日曜日, 1月 05, 2014

日出ずる国でシープドッグを思う (1)

新年早々、回りくどい話になります。

縁あってここ一年くらい、塾講師のアルバイトをしている。
個別形式だから、教えた生徒は30人にも満たないくらい。これっぽっちで何かを語るのも何ですが、感想めいたことを一つ。

今、頭に浮かんでいる2人の生徒。
A君は、こちらが新しいことを説明しだすと、ほとんど毎度、顔つきがボワーッとしてくる。もしかして死んでる?というくらい反応が薄いので、どうしてもこちらから一方的に説明することになる。そのうち、というか場違いなほど後になって、「あ、そっか」とか「おお」とか呟いたりしている。
なかなかどうして、やりにくい。

対照的にB君は最初から積極的、「ここ、教えて!」と迫って来る。内心不安な新米講師としては、こういう前向きな発言はとてもうれしい。おお、そうかとばかりに説明を始めると「なるほど」とか「わからない」とか「あ、ちょっと待って」とか、盛んに合いの手を入れてくる。こちらも調子に乗ってぐいぐい説明する。

で、A君とB君、どちらがよく勉強できるかというと、実はA君なのである。それも圧倒的に、と言っていいくらい。
この違いはどこからくるのだろう?

B君が受講をおろそかにしてるかというと、そんなことはない。自分の成績にも、人一倍不安を持っている。ただ、何となく感じるのは、彼が盛んに言葉を挟んでくるのは、関心や意欲が高いからというよりは、それによって何かを守ろうとしてるんじゃないか、ということだ。
何か、というのはもちろん彼自身のことだが、もっと言えばそれは、彼がこれまでに築いてきた「知の枠組み」みたいなもの。

(続く)



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