金曜日, 3月 09, 2018

勉強しません

ここに書いても詮ないことだが、あんまりメディアが書かないから書くのだけれど、今、高校教育がエライことになっている。
もう、信じられないくらい学力が低い、勉強もしない、だけど大学には行く、、、のだそうだ。
ある私立高校に勤める知人がいて、トンデモな実態を教えてくれた。

その高校には進学と普通の2コースがある。
勉学できる子は進学コース、そうでない子は普通コースという、私立ではわりとよくあるパターンである。

進学コースでは、難関大学を目指してひたすら受験対策に勤んでいる。
それが良いか悪いかは別にして、まぁ見慣れた光景ではある。

問題は普通コースだ。
クラブに賭けてる連中はしょうがないとして、そうでない生徒たちがもう完全に勉強のモチベーションを失っているという。
成績が悪くて進学を諦めたからではない。
そうではなくて、誰でも大学に行けてしまうからだ。

最近では多くの(いや、たぶん全ての)私立大学が、AO入試や指定校推薦と呼ばれる推薦入学枠を用意している。私大合格者の40%が推薦枠という数字もあるから、入学者の過半数が推薦という大学も珍しくないだろう。
しかも大学の数がこれまた多いものだから、こんな地方のパッとしない高校にも山のような推薦依頼が届く。

本来、推薦入学というのは、特定の分野で高い能力を持った生徒に対して、一般試験以外の門戸を開くことが主旨だと思うが、はっきりいって公募の推薦以外は、学生の頭数を確保する手段以外の何物でもない。
これは、授業料のためならなりふり構わないというか、かなり恥ずかしい実態だと思うのだが、声を大にして言う人はあまりいない(言論人の多くが、何らかの形で大学に関わっているからだろうか?)。

もちろん、各大学の推薦枠は限りがあるから、誰もが希望通りに応募できるわけではないが、大学さえ選ばなければ、志願者はほぼ全員が推薦を受けられる。しかも、一旦推薦が得られれば、よほどのことがない限り取り消されることはない。
学費の心配さえ無ければ、あとは大学生活の開始を余裕で待つばかりである(先の高校は、裕福なご家庭が多いらしい)。

しかも、さっき「大学さえ選ばなければ」と言ったが、実は、推薦依頼を出してくる大学の中には難関と言われる有名どころ(関西で言えば、関関同立みたいな)まで含まれている。
希望枠は成績順で埋まるから、そういう大学の推薦を狙って、わざとランク下の高校に入ってくる生徒もいるらしい。
入試で落ちた優秀な学生を尻目に、な~んも勉強しなかった◯カ学生が面接だけで入学するという、アンフェアな逆転現象も生じている

わずか数年とはいえ、将来の安楽が保証されている若者がいかに傲慢で怠惰になるか、知人は授業をしながら日々実感しているそうである。
「マジメなやつはカッコ悪い」という伝統的な風潮もあるだろうが、もう教師なんかそこにいないかのような態度で授業を邪魔する。
だったら学校に来なきゃ良いのに、と思うが、そーゆーやつに限って毎日せっせと通ってくる。
出席が不足すると推薦に響くからだろう。

で、高三にもなって、My father (am are is) an English teacher. レベルの問題に首をひねっている。
いや、問題を解く前に、問題文の意味が理解できているのかどうかすら怪しい。
こーゆーのが大学に行って、一体何をするというのだろう?

水曜日, 2月 28, 2018

胸焼けしないんですか?

第一胃にある未消化物を口中に戻し、再び咀嚼する行為を反芻という。
ウシが有名だが、ヒツジやヤギも反芻する。
アルパカもする。

陽だまりで箱座りしながら、喉のあたりがぐびぐびっと動いたかと思うと、ゆっくりと咀嚼が始まる。
残った固形物をすりつぶすように、下顎が左右に動く。

最近フと思ったのだが、これってもしかして、ものすごく幸せなんじゃないだろーか?
飢えを凌ぐとか敵から逃げるといった差し迫った用事もなく、もうすぐ栄養になろうかという柔らかな未消化物を、口中に戻したりまた飲み込んだり、、、
味はもちろん、香りや喉ごしも思う存分楽しめる。

その間、思い出に耽るのもいいし、嫌いな群仲間をdisってもいい。
2年前に食べた、最高の出来の最高の青草を思い浮かべるのもいいかもしれない。
「充足」とか「至福」という言葉は、こういうときのためにあるのだと思う。

実のところ、反芻がどんな感覚なのか、人間には想像することもできない(少なくとも、ゲロがこみ上げてくるのとは違うと思う)。
ただ、リラックスしまくりの姿勢と目を細めた表情からは、「満ち足りた」感が濃厚に漂っている。

充実した仕事の後の、あるいは重い緊張から解放されたときの、薫り高いコーヒーの一服に似た感じじゃないかと、勝手に思っている。


木曜日, 2月 08, 2018

観察日誌

2月8日(木)晴れ

アルパカさんのうんちはね、ウサギさんみたいにコロコロなの。
でも、まん丸じゃないの。
しいの実みたいにちょっと細長い。

朝にはね、黒~いうんちのお山が、あっちこっちにできるの。
あっちにひと山、こっちにひと山、そっちにひと山、向こうにひと山・・・。

それを熊手で集めて、ちりとりに入れて堆肥置き場に捨てるのが、まろさんの大切なお仕事。
アルパカさんたちは、ちょっと遠巻きにしながら、不思議そうに眺めてる。

でもこの頃は寒くって、うんちがカチコチに凍ってる。
だから熊手が跳ね返って、なかなか集められないのね。

しょうがないからガリガリ引っかいてると、ちょっとずつ剥がれて、地面の上をコロコロ転がっていく。
熊手を持ったまろさんは、転がるうんちを目で追いながら、口の中で「もーいや」とか「ばかやろう」って呟いてる。

