土曜日, 11月 30, 2013

ドクターX

突然ですみませんけど、ドクターXの大門未知子に腹立ててます。
なんで、いつもいつも仏頂面なんだ、と。
組織と権力に阿らないポリシーを態度に表してるんだろうけど、あれはどう見ても、子供が拗ねてるようにしか見えん。

「誰の力も借りません」的な一匹狼を気取るくせに、病院の設備や人手は当然のように利用する。
その手術用具は、誰が整備してると思ってるんだ?
最新設備を揃えるのに、どれだけ経理が頭を痛め、会議と稟議と事務処理を重ねたのかわかってんのか?
カッコつけて投げ捨てるゴム手袋だって、町工場のオッチャンが汗水垂らして作ってんだよ!、このバチアタリめが!
がるる、がるる~

そもそも、そんなに組織が嫌なら離れてりゃいいのに、何でわざわざ割り込んできて、ブーたれまくるのか。
それじゃー学校をクソみそに言うくせに、わざわざ毎日登校してきて、わざわざ授業を邪魔するガキと同じじゃねーかよ!

そんなんだと、わざわざ嫌なドラマにチャンネル合わせてマジギレするような、しょーもない大人にしかなれないぞ、と。
 

月曜日, 11月 25, 2013

劣等感

犬種柄、アチラもんのビデオを観る機会も多いのですが、その都度「かなわんなぁ」と思うことがあります。
いや、態度が堂々としてるとか、感情表現が豊かとか、ましてや英語がどうのこうのとかいうんじゃなくて(それもあるけど)、まず、彼ら彼女らの「手」に目が行ってしまうのです。

がっしりしてて、肉厚で、毛深くて、、、そんな手で、犬の頭から胴や胸のあたりをワシワシと撫でる。
荒っぽいんですが、どこか繊細で、包み込むような優しさもあります。
思わず、犬と手の間に自分の頭をねじ込んで、撫でてもらいたくなるような。。。
やっぱり握手文化の国の人は、手の表情も違うんでしょうかね?

そう思って自分の手を眺めてみると、なんか薄っぺらくてペタペタした感じ。
小器用そうではあるけれど、安心とか篤実とか信頼とかいう印象からはほど遠い。
こんな手に頭を撫でられても、あまりうっとりできないよなぁ。。。

犬って身体中を撫で繰り回される側だから、「手」の印象ってものすごく大きいと思うんですが、そこんとこどうなんでしょう?
少なくとも、好き嫌いくらいあってもおかしくない気がする。

撫でようとするとビミョ~に身体を避けるペグさんに、一度訊いてみたいもんです。
 

月曜日, 11月 18, 2013

天使のような

どこか透明感のある "I wouldn't say it to a friend, I wouldn't say ~♪" というボーカルに載せて、スマホを操る人たちが短いショットで次々に入れ替わるドコモのTVコマーシャルがあるじゃないですか?
いきなりですけど、そこに出てくる女の子に恋しました。

最初に出てくる育ちの良さげな子(笠井海夏子さんというらしい)じゃなくて、最後の方に0.5秒ほど登場する、音楽にノリノリになってるちょっとお頭の軽そうなロングヘアの女の子です。

可愛いなぁ。

そもそも男というのは、世の中の穢れを一切知らない天使のような女子が、この同じ空の下(それも案外近くの町)で生息していると、心のどこかで本気で信じている。
だから、そういう属性を記号的に表現したキャラクタ(白鳥麗子とか、ルパン三世のクラリス王女とか、三菱地所の女の子とか)に、郷愁にも似たリアリティを感じて、コロリと参ってしまうのです。
バカですねぇ。

で、その子のことが気になって、動画を検索してスティルで観てみたんだが、、、う~ん微妙。
最後の横顔は申し分無いのですが、映った瞬間の左向きの顔には清楚感が足りない。残念なようなホッとしたようなこれまた微妙な感じ。
と、いうわけで、儚い恋はあっさりと終わりました。

あ、でも、7人目に出てくるスマホを胸にかき抱くショートの子も可愛いやん...
 

