水曜日, 2月 28, 2018

胸焼けしないんですか?

第一胃にある未消化物を口中に戻し、再び咀嚼する行為を反芻という。
ウシが有名だが、ヒツジやヤギも反芻する。
アルパカもする。

陽だまりで箱座りしながら、喉のあたりがぐびぐびっと動いたかと思うと、ゆっくりと咀嚼が始まる。
残った固形物をすりつぶすように、下顎が左右に動く。

最近フと思ったのだが、これってもしかして、ものすごく幸せなんじゃないだろーか?
飢えを凌ぐとか敵から逃げるといった差し迫った用事もなく、もうすぐ栄養になろうかという柔らかな未消化物を、口中に戻したりまた飲み込んだり、、、
味はもちろん、香りや喉ごしも思う存分楽しめる。

その間、思い出に耽るのもいいし、嫌いな群仲間をdisってもいい。
2年前に食べた、最高の出来の最高の青草を思い浮かべるのもいいかもしれない。
「充足」とか「至福」という言葉は、こういうときのためにあるのだと思う。

実のところ、反芻がどんな感覚なのか、人間には想像することもできない(少なくとも、ゲロがこみ上げてくるのとは違うと思う)。
ただ、リラックスしまくりの姿勢と目を細めた表情からは、「満ち足りた」感が濃厚に漂っている。

充実した仕事の後の、あるいは重い緊張から解放されたときの、薫り高いコーヒーの一服に似た感じじゃないかと、勝手に思っている。


木曜日, 2月 08, 2018

観察日誌

2月8日(木)晴れ

アルパカさんのうんちはね、ウサギさんみたいにコロコロなの。
でも、まん丸じゃないの。
しいの実みたいにちょっと細長い。

朝にはね、黒~いうんちのお山が、あっちこっちにできるの。
あっちにひと山、こっちにひと山、そっちにひと山、向こうにひと山・・・。

それを熊手で集めて、ちりとりに入れて堆肥置き場に捨てるのが、まろさんの大切なお仕事。
アルパカさんたちは、ちょっと遠巻きにしながら、不思議そうに眺めてる。

でもこの頃は寒くって、うんちがカチコチに凍ってる。
だから熊手が跳ね返って、なかなか集められないのね。

しょうがないからガリガリ引っかいてると、ちょっとずつ剥がれて、地面の上をコロコロ転がっていく。
熊手を持ったまろさんは、転がるうんちを目で追いながら、口の中で「もーいや」とか「ばかやろう」って呟いてる。

それを見ていた私は、地球人って意気地がないなぁって思いました。


金曜日, 2月 02, 2018

ロイコクロリディウム

宇宙人のことを考えていて、「カタツムリを操る寄生虫」のことを思い出した。

この寄生虫は鳥の体内でないと成熟できないので、中間宿主であるカタツムリが捕食されやすいよう、アレやコレやの策を労する。
まず、宿主を目立たたせるために、ツノとかヤリと言われる触覚のあたりに移動し、プロジェクトマッピングよろしくギラギラ動く模様を浮き上がらせる。

どう見ても散髪屋のサインポールだが、せっかくのサインも、空から見えないと意味がない。
そこでこいつは、どこにどう作用するのやら(たぶんカタツムリの神経系に働きかけて)、葉っぱの表側など、普段は避けるような位置に宿主を誘導する。

この何重もの努力により、首尾よく鳥に捕食されると、めでたく子孫繁栄できるのである。
なんとなく、自分の墓穴を掘らせる捕虜収容所の強制労働を連想させるが、暴力や権力を介さない分、より洗練されているとも言える。

ロイコクロリディウム

この気色悪さは、そのままSFネタに使える。

ある考古学者が人類の歴史を調べていて、類人猿からホモ・サピエンスに至る進化のどこかに、DNAレベルの干渉があった証拠を発見する。
すわっ地球外生物か!?というわけで世界中が興奮し、考古学、生物学、宇宙学、物理、化学、心理、宗教、哲学など、多方面の専門家が参加する調査プロジェクトがスタートする。

やがて考古学&生物学の混成チームから、重大な発見が発表される。
なんと、件の生物が類人猿の脳内に寄生していたらしいこと、さらには宿主の行動をコントロールしていた可能性があるというのだ。

勢いづいた研究チームは、二足歩行、言葉、道具、火の利用、群生活やサバンナへの大移動など、人類が人類たる所以となった行動を始めた時期には、常に寄生虫が存在していたことを突き止める。
この時点で、研究は世界的なブームとなり、一部は熱狂レベルにまで達する。

しかし、大脳新皮質の急速な発達そのものが寄生虫の共生作用によるもの、という仮説が立てられるに及び、研究ブームは一気に終焉に向かう。
「人は主体的・自律的に考えて行動する」という一神教的な人間観と、どうにも相性が悪くなってきたからだ。文明推進のエンジンでもあった「人としての尊厳とプライド」が、それ以上の真相究明を阻む皮肉な結果となったのである。

ただ、研究ブームが下火になってからも、自分そのものと信じて疑わなかった理性や思考が、他生物のものだったかもしれないという疑念は、人々の潜在意識に強い影を落とすことになった。
有名なコギト命題「我思う、ゆえに我あり」は、「我思う、ゆえに我あるんやと思う」と歯切れが悪くなってしまった。
少なくとも、「脳は脳の欲望に従って行動するのであって、必ずしも自分自身や、ましてや隣人や世界のためではない」ことは、誰もが意識するところとなった。

人はなぜ働く?
人はなぜ争う?
人はなぜ愛する?
人はなぜ挑戦する?
人はなぜ宇宙を目指す?
人はなぜ頑張る?
人はなぜ夢みる?
人はなぜ・・・?

これら人の成り立ちや行動原理に関わる問には、模範回答が無く、一生かけて各自が自問し続けるものと相場が決まっていたが、「もしかしたら寄生虫のせいかも~」という安直な回答が可能になってしまった。

まったくもって困ったことである。