それを見ていた私は、地球人って意気地がないなぁって思いました。


金曜日, 2月 02, 2018

ロイコクロリディウム

宇宙人のことを考えていて、「カタツムリを操る寄生虫」のことを思い出した。

この寄生虫は鳥の体内でないと成熟できないので、中間宿主であるカタツムリが捕食されやすいよう、アレやコレやの策を労する。
まず、宿主を目立たたせるために、ツノとかヤリと言われる触覚のあたりに移動し、プロジェクトマッピングよろしくギラギラ動く模様を浮き上がらせる。

どう見ても散髪屋のサインポールだが、せっかくのサインも、空から見えないと意味がない。
そこでこいつは、どこにどう作用するのやら(たぶんカタツムリの神経系に働きかけて)、葉っぱの表側など、普段は避けるような位置に宿主を誘導する。

この何重もの努力により、首尾よく鳥に捕食されると、めでたく子孫繁栄できるのである。
なんとなく、自分の墓穴を掘らせる捕虜収容所の強制労働を連想させるが、暴力や権力を介さない分、より洗練されているとも言える。

ロイコクロリディウム

この気色悪さは、そのままSFネタに使える。

ある考古学者が人類の歴史を調べていて、類人猿からホモ・サピエンスに至る進化のどこかに、DNAレベルの干渉があった証拠を発見する。
すわっ地球外生物か!?というわけで世界中が興奮し、考古学、生物学、宇宙学、物理、化学、心理、宗教、哲学など、多方面の専門家が参加する調査プロジェクトがスタートする。

やがて考古学&生物学の混成チームから、重大な発見が発表される。
なんと、件の生物が類人猿の脳内に寄生していたらしいこと、さらには宿主の行動をコントロールしていた可能性があるというのだ。

勢いづいた研究チームは、二足歩行、言葉、道具、火の利用、群生活やサバンナへの大移動など、人類が人類たる所以となった行動を始めた時期には、常に寄生虫が存在していたことを突き止める。
この時点で、研究は世界的なブームとなり、一部は熱狂レベルにまで達する。

しかし、大脳新皮質の急速な発達そのものが寄生虫の共生作用によるもの、という仮説が立てられるに及び、研究ブームは一気に終焉に向かう。
「人は主体的・自律的に考えて行動する」という一神教的な人間観と、どうにも相性が悪くなってきたからだ。文明推進のエンジンでもあった「人としての尊厳とプライド」が、それ以上の真相究明を阻む皮肉な結果となったのである。

ただ、研究ブームが下火になってからも、自分そのものと信じて疑わなかった理性や思考が、他生物のものだったかもしれないという疑念は、人々の潜在意識に強い影を落とすことになった。
有名なコギト命題「我思う、ゆえに我あり」は、「我思う、ゆえに我あるんやと思う」と歯切れが悪くなってしまった。
少なくとも、「脳は脳の欲望に従って行動するのであって、必ずしも自分自身や、ましてや隣人や世界のためではない」ことは、誰もが意識するところとなった。

人はなぜ働く?
人はなぜ争う?
人はなぜ愛する?
人はなぜ挑戦する?
人はなぜ宇宙を目指す?
人はなぜ頑張る?
人はなぜ夢みる?
人はなぜ・・・?

これら人の成り立ちや行動原理に関わる問には、模範回答が無く、一生かけて各自が自問し続けるものと相場が決まっていたが、「もしかしたら寄生虫のせいかも~」という安直な回答が可能になってしまった。

まったくもって困ったことである。

木曜日, 1月 18, 2018

脚立から落ちた

生まれて初めて気を失った。

ドラマで山ほど気絶シーンを見かけるので、すっかり身近に感じていたが、考えてみたら自分で経験するのは初めてだ(そういう人は案外多いと思う)。

状況はシンプルで、脚立に乗って木を刈っていて、そこから落下したらしい。
記憶にあるのは、枝を切り落とした瞬間までで、その直後から意識が途切れている。
だから、枝が倒れかかってきたのか、脚立が倒れたのか、自分で足を踏み外したのか、はたまた先に失神して落下したのか、何が原因かはわからない。
誰かに殴られたのでないことだけは確か、、、とも断言できないか。なんせ知らないんだから。

身体は冷え切ってなかったので、意識が無かったのは数分か、せいぜい10分以内だと思う。
意識が戻ったときの感覚は、居眠りから目覚めたときと変わらない。
ただ、何が起こったのかわからないだけだ。

最初に感じたのは、辺りの静けさと柔らかな冬の日差し、頬の下の乾いた落ち葉と芳ばしい匂い、などである。地面に伸びた右手の先に、チェンソーが転がっているのが見えた。
近くにいた犬たちが、心配そうにこちらを覗き込んでいた、、、のなら可愛いのだが、みな知らん顔で寝そべっていた。

辺りの情景をこんな印象で記憶しているということは、心の方もまぁまぁ平穏だった、ということだろう。
「気を失う」ことには、パニックを防ぐ安全装置みたいな機能があるのかもしれない。
たまたま大事に至らなかったから、のん気なことが言えるのだけれど。

それからのことも、もやがかかったように記憶があいまいだ。
家に誰もいなかったので、自分で部屋に戻り、作業服を着替え、コタツをセットして横になった。
そういう行動を記号的には覚えているが、どんな気分でどうやったかなどが判然とせず、どこかリアリティが無い。
もっともらしい記憶を、後づけで作ったのかもしれない。