日曜日, 11月 17, 2013

いちょう

ファームから近所のお豆腐屋さんにオカラをいただきに行く道中、大きな銀杏の木が見えるスポットがある。
「トンネルを抜けると」じゃないけれど、車一台がやっとの細い通りを抜けたあたりで、"ど~ん!" という感じで視界に飛び込んでくる。

木自体は普段から見慣れてるんですが、この時期は鮮やかに黄葉して、そこに夕日が差したりすると、燃え上がるように照り映えます。何かにつけて情が薄いと揶揄されるまろでも、荘厳さに打たれる思いがする。

ファームのある地域は、これといった特徴の無い寂れた農村ですが、その中で、この銀杏の木は数少ない好きな景色の一つです。
あと何回、その雄姿を見せてくれるでしょうか?


火曜日, 11月 12, 2013

もっちの残念

たまには、心暖まるひゅうまんな話を一つ。

ほとんど恒例のようになった、Hiroさんの九州遠征。
今回は羊4頭を運ぶ用事があったので、犬連れは無理かと半ば諦めていたが、友人の好意で羊を分乗させてもらえることになった。
で、めでたく犬連れ可になったわけで、じゃ誰を連れて行くか?って段になって随分悩んだあげく、ここは一つもっちっちで行ってみよう、ということになった。
別に事件や逃亡を怖れて悩んだわけじゃなく、ただ何かにつけて面倒臭くわずらわしいことになるだろうということが、何となく予想できたからである。

で、Hiroが帰ってきたのが昨日。
心配は杞憂に終わったようで、確かに人や犬に興奮はしたけど、ほとんどは落ち着いて対処できたらしい。そ、それは良かったね。
ただ一度だけ、車内に長時間閉じ込められたとき、ゲリPをあちこちになすりつけてしまったらしく、車内が大変臭くなってしまったとのこと。

中を掃除する間もなく、昨日のうちに、飼料のオカラを貰いに行かないといけない。
確かに、外から見ても車内は汚ない。
息を詰めるように運転席に乗り込み、気持ちを充分落ち着かせてからそっと空気を吸い込んでみると、、、
ん?
全然臭わない。
はは、そうか、ここ数日、風邪をこじらせて完全に鼻が死んでいたのだった。

人間、何がラッキーに転ぶかわからない。
以上、感動のエピソードでした。
 


土曜日, 10月 26, 2013

OctBlue

10月は油断ならない。

初めの頃なんてまだ夏の余韻があって、Tシャツ短パンでグダグダしてたのに、気候が良くなってきたからそろそろ動きだそうかとカレンダーを覗くと、なんと、11月がもうそこまで迫ってたりする。
「10月」という響きにはまだ余裕を伴った今年感があるが、11月と聞くととたんに押し迫ってきてしまって、背中にヒヤッとしたものが走る。

世にサザエさん症候群というのがある。
昔、これかなぁという経験が自分にもあって、日曜日の夕方になると不安なような焦ったような気分になって、会話もTVも食事も上の空で、それはそれは嫌な感じだった。
ちょっぴりそれと似ている。

別に年末が近づいたからといって焦る必要は無いのだが、嫌な感じの記憶だけがどこかに残っていて、フとした拍子に甦ってくるのかもしれない。
それもこれも、10月に油断してたからいけないのだが...


水曜日, 10月 23, 2013

日本初の...

実は人生相談の類が好きで、Yahoo知恵袋とかBiglobeなんでも相談室とか朝日新聞の「悩みのるつぼ」などを欠かさず愛読している。
おかげで、大分、パターンが読めるようになってきた。

近い将来、人生相談評論家としてデビューしようと思っている。
傾向と対策を出版したり、年間最優秀相談賞の選考委員になったり、回答の真摯度ランキングを発表したり、、、
どうしたらデビューできるか、今度、人生相談に相談してみよう。

今日はその中で一つだけ、、、男の言い分で一番多い「俺は"家族のために"必死に働いてるのに...」というのは、そろそろヤメた方がいいと思う。
家族を養うのだって、そうすると決めたのは他ならぬ自分なんだし、第一、もしじゃあ今この瞬間に家族がいなくなったとしたら、あなた仕事を辞めますか?
辞めないでしょう。
結局、自分のためなんですよ、仕事だって。

仕事も家事も、遥か太古の昔から、たぶん人間が社会生活を始めた時から続いてる行為なんであって、そういうのは大体、共同体を維持するためか、でなければ自分が成熟するためか、あるいは生を全うするためにどうしても必要な合理的装置だと相場が決まっている。
もちろん「家族のため」を励みにする限りは結構だけれど、それが恨みつらみになるようなら、自分の感覚を見直した方が良い。

...なんて偉そうなことを言う割には自分の生活がグダグダなやつって、メディア的にはウケるような気がしませんか?
 


