月曜日, 4月 29, 2013

毛刈りで仕返し

今年も毛刈り週刊に突入。

ちょっと気が重い。
たかが6~8頭のヒツジなのに、これまで毎年、どえりゃーしんどい思いをしてきたからだ。

でも、毛刈りのビデオなんか見ると信じられないくらい速いし、そもそも普通の牧場だったら100頭も200頭もいるわけでこんなに苦労なわけがない、、、というわけで、牧場関係者(そんなにいないけど)に会うたびに秘けつを聞いて回っていたのだが、これまでは確たる成果が無かった。

それが去年、阿蘇牧羊犬クラブにお邪魔したとき、たまたまヒツジ歴〇十年という強者がいて、これは天から授かったチャンスとばかりに教えを乞うた。
犬やヒツジに一家言ある人は多いが、バリカンの使い方について微に入り細をうがち、理論と経験に裏打ちされた説明を得たのはこれが初めてである。
とりあえず、これまでの自己流では、潤滑オイルと刃の取り付け位置に難があることがわかった。

で、今日、「これでうまく行かなかったらどーしよう」という不安と期待が交錯する中、今季最初の毛刈りが始まったのだが、、、
き、切れる...
めっちゃ切れるぅぅぅ。

これまで、親の敵のように力を入れてたのがウソのように、ススススと羊毛と皮膚の間に刃が滑り込んでいく。
私は、これまで、一体何を頑張ってきたんだろう?



ところで、今日のお相手は頭突き男のレイ君。
いつもの仕返しに、恥ずかし~い写真を公開しといたろ。



わははははははは
 
 

木曜日, 4月 25, 2013

バイタルサイン

一つ屋根の下で一緒に暮らしているのに、ほとんど丸一日、猫の姿を見かけないことがある。
特に昼間の数時間、完全に気配が消える。
たぶん、2階の寝室に引っ込んで、これでもかっちゅーくらい怠惰な生活を送ってるに違いない。

ただ、1階にもあちこちに怪しいサインが残っている。

例えば、、、

・いつのまにか猫トイレが汚れてる
・閉めたはずのドアが10cmくらい開いてる
・机の小物が床に落ちている

とか。

なんだ、生きてんじゃん。(笑)

眠いんだったら、別にドアとか開けてくれなくていいから。
もしかしたら、「俺は元気でやってるから」というメッセージなのかな。
 

日曜日, 4月 21, 2013

ぐれぐ

犬にも上半身と下半身の区別ってあるんだろうか?

わからない。

でも、この男だけははっきりしてる。

全身が下半身。。。



別名「リトマス試験紙」。

どんな微かなヒートの兆候も見逃さないからだ。

月曜日, 4月 08, 2013

金融資本は癌か?

某ネットコミュで話題になっていた、中沢新一氏の評論(「赤から緑へ④」月刊スバル4月号)を読んでみた。
経済どころか社会常識にもズブのシロートですが、結構感銘を受けてしまったので感想文を書きます。

今日の国際社会における金融資本のふるまいが、無規律に自己増殖を続けるガン細胞に酷似しているという説。
本来、社会の諸活動を円滑に動かすための血液であるべき貨幣経済が、それ自体で無節操な増殖をはじめ、経済だけでなく政治や国家まで飲み込み、宿主である人間社会に機能不全をもたらしつつある、というのが氏の現状認識である。

不都合や障壁を「癌」と呼称するのはありふれた手法だが、現在の金融問題に当てはめて考えたとき、単なるレトリックを超えた迫真性を帯てくる。少なくとも、仮想敵(禿鷹ファンドとか悪徳資本家とか。そういえばオバマ大統領も「強欲なウォール街の連中」とか言ってましたね)を仕立て上げ、それらを攻撃すれば万事うまく行く的な、古典的な政治的言説よりは説得力がある。
朝日新聞が「カオスの深淵」という特集を組んだことからもわかるように、たぶん大多数の人が「どこがどうとは言えんが絶対どっかおかしいやろ」と感じている金融問題の不気味さが、少しクリアになったような気がした。

確かに金融界における最前線のプレイヤーは投資家だったり、ファンドだったり、金融機関だったり、グローバル企業だったりするわけだけれど、それらの背後にはおびただしい数の小さな欲望、「庶民のささやかな夢」や「慎ましい老後の備え」が隠れているわけで、結局誰が戦犯かと言えば現代に生きる我々全員と答える他ないところに、この問題の深刻さがあると思う。

癌の厄介さは、それが外部からの異物や毒ではなく、もともとは生体を構成する正常な細胞というところにある。
つまり病原菌を退治すれば治る類の病ではないし、そもそも癌が「病気」かどうかも疑わしい(実際、ガンを老化現象と見なす専門家もいるし、細胞には最初からガン化がプログラムされているという説もある)。同じように、金融問題は特定のプレーヤを排除したり制度を手直しして解決するほど単純ではないし、実はそれは問題ですらなく、資本主義が目指してきた一つのゴールなのかもしれない。