どこかが痛いというより、とにかく身体が動かし辛く、何をするにもひどく時間がかかった。救急車を呼ぶことも考えたが、自分で動けるのになんか申し訳ないような気がして、結局やめた。
頭に外傷が無いことだけは、何度も確認した。

それが、木曜の午前中だったから、これを書いている時点でもう一週間が経っている。
今はどうかというと、まだ腰が痛くて寝返りも打ち辛いが、それでも日常生活にはほとんど支障が無い程度になった。
土曜日にはHiroさんに引っ張られて病院にも行ったが、まったく異常無しという診断であった。

あとは月日が笑い話に変えてくれるだろう。
それにしても、自分に何が起こったかわからないというのは、もどかしく、また不安でもあるけれど、考えてみればこうして生きているのだって、似たような状況なのかもしれない。
ということは、今のあり様を感謝して、目一杯それを享受するしかないわけやね。
りょーかい。

火曜日, 1月 09, 2018

宇宙人ふたたび

宇宙人のアイデア、思い出した!
「遺伝子を持たない」ことだ。

つまり個体ごとに姿形や性質が異なっていて、これといって似たところが無い生物。
強いて言えば、特徴らしい特徴が無いことが特徴だ。

見た目はもちろん、知能も言語も異なるから、本人たちでさえ仲間かどうかわからない。
唯一の手がかりは、太古から連なる深層的な記憶(集合的無意識とゆーやつ)を共有していること。
だから普段はとりとめなく暮らしているが、何か事があって心の深いところで共感すると、初めて種としてのアイデンティティに目覚めて団結するという、面倒臭い生物である。

思いついた時は、これ、スゲーじゃん?って思ったけど、書いてしまえばそれほどでもない。
忘れてしまうだけのことはある。

ただ負け惜しみすると、このアイデアの本当の狙いは「目新しい宇宙人像の提案」ではなくて、これを読んだり聞いたりした側が、この宇宙人を宇宙人として認知できるか?という挑戦的な問を投げかけるところにある。
カテゴライズできないものを物語の主題に据えたらどうなるんやろ?という思考実験でもある。(どーにもならない気もするけど)
森羅万象を分類してラベル付けし、それでもって世界を理解しようとするのが、人間的な知性の「型」だと思うからだ。
まぁそれが不発に終わったとしても、国籍とか民族とかLGBTとか男女とか老若とか貧富とか、自分たちのことですらやたら分断したがる昨今の風潮の批判にはなりそうな気がする。

と、ここまで書いてきて、新しい宇宙人像を思いついた。
知性の型が人間とまるで異なる、というのもアリじゃないかと。

「感情が無い」くらいだったらミスター・スポックが近いけど、彼にしたってエンタープライズ号のスタッフになるくらいだから、考え方は人間そのものだ。
そんなんじゃなくて、もう論理やら認識やら感覚やら記憶やら、一切合財がヘンテコなの。
それはさすがにまだ考案されてないと思う。
自分と違う「知性の型」を発想したり説明したりすることは、絶望的に難しいからだ。

言語は人間的知性そのものだから、小説や物語の形式で表現することはまず不可能だ。
可能性があるとしたら、映像や音くらいか。
ただし、受け手が何か解釈できたり納得できたりしたら、それは知性の型が異なることにはならないから、全く意味不明だけど心がザワつくような「作品」が必要かもしれない。
あるいは逆に、いくら見ても何の印象も残さない像とか。

挑戦してみる価値はあると思う。

日曜日, 1月 07, 2018

ひつじのにく

羊を飼い始めて13年、初めて肉にした。

「飼育した家畜を食べる」ことは、ファーム開設の当初から漠然と頭にあった。
畜産農家じゃないし、エコや自給自足や自然食にこだわるタチでもないから、敢えてする必要も無かったのだが、できるだけ身の周りのものを口にしたい、くらいの気持ちはあった。
最初に羊を分けてもらったとき、牧場にいたおっさんに不要になった羊の後始末について尋ねたところ、「どうか食べてやってください」と言われたことが、ずっと心に引っかかっていた、、、というのもある。
ただ、実際には何やかやと壁があって、なかなか実行には至らなかった。

一番のネックは「自分でできない」こと。
四つ脚はもちろん、鶏やカモですら、どうしたらいいかわからず、考えただけで途方にくれてしまう。たぶん、できるかどうかではなくて、やるかやらないかだけの問題なのだが、その一歩がなかなか踏み出せない。

移住した当初、鶏を捌くくらいは近所の人ができるやろと軽く考えていたが、誰に聞いても「おじいちゃんくらいまでは、自分らでやってたんやけどねぇ・・・」と、同じ回答が返ってきた。
こんな田舎でも、ここ1~2世代の間に、その手の知恵やスキルが綺麗に一掃されてしまったということだ。
しかも、食卓には、昔も今も変わらず鶏肉があるのだから、その変化は極めて巧妙かつスムーズだったことになる。
環境変化というと、どうしてもスマホなどの先端技術に目が行ってしまうが、実は「自然から遠ざかる」変化の方が、ずっとドラスティックなのかもしれない。

それは、さておき、、、
仮に自分で肉におろせたとしても、許可が無くては、販売することも食事として客に出すこともできない。
屠殺して肉を販売するためには食肉処理業と食肉販売業、加工するためには食肉製品製造業、食事として提供するためには飲食店営業の許可がいる。
もちろん、どの許可にもそれなりの施設と知識が必要で、一個人にはハードルが高い。