土曜日, 10月 19, 2013

生まれ変わり?

どこかの犬種紹介の記事で「シープドッグは臭い」と書かれてるのを見かけたことがある。
偏見だと思う。
犬は汗腺が無いから人間より体臭は少ないはずだし、犬の中でも、ボーダーコリーは無臭な方だと思うし。

でも、やっぱりファームの犬どもは臭い。
天候や湿度によっては、ほとんど刺激臭さえ漂う。
ただし、もとからの体臭というよりは、生活習慣からくる後天的な臭いである。

最悪なのがペグさんで、なんせこの娘、馬糞とオシッコのぐちょぐちょの上にべったり伏せて、廓の掃除を観察してたりするからたまらない。
夏場は身体を冷やすのにも活用されているようだ。
それが生乾き状態になると"ツ~ン"とくる。

ペグは素のままと言おうか野生児と言おうか、頭の中がまるでわからないところは、若くして夭折した先代犬のジェスそっくりだ。
人には絶対逆らわないが、人の言うことなんか聞く耳持たない、、、と、この辺の機微がわかるでしょうか?
まろは、この手の犬にとても弱い。

最近は朝晩の羊仕事を手伝ってくれるのですが、目の使い方なんかすごく様になってきました。
ただ、相変わらず、まっすぐ羊に突っ込んでいきます。

That'll do以外にも、もうちょっと言うこと聞いてくれるとありがたいんだけど。
 

日曜日, 10月 13, 2013

究極の問い

Googleの検索欄に数式を打ち込むと、電卓の画面が出てきてちゃんと計算結果を返してくれる。
例えば「12*23+24」と打ち込むと「300」と返ってくる。
偉い!
では、「生命、宇宙、そして万物についての究極の疑問の答え」と入力すると?
計算不能?
入力ミス?
いえいえ、「42」と返ってきます。

そう、宇宙の真理はなんと「42」だったのです。
なぜってこれが「全時代および全世界において2番目に凄い」コンピュータのディープ・ソートが750万年かけて出した答えだから。

...という気の遠くなるジョーク(?)の元ネタは、、ダグラス・アダムズ作の「銀河ヒッチハイク・ガイド」というSF(Googleの機能はこの作品へのオマージュ)。
実は昔からずっとこの映画が見たくて、先日、思い切ってDVDを購入した。

いやいやいや、噂にたがわぬ名作。
なんせ、映画が始まって10分後には、地球があっさり消滅してしまう。
その理由が「地球がハイウエイの建設予定地にあったから」ってあんた。

その他、乱暴な宇宙人がチョー官僚的だったり、優秀なロボットが重度のウツ病だったり、地球を攻めに来た大船団が「うっかり」サイズを間違って犬に食べられてしまったりとか、最高の苦笑ギャグ満載。
乾いていてシニカルでちょっぴり自虐的で、こういう笑いがイギリス風なんでしょうか?
最後はネタバレになるので書かないけれど、地球にもバックアップがあったというのは、映画とはいえ、うらやましかったです。

ところで、この一つ前の記事は、映画を観て頭が変になってたときに書きました。
我ながら、影響されやすい。。。

土曜日, 10月 12, 2013

神と羊

たまたま、みわファームに神が降臨した。

神は全智全能にして唯一無二のユビキタスな存在だから、姿形はどうだっていいのだが、その日はたまたま羊の恰好をしておられた。
で、放牧地でぼーっとしておられた。
(「ぼーっと」というのは、私たちのような卑小な生物が見てそう感じるだけであって、神はちょうどそのとき、あちこちの銀河で発生している大規模な星間戦争に心を砕いておられた、、、のかもしれない)

