水曜日, 10月 23, 2019

ケツの穴

「ケツの穴が小さい」というのは気が小さいとか度量が狭いことを言うレトリックだが、最近、そーでもないかも?と疑り始めている。
つまり、単なる修辞的な表現ではなく、ケツの穴と気質の間には、のっぴきならない関係があるんじゃないかと。

とゆーのも、犬のウンチについて思うところがあったからだ。
犬のウンチの大きさは、各個体によって大体一定している。
その一定度はかなりのもので、本来個性などという言葉は、こーゆーときに使うべきだと思うくらいだ。
そして、ぶっといウンチをする奴は、大体において神経も図太い。
逆に細っこいウンチをする犬は、たとえ見かけはゴツくても、案外神経質だったり刺激に敏感だったりする。

たとえばファームの大御所カイラさんは、誰もが認めるおチビだが、モノはこちらが赤面するくらいでかい。そして性格はというと、(チャカチャカした見かけや行動とは裏腹に)周りに影響されないタフな面を持っている。

一方、身体の割にチマチマしたウンチのるぢ男くん。
彼はファームでは向かうところ敵なしの風で堂々としているが、たまに大人気なく子犬からおもちゃを取り上げたり、誰かが叱られたら真っ先に部屋に帰ってしまうといった、器の小さいところも見せてしまう。
サンプルが少ないからアレだが、これまでファームで見てきた犬たちには、大体、そんな傾向があるように思える。

ウンチの太さが肛門の大きさ(緩さ)と直結しているとすると、この傾向は「ケツの穴が小さい=気が小さい」説の有力な裏づけだと思う。
それに「ケツの穴が小さい」という現象が、心身の緊張状態とか胃腸のつくりとか腸内細菌の分布なんてことまで反映しているとすれば、性格や気質と密な関係があっても不思議ではない。あるいは、肛門というのは外界に対してどれだけオープンなのかを示す、身体のメッセージなのかもしれない、、、とか?

ここまで妄想を膨らませて、そーいう自分はどーなんだ?と振り返ろうとして、軽いショックを受けてしまった。
なんと自分のウンチの太さがわからないのだ!

もちろん、結構目にはしているけれど、他のモノを見る機会が無いので、それが太いのか細いのか、まるで判断できない。友人に拝み倒せば見せてくれるかもしれないし、ググればいくらでも画像が出てくるだろうが、どちらも実行に移す勇気はない。

人(てゆーか脳)は、自分の見たくないものを見事なまでに見えなくしてきたが、そのおかげで、貴重な情報源まで失ってしまったのかもしれない。

犬がお尻の匂いをとるのは、ケツの穴を観るのも目的なんじゃないだろうか?