次善の策は業者や専門機関に依頼することだが、このやり方がまたわかりにくい。
手続き自体は複雑でもなんでもない。
ただ、情報が少ない。
ネットを調べても、法令や規則などは出てきても、具体的にどう動けばいいかという情報は皆無に等しい。
人に尋ねようにも、誰に聞けばいいのかわからないし、ようやく聞けたとしても、その回答がまたステキなほど要領を得ない。
どうやらこの業界、一般人や個人の利用は想定されていないらしい。
日本では古来、食肉やそれに絡むプロセスを忌み嫌い、人目から隠そうとする風儀があったが、その名残があるのかもしれない。

そうこうするうち、たまたま同じ市内に屠殺→枝肉(骨付きのでっかい肉塊)処理をやってくれる、公的な施設があることがわかった。
これは結構ラッキーなことで、家畜は生きたまま持ち込まないと処理できないので、近ければ近い方がありがたい。
ただ、やっぱり手順はわかりにくい。
何日前に申し込んだらいいか、1頭からでも引き受けてもらえるのか、家畜は何時どんな状態で持ち込めばいいのか、どれくらい時間がかかるか、枝肉はどれくらいの大きさでどんな状態で渡されるのか、、、
確認したいことが山ほどあって、できるだけ役所や施設で聞いて回ったが、それでもわからないところは見切り発車することにした。

残ったのは枝肉を小分けする作業で、これは自分たちで何とかしようと覚悟を決めていた。
しかし保健所に相談に行くと、みわファームでは施設の要件を満たさないという判断で、待ったがかかってしまった。
またもや心が折れかけたが、結局、そこも他の業者(近所の焼肉屋さん)にお願いすることになり、これでようやく、か細い道が一本つながった。
ふぅ。

で、羊を送り届けて5日後、返ってきたのは、骨を外され、血抜きもされた綺麗なお肉。
見た目で言えば、スーパーに並ぶブロック肉と変わらない(かなりでかいけど)。
これなら小分けして冷凍しておいて、少しずついただくことができそうだ。

そこまでが一ヶ月ほど前のこと。
以来、煮込んだり焼いたりBBQにしたりオーブンに突っ込んだりと、いろんな調理法で食べた。
量が半端じゃないので、親や知り合いにも声をかけ、協力してもらった。
なかには、生前の羊をよく知っていて、変わり果てた姿を見てボロボロと涙を流す人もいた。
そういうことも、大事かもしれない。

問題は味で、もういい歳のオス(去勢)だし、食肉用に肥育したわけでもないから、めちゃ固かったり臭かったりする可能性は大いにあった。
そうなると、あとは犬の餌にするくらいしか、利用法を思いつかないが、それでは羊に申し訳ない気もする。

幸い、覚悟していた臭みもなく、むしろ「美味しい肉」の部類に入る味であった。
少し固かったけれど、個人的にはその方が好みだし、しっかり煮込めばトロトロになる。
ありがとう、○○くん。
これなら、定常的にサイクルを回していくことができそうだ。
でも、羊に名前をつけるのは、もうやめた方がいいかもしれない。

土曜日, 12月 23, 2017

まだ誰も考えたことのない宇宙人

「新しい宇宙人を思いついた」という書き出しの、自作のメモを発見した。

ファイル作成日が今年の11月15日だから、ほんの1ヶ月とちょっと前だ。
そう言えば、フとそんなことを思いついて、ああ、オレ天才ちゃうか!?、と勢い込んでメモしたような気がする。
ただ、すぐに飽きてしまったようで、途中でぶった切れている。
メモの内容がこれ↓

―メモ―

新しい宇宙人を思いついた。
これまで、小説や映画でものすごいバリエーションの宇宙人が造形されてきた。
人間型、動物型、魚型、イカ型、昆虫型、寄生虫型などはもちろんのこと、基本元素が炭素ではなくケイ素や鉱物であるものや流動体まで創造されてきた。
生身の身体という概念を越えようと、惑星や星雲自体が生きている、という発想もあった。


スタートレックは実はあまり観たことがないのだが、なんとなく意識だけとか、スピリチュアルなのが得意そうな気がする。
時間軸を合わせた4次元空間に棲む生物というSFも読んだことがあるが、これは頭の中にまるでイメージできなくて困った記憶がある。


でも、どの宇宙人も、

―メモ終わり―

最後に「でも、どの宇宙人も、」と書かれているから、これまでの宇宙人イメージの共通点を挙げて(あるのか?そんなもん)、「しかし、○○のような宇宙人は誰も発想してこなかった」と続けるつもりだったに違いない。
残念ながら、肝心なところをすっかり忘れてしまっている。

何を思いついたんだろう、、、1ヶ月前の自分。
ありとあらゆる宇宙人の共通点って何だ?
それを踏まえた新しい宇宙人像って?