ファームには本物の羊が10頭ほどいた。
羊たちは新入り羊に違和感を感じたが、とにかく群れたがる動物だから、何となく近くに集まって草を食んでいた。
何かが起こるかもしれないけれど、それはそのとき考えよう、と集まった羊たちが考えたかどうかは、誰にもわからない。
神さまはまだぼーっとしておられた。

そのうち、夕方の片づけの時間が来て、羊を小屋に帰そうと、放牧地に犬が駆けこんできた。
羊たちは、犬を避けるため、か、あるいは早くエサをもらおうと、ワラワラと羊小屋に向かい始めた。

神さまは別に行きたくはなかったのだが、群に逆らうのもアレなので、何となく一緒に羊小屋に向かった。
(実はそのとき、意識はビッグバンの0.0003秒後の宇宙にあって、物理定数の修正作業をしていた、、、のかもしれない)

小屋に帰っても犬たちの追及は止まず、羊たちは一番奥の隅に、ぎゅうぎゅうと押し込められた。
神さま羊もその中にいて、コンクリートの壁と羊たちに挟まれる格好で立っていた。
あいかわらず、ぼーっとしたまま。

まろが小屋に入ってきた。
彼はいつも注意が散漫なので、羊の数が増えていることに、ましてや神さまが目の前にいることに気がつかなかった。

そして、なななんとその瞬間、100兆年ぶりに神様の意識が地球に向き、その0.1秒後に温暖化と人口爆発とシリア内戦と尖閣諸島と打倒マエケン問題を一挙に解決する名案を思いつき、それを近くの地球人に告げようとしたのだが、ちょうどまたそのとき、おばはん羊のでかい尻が顔にぶつかり、ムッとした瞬間にすべてのやる気を失ってしまった。

...ということで、まろの不注意で地球を救う千載一隅のチャンスを逃してしまった、、、かもしれない。
どうもそんな気がする。
ごめんなさい。

月曜日, 10月 07, 2013

ソフトボール大会の光と闇

地域のソフトボール大会に出場。
去年は天候が悪くて中止になったので、2年ぶりである。

結果は22対0だったので、これはもう正々堂々と惨敗と言ってもいいでしょう。
地域の交流とか親睦とか謳いながら、老いも若きもめちゃくちゃ本気になるところが田舎っぽいと言うか大人気ないと言うか、20点もリードしてるのに走塁妨害もどきまでして敵のホームイン阻止するか?普通。
ぶり返した暑さの中、中学校の白いグラウンドで立ちすくしたまま、1時間があっという間に過ぎていきました。

でも、実はそれほど気分は悪くない。
前にも書いたけれど、まろのプレイング・ポリシーは「自分さえ良ければ」だから。
もう少し詳しく言うと、自分が①致死的なエラーをしない、②会心のヒットを打つ、の2点さえ達成できればもうほとんど幸せなんであって、たとえ試合に負けようが、滅多打ちの辱めを受けようが、それほど苦にならない。
ほんとにヤなやつですね。
自分じゃなければブン殴ってやるのにと、自分でも思います。

というわけで、なにはともあれ、ファーストの守備機会はすべて無難にこなしたし、2度の打席(しか回ってこなかった。5回コールドだから...)では1安打を放った(一塁走者がセカンド・アウトになって、記録はセンターゴロだけど、自分的には狙い通りの超クリーンヒット)しで、まぁ80点くらいはあげてもいいじゃないでしょうか?

そのあと、恒例になった、みわファームのカフェで深夜まで打ち上げ。
人のプレイを屈託なく誉めたり貶したりできる、楽しい時間でした。

ほんと、、、チッコイわぁ、自分...
 

水曜日, 9月 18, 2013

惨!密室の犯行

今朝、裏庭のデッキを見てびっくり。



石窯の上に干してあった犬用フトンがバラバラに、、、
昨日、寝る前には何事も無かったから、どうやら賊は、夜中か明け方に忍び込んで犯行に及んだ模様。

裏庭への入り口は3つ。でも、、、


西門も、


東門も、


一番背の高い南側もちゃんと閉まってるから、どうも密室の完全犯罪らしい。

さては、おまえか!?


