木曜日, 7月 18, 2013

前半戦終了

おっさん臭いプロ野球に入れこみ、贔屓チームの勝敗に一喜一憂する自分があまり好きじゃないので、できればもう卒業したいのだけれど、実際問題これがなかなか難しい。

ここ数年、シーズン開幕から5月くらいまでは自分でも意外なくらい醒めていて、ああ、またやってら、今年もごくろうさんですね、と関係者をいたわるくらいの距離感があるのだが、球宴前後のこの時期になると、もうリアルタイムで試合を観戦できなくなるくらい、勝敗にこだわっている自分がいる。
一体、これはどういうことなんだろう?

一つのエピソードを思い出した。

もう30年近くも前、会社に入ったばかりの頃、近くの席に2年上の先輩がいた。
その先輩は、細身の身体をトラッドファッションで隙なく固め、年若いながらも冷静かつ理知的、メガネを光らせて会議で発言すると居並ぶ上司たちも一目置くという存在だった。

あるとき、その人が巨人ファンだということがわかり、新人で阪神ファンだった自分とバトルを繰り広げることになった。
とはいってもトラッド青年対公家の闘いなので、はしたない口論などにはならない。
第三者はまったく気付かなかったと思う。

しばらくは憐み攻撃(「エラーにも味があるよね」とか「昨日の先発、、、ふっ、、、」みたいに、相手を効果的に傷つける言葉を呟き、あとは寂しげに微笑んで相手を見つめる)の応酬が続いたが、そのうち、スポーツ新聞攻撃というのが開発された。
前の晩に相手の贔屓チームが負けたとき、駅でできるだけ下品なスポーツ新聞を購入し、相手の出社前に机の上にそっと置いておくという、骨の折れる攻撃だった。
この効果は案外大きくて、半日は嫌な気分が持続した。
つまりはスポーツ新聞の見出しというのが、それくらい人の心をざわつかせるように書かれているということなのだろう。
そんなことをほとんど1シーズンの間繰り返して、そのうち、何となくやめた。

これくらい、何の教訓も反省も得られないエピソードも少ないが、その頃の思い出としては一番鮮明に記憶している。
プロ野球とは、まあざっとそういう存在なのだろう(はぁ?)。
 



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