うぅ、すっげー気になる。
まぁ忘れるくらいだから、大したアイデアでもなかったんだろうけど。

水曜日, 12月 20, 2017

手袋の陸王が欲しい

手がじっとりしてきたら、テンションダダ下がり...
冬の朝の作業。
どんな手袋をしても、魔法のように水が侵入してきて、すぐに指先がジンジンしてくる。
その状態でウンコ掃除なんかしてたら、東海林さだおの漫画みたいな情けな~い気分になってくる。
上着や長靴にも気を遣うけれど、冬の装備で一番苦労するのが手袋だ。

たぶん、中途半端な寒冷地というのがアカンのやと思う。
日が昇ると霜や氷が溶けて、地面、フェンス、餌箱、その他手に触れるもの全てがぐちょぐちょになる。
もっと寒かったら、凍ったものは凍ったままなわけで、あとは正々堂々と寒さに挑むだけだ。
なんか潔い。
それがちょいとでも温むと、途端に泥仕合になって、悲哀とか恨みとかが水と一緒に忍び込ん
でくる。

これまでありとあらゆる手袋を試してきたが、いくら防水が謳われてても、縫い目から入ってくる湿り気は防げない。
じゃあと言って外作業用のゴム手袋も着けてみたけど、結構ごつくて飼料袋の開封など細かい作業ができない。
結局、コスパも考えると軍手が一番という結論になり、ここ数年はそれで通してきた。防水性は0に近いけれど、できるだけ物に触れないようにしながら、濡れたらさっさと取り替えるという作戦で、なんとか乗り切ってきた。
もちろん、満足とは程遠い状態だ。

そんなこんなで、手袋問題はほとんど諦めかけていたところ、最近、え、これ最強ちゃうん!?と思える方法に出会った。
それが軍手と台所用ゴム手袋の重ね履き。軍手をはめた上から、ちょっと大きめのゴム手袋をつけるだけだ。
これが、結構いける。

優れポイントは、
・湿気が完璧に防げる。
・思ったより暖かい。
・軍手だと絡みついてくる干し草も、気にせず触れる。
・ゴムが薄いから細かい作業もこなせる。
・案外、丈夫(最近のゴム手って良くできてるんやね~)。
などなど。

おかげで、朝作業のユーウツ度が3割方改善した。
台所の神様に感謝。
ついでに、軍手インナー付ゴム手袋を商品化してくれたらうれしい。

それにしても、身体の末端の、しかも体表面積にして1%にも満たない指先が濡れただけで、なぜこんなにも気が滅入るのか?
掘り下げないといけないテーマやと思う。

木曜日, 12月 07, 2017

祝福と戒め

神は、人々が神のしもべであることの証に、髪の毛(神の子)を授けることとされた。
また神は、人々が神のしもべに過ぎないことの証に、その髪を少しずつ奪うこととされた。


・・・要するに、


神様っていぢわる.


火曜日, 12月 05, 2017

絶対音感と犬

養老孟司が新しい本を出したと聞いて、久しぶりに本屋に行った。
別に熱心な読者ではないけれど、「遺言。」なんてタイトルをつけられたら、スルーするのも申し訳ないかなぁ、、、とうっかり思ってしまったのだ。
で、殊勝な心持ちで読み始めたら、いきなり「当面死ぬ予定はない」とか「この本も『遺言1.0』とでも呼んだ方がよい」などと書いておる。
"まんまとじーさんに一杯食わされた"感が強い。ちっ

でも、本文冒頭にはおもしろいことが書いてあった。
犬猫の聴覚は絶対音感だと。
つまり彼らは、たとえ同じ声符であっても、音の高低によって、違うメッセージとして捉えている可能性があるということだ。

え、そ、そうなの!?
知らなかった...
そーゆー大事なことは、早く教えてくれないと困る.

そうと知ってたら、「コマンドわかってるくせに無視しやがって!」とムカつかずに済んだかもしれないのに。犬は音の違いに混乱しただけかもしれないのだから。

そういえば、いろいろと思い当たる節がある。
例えば、一般にかけ声よりも笛やクリッカーの方が犬の反応が良いと言われているけど、音程の安定度を考えると、なるほどそーゆーことだったのね、と思える。
(もしかしたら犬笛より、音階のあるチャルメラの方がええんちゃうん!?)
また、「訓練士の指示には従うのに、飼い主は無視する」という類の話は、単に指示が指示として聴こえてないだけかもしれない。飼い主がナメられてるのでは!?といきり立つ前に、検討してみる価値はある。

あと、しつけの心得の一つに「叱るのはいいが、腹を立ててはダメ」というのがあるが、これも怒りで犬が萎縮するから、という他に、声色の変化で何言ってるのかわからなくなる、という理由もありそうだ。
絶対音感を想定しただけで、いろんな気づきやヒントが得られる。

ただ、じーさんの言うことだから、ホントかどうかはわからない。
でも実のところ、そこはどっちでもいいと思っている。

コトバを操ることが息をするくらいフツーの私たちには、自分の「マテ」と他人の「マテ」が違って聴こえてるかも、、、なんてことはまず想像できない。
「いや、ウチの犬はよくコトバを聞き分けるよ」と言う人は、それが犬の努力の賜物であって、人よりも大きな負荷がかかっているかもしれない、という可能性には思いが至らない。
この種の想像力の欠如こそ、「擬人化」と呼ぶべきだと思う。
絶対音感を考えてみることで、想像の裾野が少しでも広がるなら、それはそれで充分”アリ”だと思う。

ちなみに人間はどうかというと、なななんと、やっぱり絶対音感なんだそうだ。
解剖生理的にはそうなるらしい(耳の感覚器は、周波数によって違った部位が共振するようにできている)。ただ、コトバを学習する過程で、その能力が邪魔になるので、あえて使わないようにしているとのこと。
確かに、「あ」は誰が発声しても「あ」と聞こえるべきで、声の高低によって「い」や「う」に聞こえるようではマズい。

要は、動物界では絶対音感が普通で、例外的にその能力を抑制した動物が人間、という見方が実態に近いようだ。
人は、微妙な音を聞き分けて危険を察知することより、コトバによるコミュニケーションを優先した、ということだろう。