、、、いや、その余裕の顔つきはシロやな。

と、いうことは、、、



やっぱり、お前か...orz
 

木曜日, 9月 05, 2013

転換期

よく、講演や挨拶で「今、時代が大きく変わろうとしています・・・」的なことが、さも周知の事実であるかのようにシレッと言われたりするけれど、一体誰がそんなことを決めたんだろうか?
似たような言い回しに「激動の時代」とか「歴史の転換期」などがあって、思えば子供の頃からずっとそんなセリフを聞かされてきたような気がする。

若い頃は素直に「そうか、今が時代の変わり目なんだ!」と、それなりに焦ったり気を引き締めたりもしたが、これだけ言われ続けていると、さすがに「一体いつまで転換してるんでしょうか?」と先生に訊いてみたくなる。
自分が生きたのは昭和も30年ほど過ぎてからだが、もしかしたら明治大正の昔から、人はそんな風に言い続けてきたんじゃないだろうか?

お江戸三百年なんか、今から見れば十分「天下太平の世」だと思うが、当の江戸人たちは「今は安定期なんだから、来年も再来年も変わり映えしねーよ」などと挨拶したのだろうか?
どうも、違う気がする。

そもそも「時代の転換期」などというものは、遥か後世の人たちが判断することで、今この時がその歴史的な瞬間であって自分がその生き証人である、というのは、随分と自意識過剰で手前味噌な気分だと思う。

吉田タイガースが優勝した1985年は、積年の負け犬体質からの大転換期だと言われたが、実際には、2003年の優勝(星野タイガース)まで、悲痛な暗黒時代が続いたのであるからして。
 

木曜日, 8月 29, 2013

ダメじゃん

いいかげんにしろ!って言われて、いいかげんにしてたら怒られた。

悪いようにはしないから!って言われて信用したら、いいようにされた。

大船に乗ったつもりが、タイタニック号だった。

赤子の手を捻ったら、虐待と言われた。

苦労は買ってでもしろと言われたので、Windowsを買った。

金曜日, 8月 23, 2013

犬と子供

一時的に、知人の犬を2頭預かっている。
ぐエリアからぐを追い出して、そこを自由に使ってもらっている。

母屋からは様子が見えないので、普段何をしているのかは不明だが、ときどき、カラコロという乾いた音がする。
たぶん、床の上に石ころを持ち込んで、転がして遊んでいるのだろう。

先日、総勢7人のゲストが帰った後、テーブルの上を片づけていると、何個か石ころが並べてあった。
子供たちが遊んでいたらしい。

よく、犬と子供は同じだと言いますが、なるほどなぁと感心しました。
 

月曜日, 8月 12, 2013

暑い

毎年、暑いのを呪うブログを書いてきて、今年はそういう鬱陶しいことはしないと心に決めていたのに、やっぱりグチらずにはいられない。

いや、もう、本当に暑いです。

最近は命の危険を感じるので、居場所を変えるのに扇風機を一緒に持ち歩いている。
なんだか、病院内を点滴の機材を押して歩く患者みたいだ。

こういう時には、動物はアッパレだなぁと思わざるをえない。

今も外を眺めると、陰で休んでいるものとばかり思っていた羊たちが、強烈な日ざしの下で草を食んでいるし、犬エリアからは「仕事ですか?」という厳しい視線がいくつも返ってくる。
ちょっと毛が少なくなったとはいえ、君ら冬と同じ格好してるのにねぇ...

彼らが暑さに強いかというと、それはわからない。
負荷がスレッシュホルドを越えると、それこそ「パタリ」と逝ってしまうからだ。
でも、それまではほとんど様子を変えない(ように見える)。
ファームを初めてたかだか10年ほどだが、もう何回もそんな場面に遭遇した。
確かに、どんだけ暑がってみせても、誰も助けてくれないもんね。

あ、例外がいた。
もうこれ以上は無理というくらい、堕落した姿で暑さをアピールしている猫。
動物も、人間と暮らすとダメになるんですね。
 

日曜日, 7月 28, 2013

もなかの寝技

彼には、自分の姿がオモロイということについての自覚があるに違いない。
偶然というにはあまりにも頻繁に、わざわざ人の目の前にやって来て、「ポテッ」と寝転んでみせるからだ。
張りのある大きな腹と、無力で短い脚のバランスが絶妙で、どうしても無視できない。