この潮流の思想的後ろ盾は、規制という規制を撤廃し、すべてを市場に委ねることを理想とする新自由主義と呼ばれる社会理論である。サッチャー、小泉純一郎、橋本徹など、本人が自覚しているかどうかは別にして、新自由主義を標榜する政治家は多い。ただし、これを提唱した当の経済学者たちは、現在のような社会状況を予想したわけではなく、むしろ計画主義で不調に陥った社会を賦活し、自由公平で開かれた社会が形成されることを望んだ。それがなぜ、巨大な格差を生み、投資マネーが市民生活や国家の命運さえ左右するような危機的状況を招いてしまったのだろうか?

中沢氏はその原因を、位相変化ともいえる経済構造の変化に求めている。
人間社会の諸制度は、異質の価値を何らかの理路で関連付けできる人間固有の能力を通じて構築されてきた(ありとあらゆる商材を交換対象にする市場経済がその端的な例)。そしてどんな迂回路を通ることになろうと、あらゆる制度や価値は最終的には自然環境と生命に根を下ろし、その「大地」との関係によって自生的秩序がビルトインされてきた(おおっ、そうだったのですか!)。
ところが貨幣の役割が、単なる交換の手段から信用の手段、さらには利殖の手段へと変遷するにしたがい、その結びつきが薄れ、ついには実世界が介在しないゲーム的な結界が形成されてしまった。そこにはもはや自然摂理に基づく秩序は存在せず、論理と記号だけで構成された無限のゲーム空間があるだけである(例えば、大食は胃袋の制約を受けるが、美食を求める欲望はキリが無いのと似ている)。
この結果、抽象的な貨幣価値の運動だけで経済が成り立つようになり、さらには社会的免疫機能ともいうべき様々な規制や制度や文化的制約が新自由主義の名のもとに弱体化させられ、金融資本のアンコントローラブルな増殖を招いてしまったというわけである。

(自生的秩序の件は、正常細胞には全体の秩序を保つための自死機能=アトポーシスがプログラミングされているのに対し、それを欠く癌細胞が暴走的に増殖することのアナロジーが有効かもしれない。あ、でも、そうか、ガンを老化現象と言うなら、資本主義という制度のアトポーシスが金融資本で、それによって資本主義が滅ぶのも自然な営み、と言えるのかもしれない。奥深い。。。)

新自由主義はあらゆる規制を攻撃することで、それらの持っていた免疫機能を弱め、結果として金融資本の増殖を助けることになった。その行きつく先は、従来の社会的/文化的制度が機能不全に陥った「社会の死」だという。
そこではほとんど全ての人間が労働価値という記号に還元され、ゲーム的な経済機構の中に組み込まれ、単純に利潤との対立関係に置かれる。

果たして人間が、生体圏外の論理的世界に生身をさらすことに耐えられるのだろうか?
少なくとも、強烈な痛みは伴うだろう(そういえば、新自由主義の政治家はよく「構造改革の痛みに耐えよ」と言う)。
でも本当に怖いのは、人間がそれに耐えられるように「進化」してしまうことかもしれない。

月曜日, 4月 01, 2013

全部ウソです

今年も長い長いプロ野球シーズンが始まりました。
あれだけ大型補強したにも関わらず、相変わらずド貧打というのはアレですか、阪神はどこまでいっても阪神ということですか。

それはさておき。
どこでだったか忘れましたが、以前、日米の審判の判定傾向について、両リーグ3年間の全試合を視聴して統計的に分析したレポートを読んだことがあります(もうちょっと役に立つ研究しろよ、、、)。
結果の一つは確かこんなのでした。

「カウント2ボール2ストライクで、次の投球が際どいコースに来た場合、日本の審判の方がボールと判定する割合が高い」

この辺は、自分のデシジョンが結果を左右するのを避けたい、あるいは単に結論を先送りしたいという国民性が表われているのでしょう。

あと、こんなのもありました。

「負けているチームのバッターが緩い内野ゴロを打ち、一塁への送球とバッターランナーのベースタッチがほぼ同時だった場合、日本の審判はセーフとコールする割合が高いのに対し、米国の審判はアウトを宣告しがち。勝っているチームのときはその傾向が逆転する。」

おもしろいでしょ。
つまり日本人は判官びいきで、米国人は敗者に追い打ちをかける性向がある、ということらしいです。

一番印象に残ってるのは、

「9回裏1点ビハインド。2アウト満塁、カウント3ボール2ストライクで次の一球が際どいコースに来たとき、米国人審判はストライクアウト(ゲームセット)を宣告しやすい」

理由は「早く家に帰りたいだけだろ」だって。ははは。