この文章も、コトバによって失われたものをコトバで補おうとするあたり、いかにも人間らしい営みだなぁと思う。
我ながら健気。

木曜日, 11月 30, 2017

テレビ壊れたし(3)

てな風にものを考えていると、この先、いくら解析的なアプローチを積み重ねても生命の実態に迫ることはできないんじゃないか、という気がしてくる。個人をいくら調べても、歴史や社会は見えてこないように。
ただ、私たちにとって「わかる」というのは、イコール「言葉に還元できる」ということであって、これは人類全体の叡智というよりは、西洋ローカルなドグマに過ぎない、ともいえる。
何か別の仕方で「わかる」ことができれば、案外すんなりと事は前進するのかもしれない。

いや、それとも・・・

もしかしたら今でも、私たちが何かとんでもなく大きな思い違いをしている可能性だってある。
例えば、生命というのは、ロボットを作るように複雑な仕組みを精緻に積み上げるのではなく、何か重要なポイントさえ押さえておけば、まぁ妥当なところに全体が落ち着いてくるような現象だったりするとか。
いや、さすがにこれはあまりに安直だけれど、まだ私たちの知らない重要な概念の2つや3つは、案外近くに転がっているような気もする。
この痒いところに後ろ肢が届かない感じを文章にするのは、本当に難しい・・・


ところで全然関係無いけど、TVといえばドクターXこと大門未知子が嫌い、ということは以前も書いた。

なぜって、単にあの仏頂面キャラがムカつく(米倉涼子は好きな役者さんだけど)というのもあるけど、一番ヤなのは、生命に対する畏れと敬意が感じられないところだ。
キメ台詞「私、失敗しないので」は、まぁ好意的に解釈すれば「絶対に患者を治すという決意の表明」なんだろうけど、一歩間違えば「失敗さえしなけりゃ何でも治せる」という思い上がりにつながる。
医学の権威には反抗するくせに、医学そのものは過信している。

何でそこに思い至らないかなぁ。
他の誰でもない医師こそが、医療の未熟や限界に自覚的であるべきちゃうん?
「手術が三度の飯より好き」って、ざけんなよっ、何でも切ったらええっちゅうもんやないやろ!!

すみません、興奮してしまって...
嫌なら観なきゃいーんだもんね。
ただ、いくら視聴率が稼げるからといって、「スーパー外科医」みたいな幻想を世の中に振りまくのだけは、もうヤメにしてほしい。
お願いしましたからね。

水曜日, 11月 29, 2017

テレビ壊れたし(2)

ちょうど今、NHKのドキュメンタリー「人体」シリーズが始まっていて、たまたま、第1,2回の「腎臓」と「脂肪と筋肉」を観た。

シリーズ全体を通じたテーマは、これまで中枢神経や心臓によってトップダウンにコントロールされると考えられてきた人体イメージを、各臓器が直接連携するネットワーク型で捉えなおすというもの。
例えば、「血中の酸素濃度が低下すると、腎臓がEPOという物質を出し、それが骨髄に作用して赤血球が増産される」みたいな仕組み。
脳や神経を介さず、臓器同士が「ダイレクト」に、「メッセージを交換」するところがミソ。
多くの臓器がネットワークに参加しており、同定されたメッセージ物質は数百種にも及んでいる。
その機構を解明し治療や創薬に応用することが、現代医学の最先端研究領域なんだそうだ。

この手の話に触れるたび、いつも2重の絶望感に見舞われる。
一つは、生命の仕組みがあまりに精妙なことによるものだが、もう一つは、私たち人類は一体いつまで新発見すればいいんだろう?という絶望だ。

人類はその歴史が始まって以来、かれこれ何千年も心身を研究してきて、相変わらず「驚異の新発見」に驚き続けている。このシンプルな事実にまず打ちのめされる。
研究が収束に向かっているならまだしも、むしろ謎は深まりつつある。この先、いつ「もう大体この辺でええやろ」的な状態になるのかわからないし、そもそもそんな境位が存在するのかどうかすらわからない。

今、急に宇宙人が訪ねて来て「あなた方の身体ってどうなってるんですか?」と聞いてきたら、どう答えたらいいんだろう?
「いや、その話はまた今度・・・」なんて口ごもってたら、実はイラチだった宇宙人に解剖されてしまうかもしれない。
心配のタネは尽きない。

仕組みの精妙さに対する絶望感も深い。
遺伝、代謝、免疫、老化、運動、知覚、、、どんなトピックを持ってきても、ちょー複雑だし、しかも気が遠くなるくらいうまくできている。

その複雑さゆえか、身体機能の説明には、「白血球が細菌を攻撃する」とか「悪玉コレステロールで血液がドロドロに」みたいな比喩的な表現がよく使われる。おかげで、私たちはとりあえず知った気になれるけれど、それが実際にはどんな現象なのかを理解しているわけではない。
「身体の設計情報は遺伝子に書き込まれている」ことは、今なら小学生でも知ってるが、じゃあ誰がどんな風に情報を読み取って、それがどう作用して必要なタンパク質が合成されるのか?と聞かれて、答えられる人はまずいないだろうし、そもそも、そこまできちんと解明されているんだろうか?