怠け心を諌め、さぁ外仕事するかと立ち上がりかけたときにこれをやられると、そのまま崩れ落ちてしまう。
そーですか、でもまぁPCくらい、と椅子に座ると、わざわざ机に上ってきてキーボードで寝る。
ようやく掻き集めた"やる気"が、ため息とともに漏れ出てしまう。
人間とは本当に弱いものです。

それにしても、君の狙いは何なんですか?
どーして行く先々についてきて、"寝てみせる"んですか?













PCの隙間に寝てみる

水曜日, 7月 24, 2013

やぎさんゆうびん

前々から、ここで触れなければと思っていた。
昨日、食い過ぎで膨張したトトの腹を眺めていて、フとそのことを思い出した。


やぎさんゆうびん(詞まどみちお)

しろやぎさんから おてがみ ついた
くろやぎさんたら よまずに たべた
しかたがないので おてがみ かいた
さっきのてがみの ごようじ なあに

くろやぎさんから おてがみ ついた
しろやぎさんたら よまずに たべた
しかたがないので おてがみ かいた
さっきのてがみの ごようじ なあに  (以下、繰り返し)


なんて、ぐれーとな歌詞なんでしょ。
まず、出だし。
普通だったら「白やぎさんが手紙を書いて黒ヤギさんに送った」と説明したくなるところを、全部すっ飛ばしていきなり「しろやぎさんから おてがみ ついた」である。
この一行で見事に物語が立ち上がっている。
ばかりか、ヤギ社会に郵便システムがあるという不条理世界をあっさり成立させてしまうという力技...
文章的に唯一欠けている「手紙を受け取ったのは誰か」を示す主語は、次の行でごく自然に補われている。

「くろやぎさんたら よまずに たべた」

まったく無駄が無い。なんちゅー匠。
ここで見逃せないのは、「は」の代わりに用いられた「たら」である。
この助詞一つで、食いしん坊でうっかり者という黒ヤギさんの性格と、それでも皆に愛されているらしい、ということが推測される。
寝物語として子供に読み聞かせている(できれば南沢奈央みたいな)若いおかあさんの「あらあら、黒ヤギさんたらしょうがないわねぇ」という微笑みまで目に浮かぶではないか。
「よまずに たべた」という簡にして要を得た表現もすばらしい。

そして、起承転結の転に当たる3行目に「しかたがないので おてがみかいた」と来る。
まいった。
これも普通だったらば「はて、白ヤギさんの用事は 何だったんだろう?と疑問に思った黒ヤギさんは 白ヤギさんに手紙を書くことにしました」くらい説明したくなるところを、「おてがみ かいた」で済ましてしまう。
逆に、このギリギリまで切り詰めた歌詞の中で「しかたがないので」という長いフレーズを使うのは随分と勇気がいったと思うが、そこに黒ヤギさんの深い諦念と悲しみが伏流しているようで、そう思えばもうこれ以外の選択肢は考えられない。

極めつけが最終行の「さっきの てがみの ごようじ なあに」
これにより、直線的に進行してきた歌詞に繰り返しという運動性が加わり、「永遠」の概念が導入される。時空間が一気に宇宙レベルにまで広がる。
しかも、悠久の時が流れても、おそらく最初の手紙の内容は謎のままなのである(量子力学的にはわかるのかもしれない)。
その境地はもはや、哲学や宗教的法話の域にまで達している。

おそらく何万人を超える童子が、笑い転げながら「終わりそうで終わらない」遊びをしたはずである。
その童子は知らず知らずのうちに、輪廻転生や曼荼羅といった東洋的宇宙観や、コミュニケーションの人類史的本質について学んでいるのである。

おそるべし、やぎさんゆうびん。 

木曜日, 7月 18, 2013

前半戦終了

おっさん臭いプロ野球に入れこみ、贔屓チームの勝敗に一喜一憂する自分があまり好きじゃないので、できればもう卒業したいのだけれど、実際問題これがなかなか難しい。

ここ数年、シーズン開幕から5月くらいまでは自分でも意外なくらい醒めていて、ああ、またやってら、今年もごくろうさんですね、と関係者をいたわるくらいの距離感があるのだが、球宴前後のこの時期になると、もうリアルタイムで試合を観戦できなくなるくらい、勝敗にこだわっている自分がいる。
一体、これはどういうことなんだろう?

