。もちろん、夢の内容など誰にもわからないが、それくらい寝姿が可憐だということだろう。
飼い主はその寝姿を眺めるだけで満足できるらしく、ペットとしても大人気である。

そのマルモクルが、一生に一度だけ目覚める時がある。
それがいつ来るかは、誰にもわからない。
ある日突然、独特の「キュッ」といううめき声とともに欠伸をし、短い四肢を思い切り伸ばす。
しばらく寝ぼけマナコで周りを見渡したりしているが、特に気を惹くものが無ければ、そのまま再び眠りについてしまい、もう二度と起きない。
その間、ほんの数十秒。
だから、一度も起きたところを見たことの無い飼い主が過半数を占める。

幸運にもその場に居合わせた人は、できるだけ覚醒時間を長引かせるよう、まさにこのときのために用意しておいた名前を連呼する。
「おはよう、ルディ、気分はどう?、ルディ、ルディ、元気そうだね、ルディ、私がママよ、、、」

そうやって語りかけて興味を惹きつけ、10分ほど起こしておくことができれば、再び眠りに落ちる直前、それまでに夢の中で作り上げた「世界で一番美しい」表情をしてみせるという。
これが、俗に言う「天使の顔」である。
それを見た人は、もうその場で死んでもいいと思うくらい、幸せな気持ちになれるという。

マルモクル、、、その生態は謎に包まれたままである。

木曜日, 11月 10, 2011

田舎暮らし

新聞の宅配が無い。
毎朝、歩いて3分ほどのところにある集配所に取りにいかないといけない(アメリカみたいでカッチョイイ、、、こともないか)ので、1日外出しなかった日は新聞を読まないこともしょっちゅう。
それで別に困ることもない、というところが、また田舎らしい。
当然、牛乳の宅配も無い。

宅配ピザも無い。
市街地に出ればPizza Hatがあるけれど、余裕で配達区域外だ。原付だと、信号に引っかからなくても30分かかってしまうからだろう。

近所の小学生にどこに行きたいかって聞くと、元気良く返ってきた答えが「ジャスコ!」
泣かせるじゃないですか。
イマドキの子供が、USJでもジョイポリスでもなく、ジャスコですよ。
近くには古びたスーパーしかないから、おそらく、彼が知ってる一番ごーじゃすな施設なんやね、きっと。
うん、君はこれからの人生で、もっと楽しいことに一杯出会うと思うゾ。

そのかわり、ホームセンターはすごい。
車30分圏内に10軒はある(コメリ×3、コーナン×2、ジュンテンドー×2、プラント、ミドリ、ストック、、、)。
商品はどこも似たり寄ったりだが、それでも、通い慣れてくると違いが見えてくる。
コメリは農業資材に強くて、コーナンはDIYに強い。ジュンテンドーは地元に根強い人気があって、ミドリはツールがプロ向き、プラントは品揃えがイマイチだが安い、、、とか。

ホームセンターを縦横無尽に使いこなすことが、今の田舎暮らしのコツかもしれない。
 

日曜日, 11月 06, 2011

秋を愉しむ?

このところの暖かさで、ハエやらブヨやらが大量発生している。
馬の世話をしているときに何かに右目の瞼の上を刺されたらしく、夜にはぷっくりと膨れてきた。
西田敏之の落武者にそっくりだとHiroは言うが、自分的には何だか外人の渋い表情になったようで、カッコエエやんけ・・・と思ってしまった。鏡に向かってニヤリとすると、悪役演じるトミー・リー・ジョーンズみたいな。。。
このまま、ずっと腫れたままだったらいいのに。

そんな話はどうでもいい。
言いたかったのは、暖かくても秋は秋、ということ。

先日は、近所の人に誘ってもらって、落ち鮎漁というのに一緒させてもらった。産卵のため下流の浅瀬に戻ってきた鮎を網に追い込んで採る。
落ち鮎は、旬のやつに較べて色が黒くなって、身も緩くなっているが、食べてみるとあの清々しい苦味は健在だ。たまに卵も入っていたりで、これはこれで大層な美味。まったく鮎ってやつは、どこまでエラいんだ。

いや、この話もどーでもいい。

秋を堪能する一番の方法は、椅子を庭に放り出し、日差しを浴びながら心を平らかにすることである。
光の粒子を眺め、落ち葉の香りを胸に吸い込み、鳥や動物の気配に耳をすます。

すると、乾いた空気を切り裂くように、パシィィィンという乾いた音が響く。

。。。またですか。。。

もう見に行かなくたってわかる。
馬が放牧地の外に首を伸ばそうとして、柵の横木をへし折ったのだ。
最初は音にビックリして飛びのいてたくせに、今はすっかり慣れてバキバキと柵を壊して草を食んでいる。柵は構造物というより、もう、被災地の瓦礫みたいになっている。

そこまでされても、全然腹は立たない。
心が平らかだから。
問題は、修理しようという気力も沸いてこないことである。
 

木曜日, 11月 03, 2011

また、おわかれ

う、小松左京氏に続き、北杜夫氏まで、、、

訃報に接してショックを受けるのは、大抵は若かった頃に親しんだ名前だけれど、これまでは政治家や(老)俳優が多かった。それが作家さんたちの年代になってきたということやね。
ってことは、これから、(若い頃ファンだった)スポーツ選手やアイドルの訃報が増えていくんだろうな。
やだなぁ。。。

最初に読んだのは、マンボウシリーズでも楡家の人々でもなく「怪盗ジバコ」。
確か中一の頃、B型の友達が「これ、おもろいで」と貸してくれた本にまんまとハマッてしまった。それまで、本といえば課題図書とドリトル先生くらいしか買ったことがなかったのに、それからは、北杜夫のコーナーを目指してせっせと本屋さんに通うようになる。
さんざん悩んで単行本(さびしい王様)を買った直後に文庫本が発売されるくやしさも、初めて経験した。

名著の呼び声高いどくとるマンボウ青春記では、旧制高校という別世界があったことを知った上に、作者に感情移入して懐かしさをを感じるまでになってしまった。自分の10代(おお、恥ずかしい)はどちらかというとドライで平坦だったけども、本当の青春(ああ、恥ずかしい)は本の中にあったのかもしれない。

もう一度読み返したくなって本棚を探したけれど、なぜか青春記だけ見つからなかった。
申し訳ないような、さびしいような、落ち着かない気持ち。
ご冥福をお祈りします。