様々な性質の有機物が寄り集まってるだけなのに、何でこんなにうまく連携して機能しているのか?
別に正確じゃなくてもいいから、実感として生命の営みを把握してみたいと、一年に二回くらいは思う。

火曜日, 11月 28, 2017

テレビ壊れたし(1)

8年間苦楽を共にしたTVモニタが壊れた。
あと10年くらい働いてもらおうと思っていたのに、一月ほど前、画面の一番下にノイズラインが出るようになったかと思うと、それがちょっとずつ上に侵食してきて、最後にはちゃんと映ってる部分が5cmくらいになってしまった。
さすがに我慢できなくなって、ヤマダ電器に持っていった。

店員の回答は芳しくない。
7年の保証期間は超えてますねぇ、、、画像センサが壊れてます、、、修理はメインボードを取り替えるしかない、、、ざっと10万は覚悟してください、、、買い換えた方がお得かと、、、まぁTVの寿命は5,6年と思っといてください、、、みたいなことを、立て板に水のごとく説明される。
画像センサって何?とか、寿命が5,6年とか誰が決めたん!?とか、言い返したいことは山ほどあったが、ここでゴネて事態が好転するとも思えず、大人の態度で引き下がった。

たぶん原因は、どこか一箇所が断線したとか、ICチップが不調になったとか、ほんのちょっとしたことだ。でも、それを突き止めたり修理するようなシステムが、もうメーカには残っていないのだろう。
店員が言うように、ボードを丸ごと交換するしかないのかもしれない。

で、TVの話が広がるかというとそうでもない。
実は、こういうことがあるたびに生き物ってスゴいと思っていて、そっちの話を書きたかったわけです。

どこがスゴいかというと、例えば、キカイだと部品が1個壊れただけでダウンしたりするけれど、生き物は、一部(とゆーよりアチコチ)が具合悪くなっても、どうにか平衡を保って動き続けたりするところ。
懐の深さが全然違う。
部品と細胞を比べたら、前者の方が圧倒的に堅固なのに、全体で見ると生物の方が丈夫だったりする。
(壊れやすいことを前提にして)細胞は常にスクラップ&ビルドされていることや、欠陥が出ても他の細胞がカバーしたりするからだろう。
これを人工で実現するのは大変だ。
100年近くも機能し続けるロボットなんて人間には作れないし、作れそうな見込みも無い。

金曜日, 10月 20, 2017

かけ声

犬の美点は数々あるけれど、その第一番は、立ち上がる時に「ヨッコラショ」と言わないことだと思う。
どれだけオッサン臭い犬でも、これはしない。
なぜって、それ言ったら飼い主に殴られるからだろう。

子供の頃、周りの大人たちが、腰を上げるたびに声を上げ、湯船に浸かって「ア゛~」と呻り、グラスを干して「ハァァァ」と嘆息するのを聞くにつけ、こういう空疎で定型的な発話をする大人にだけはなるまいと心に誓ったのに、気がつけば言いまくっている自分がいる。

、、、というようなことを書こうとしたのは、10年ほど前の話。
残念ながら、没ネタとして封印された。
きっと、心のどこかにまだ若いという衒いがあって書けなかったのだと思うが、今はその辺はもーどーでもよくなってきている。

それに今回はオチもついた。
いつのまにか、「ヨッコラショ」が「アイテテテ」に変化していたのだ。

別に本当にどこかが痛むわけではない。
「痛むかも」という予感だけで声が出てしまっている。
身体各部に警報を発するとともに、周囲に対してスローな動作の言い訳をしているのだろうか。
どーでもいいけど。

いや、これじゃあオチにもなってないですね。
やっぱ、書くんじゃなかった。

日曜日, 9月 17, 2017

むしのはなし

捻転胃虫(ねんてんいちゅう)という、椎名誠や筒井康隆のSFに登場しそうな、ふざけた名前の虫がいる。

虫は虫でも、反芻する草食動物の第四胃に棲みつく寄生虫である。
名前の語感とは裏腹に結構怖いヤツで、繁殖力が強く母体の致死率も高い。
なぜ、寄生虫のくせに宿主まで殺めてしまうかというと、成虫が産卵のために盛んに吸血するため、重篤な貧血と、それに伴う臓器不全や衰弱をもたらすからだ。

ちなみに英語圏では、Barber pole(理髪店の縞々サインのこと)という、これまたこジャレた名前で呼ばれている。成虫の体表にらせん状の赤い縞が表れるからだ。
その正体は吸い取った血が透けて見えたもので、そうと知ってから写真を見るとかなりグロい。重症患畜の胃を切開すると、2cm程度の成虫が「うじゃうじゃ」と喰らいついているのが見えるんだそうだ。
げろげろ。

成虫が産んだ卵は宿主のフンとともに排出される。
濃厚感染の場合、その数はグラム当たり数千~数万個にも上る。
体外に出た卵は、適当な水分と温度(10度以上)があれば、3~7日で孵化する。
孵化した幼虫は熱や乾燥にも強く、草などに潜みながら再び宿主の体内に取り込まれるのを待つ。
胃に帰り着いた幼虫はすぐに成虫になり、2週間程度で繁殖を始める。
3~4週間という短い世代交代サイクルによって、早い増殖スピードと高い環境適応能力を有する。

「胃壁に喰らいつく」と聞くと、人間の場合アニサキスを思い出すけれど、あれは高々2~3匹で七転八倒の痛みを伴う。その伝で行くと、念転胃虫の痛みも相当ではないかと思うが、動物が辛抱強いのか、あるいは痛みは感じないのか、そんな素振りは見られない。
ただ、何となく覇気がなくなり、食欲が落ち、ちょっと具合悪いかな?と首を傾げていると、そのうち立てなくなって逝ってしまう。

もともと草食動物は我慢強い(弱みを見せると襲われる?)ので、目に見える症状が現れた頃にはかなり弱っている。「しばらく様子を見ましょう」とか「検査の結果を見てから」などと悠長なことを言っていると、すぐに手遅れになってしまう。

