土曜日, 2月 22, 2014

オトナのフリ

中高生の頃、中年越えのオッサンと言えば、理解も共感も及ばない、完全に隔絶した存在だった。別に悪口じゃなく、オッサン達は確かに不格好で横柄だったりもしたけれど、人間社会というものにどこまでも通暁した安定感抜群の存在、という意味でだ。
それに引き替え自分は、無知で無力で、強がるくらいしか世渡りの武器の無い、情けない存在だった。それでも自分も歳を重ねていけば、どこかで別人種にガラリと生まれ変わるのだろうと、何となく思っていた。
今、実際に馬齢を重ねてみて、それが間違いだったことがわかる。

その頃と今の心根は、見事なくらい地続きだ。
全く同じとは言わないが、少なくとも断絶は無い。
もし今、14歳の容姿になれたとしたら(なりたくないけど)、違和感なく高校生活が送れる自信がある。
それを確かめる術は無いし、実際にはそうじゃないのかもしれないが、そういう風に思えてしまうとところは否定できない。

何が言いたいかというと、オトナというのはなるものではなくて演じるものだということが、段々とわかってきたということ。
最近、つくづくそう思う。
子供っぽい欲望やわがままは、いつまでもたっても消えて無くならないことが、実際に歳を重ねてみると骨身に沁みてわかる。

多分私たち大人はみんな、常識をわきまえたオトナを演じることで、周りの人間から信頼され、時には頼られたりもしながら、それを隠れ蓑にして世の中を渡っている。ミもフタも無い言い方だけど、それが実情だと思う。

ある種の社会的地位にある人たち、例えば学者や社長や芸能人やアーティストなどには、子供っぽい人が多い。それは彼らが選択的に子供っぽいのではなく、彼らの職業がそういう風に認知されていて、ことさらオトナを演じなくても、周りからちゃんと遇されるからだろう。
「老人」もそういうポストの一つで、よく「老人になると子供に還る」と言われるけども、それは長く生きたということで一目置かれ、仮面を着ける必要が無くなったという面もある。

...とここまで書いて、急に書く気力を失ったので止めます。
コドモだから、許してね。

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