一つのエピソードを思い出した。

もう30年近くも前、会社に入ったばかりの頃、近くの席に2年上の先輩がいた。
その先輩は、細身の身体をトラッドファッションで隙なく固め、年若いながらも冷静かつ理知的、メガネを光らせて会議で発言すると居並ぶ上司たちも一目置くという存在だった。

あるとき、その人が巨人ファンだということがわかり、新人で阪神ファンだった自分とバトルを繰り広げることになった。
とはいってもトラッド青年対公家の闘いなので、はしたない口論などにはならない。
第三者はまったく気付かなかったと思う。

しばらくは憐み攻撃(「エラーにも味があるよね」とか「昨日の先発、、、ふっ、、、」みたいに、相手を効果的に傷つける言葉を呟き、あとは寂しげに微笑んで相手を見つめる)の応酬が続いたが、そのうち、スポーツ新聞攻撃というのが開発された。
前の晩に相手の贔屓チームが負けたとき、駅でできるだけ下品なスポーツ新聞を購入し、相手の出社前に机の上にそっと置いておくという、骨の折れる攻撃だった。
この効果は案外大きくて、半日は嫌な気分が持続した。
つまりはスポーツ新聞の見出しというのが、それくらい人の心をざわつかせるように書かれているということなのだろう。
そんなことをほとんど1シーズンの間繰り返して、そのうち、何となくやめた。

これくらい、何の教訓も反省も得られないエピソードも少ないが、その頃の思い出としては一番鮮明に記憶している。
プロ野球とは、まあざっとそういう存在なのだろう(はぁ?)。
 



木曜日, 7月 11, 2013

へび×2

使わなくなった防鳥網を、ぐるぐるっと巻いて、ログ小屋の横に置いといたですよ。
そこが草で鬱蒼としてきて、いやーな雰囲気になってたですよ。
そーゆー薄暗くてややこしいところが好きだから。

案の定、いました。
ぶっとい青大将。
近づくと、ずるずるびくびく胴をくねらせ、逃げていこうとする。

去る者は追わない主義なので、そおっと後ずさりしてその場を離れる。
そのすきにきれいさっぱり、できれば地の果てまで逃げていってほしかったのに、数分して見に戻ってみると、まだそこにいる。

ちょっと様子がおかしい?
逃げてるんじゃなくて、グネグネしてるだけのような。
勇気を振り絞って近寄って見ると、頭の部分に網が絡みつき、もがいていたようです。
防鳥網がヘビのワナになっちゃったんですね...

かわいそうですが、私にはどうすることもできない。
少なくとも一か月はその場所に近づかないから、その間に朽ち果てるか、あるいは自力で逃げるかするように。

と、決意して平穏な日常が戻るはずだったが、まだどことなく違和感がある。
そのヘビ、異様に胴が長いのか、やたらこんがらがっていて、この世のものとは思えないほど禍々しい。
気のせいか、端っこ(尻尾の先)が2つあるように見える...
オーマイガッ!!
もう一匹いる!

元のヘビに絡みつくようにもう一匹いました。
一瞬、喧嘩してるのかと思ったが、片方はすでに動かなくなっている。
やはり網に絡まって抜けなくなり、一足先に息絶えたらしい。


もう勘弁してほしい。
網に絡まるのは勝手だが、なんで、わざとらしく目につくところでやるのか。
暑いのに鳥肌が立ちっぱなしで、気分が悪くなってくる。
お願いだから、早く成仏してください。

...と、半泣きで祈ったのが一昨日。

今朝、「放っておくと臭い」というHiroが、まだうにょうにょ動いてるヘビの絡まった網を無理やり引っ張り出し(ひえぇぇ~っ!)、ゴミと一緒に燃やしてしまった。
いや、もう、ほんと、何という人でしょうか...