もっとも効果的とされる治療は、抗寄生虫薬(イベルメクチン)による駆虫だ。
手遅れでなければ(母体の回復力があれば)、病状は劇的に改善する。
ただし最近は、薬剤耐性を獲得する虫体も増えているらしい。また、動物によっても効き方がまちまちで、規定量の倍を投与しないと効かないケースもある。
投薬した、あるいは症状が改善したからといって、安心はできない。

実は、みわファームも開設当初に苦い思いをしている。
その後の駆虫プログラムが功を奏したのか、長らく事無きを得ていたのだが、今年、久しぶりに患畜を出してしまった。
メチャクチャ不快だった今年の長雨と高温が、幼虫たちには最適だったのかもしれない。
気候変動の影響を真っ先に受けるのは、たぶんこういった微生物の世界だ。

ところでこの記事を書いていて、捻転胃虫がアナグラムの宝庫だということを発見した。
年中移転、天然注意、中年転移、威年天誅、、、
「意中やねんて!」という惜しいのもある。
どうでもいいことだけれど、そうでもしてないとやりきれない、というのもある。


土曜日, 4月 08, 2017

歓喜

来たー!
武道館ライブ映像DVD(初回限定MV集付き)!

これでまた、リトグリちゃんたちとの妄想会話が楽しめるっと!!

日曜日, 4月 02, 2017

犬らしい犬

小学生の頃、野良犬、飼い犬を問わず近所中の犬を「煮干し」で手なずけるほど犬好きだった自分が、ボーダーコリーを見て最初に持った印象が「犬らしい犬」だった。

真っ白でも真っ黒でもなく、小さ過ぎず大き過ぎず、短足でも足長でもなく、フワフワでもツルツルでもなく、つまり見た目にはこれといった特徴が無いけれども、オオカミのような怖そうな顔と思慮深そうな眼、、、これが、色んな犬と接してきて、何となく心の中に抱いていた「代表的な犬」のイメージだった。

だから、大人になって初めてボーダーコリーを見た時、最初に書いたような印象を持ったのかもしれない。
その時点では、犬を飼育できる環境ではなく、またボーダーコリーという犬種名すら知らなかったけれど、どーしてもその犬のことが頭から去らず、手当たり次第に調べ物をする羽目になった。
そうこうするうちに、自分の中で「犬らしい犬」が「特別な犬」に変わるのに、それほど時間はかからなかった。
かれこれ、もう、20年以上も前の話である。

、、、とゆー前フリから、新しく来たLouを見て改めて「犬らしさ」を感じた、みたいなことを言いつつ、実のところは彼女のノロケ話をしたかったのだが、ここまで読み返してみて、なんか文章が軽いなぁ~、ウソ臭いなぁ~と感じてしまったので、ここで筆を置くことにする。
残念です。

ま、人が遠い目をして語るような話は、大抵がウソと相場が決まってて、ウソというのがアレなら物語と言ってもいいけど、人は物語と無縁に語ることも生きることもできないのだから、全然気にすることは無いのだけれど。


媚びを売るLouとソッコー落ちるRudi

火曜日, 3月 21, 2017

くだらない話(後編)

下町エリアに一歩足を踏み入れると、そこはもう立派なスラムでした。

荒れ果てた辺りの様子にビクついていると、向こうから悪党ヅラの女が近づいてきます。
あぷらんど姫でした。
長く離れて暮らしていた両者は、下町エリアで思わぬ再会を果たしたのです。
でも、それは幸せなものにはなりませんでした。

「うっ」
「うっ」

そうです、いきなりの対面に慌てた二人は、平常心の「あ」ではなく、緊張を煽る「う」を使ってしまったのです。
それがお互いの反感に火を着けたのか、ハデな取っ組み合いになってしまいました。

「ガルルルル」

怖ろしい唸り声を上げ、互いに相手の首を抱え込みます。
双方とも、頑として放しません。
どちらかが降参すれば決着がつくのですが、互いの意地もあるのでしょう、簡単には引き下がれないのです。

でも、意地の張り合いなら、下町育ちに一日の長があります。
もしし姫が「ひぃ」と声を漏らし、最初で最後の争いは終わりを迎えました。

やがて冷静になった二人は、それぞれの居場所に戻り、それぞれの暮らしを続けました。
And they lived happily ever after.


-- よーするに、くだらない話はどんな書き方をしてもくだらない、
-- とゆーお話でした。

月曜日, 3月 20, 2017

くだらない話(前編)

むかしむかし、ある小さな王国に、もししとあぷらんどという2人の王女が住んでいました。

もしし姫は色が黒くて小心者でしたが、王室に取り入り、母屋でぬくぬくと暮らしていました。
色の白いあぷらんどは働き者でしたが、見た目がヤボったかったせいか、けっこう雑に扱われ、普段は下町で寝起きしていました。

もしし姫はあぷらんどの才気溢れる様子が妬ましく、また、あぷらんど姫はもししの調子の良いところが嫌いでした。
つまり、お互いに相手のことを良く思っていなかったのです。

ポカポカ陽気のある日、もしし姫は一人で裏庭に出てみることにしました。
いつもは、用心してすぐに室内に入る姫でしたが、その日はヘラヘラと調子に乗ってしまい、出入り口が閉められたことにも気がつきませんでした。
そのことを知ったのは、昼寝に帰ろうとして出入り口の前に立った時でした。

「ひっ!」

急に不安になってパニクった姫は、なぜか横手にあった塀をよじ登ってしまいました。
塀の向こうは、、、禁断の下町エリアだったのです。


--宿命づけられた二人の運命!
--以下、怒涛の後半へつづく!!