土曜日, 1月 11, 2014

日出ずる国でシープドッグを思う (6)

こういうことをアテも無く考えていると、結局、彼らを理解することなんか本当に必要なのか?という疑問に立ち返ってしまう。

シープドッグだろうが何だろうが、相手は犬なんだから、人さえ愉しめればそれでいいじゃん。
ほら、犬だってあんなに嬉しそうなんだし。
大体、仕事って言ったって羊なんかどこにもいないんだから、そんなことゴチャゴチャ言っても始まらないだろ?
てゆーか、あんた、そういう自分を気に入ってるだけなんじゃないの?
自分で楽しむ分には勝手だけど、それをよそ様に押しつけるのはどうかと。。。


そんな声があっても不思議じゃないし、むしろ、もっともだと思う。
それでも、自分は彼らのバックグランドを理解したいし、そうした方がいいと思っているし、できれば周りの人にも勧めたいと思っている。

なぜって、そうすることで彼らの魅力を一層強く感じるようになるし、逆に、至らないところに一々腹を立てずに済む(こともある)から。一見不可解な彼らの行動を理解するヒントを得られることもある。
そして何より、「知りたい」と願い続けることが、彼らと彼らを育んだ世界に敬意を払うことになると思うからだ。

って、ん~、本当か?
我ながら、後づけでキレイゴトっぽい匂いがする。
やめよう。
いっそ「惚れた女の過去が知りたくて何が悪い?」くらいに開き直った方がすっきりするかもしれない。

それでも、犬が自分の意志で作業に参加し、終わりの合図で同じくらいイキイキと帰ってくるのを見ると、たったそれだけで、小さな奇跡に巡り合ったように思える。
そんな犬を作り上げ、今日まで継承してきた世界に感謝したくなる。
まだ十分クサいけれど、これは正直な気持ち。

自分がイギリス人だったら、断固、シープドッグをユネスコの無形文化遺産に推薦するのに、、、って、「その世界」の人たちにとっては、ホントにどーでもいいことなんだろうけど。

(終)

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