火曜日, 1月 09, 2018

宇宙人ふたたび

宇宙人のアイデア、思い出した!
「遺伝子を持たない」ことだ。

つまり個体ごとに姿形や性質が異なっていて、これといって似たところが無い生物。
強いて言えば、特徴らしい特徴が無いことが特徴だ。

見た目はもちろん、知能も言語も異なるから、本人たちでさえ仲間かどうかわからない。
唯一の手がかりは、太古から連なる深層的な記憶(集合的無意識とゆーやつ)を共有していること。
だから普段はとりとめなく暮らしているが、何か事があって心の深いところで共感すると、初めて種としてのアイデンティティに目覚めて団結するという、面倒臭い生物である。

思いついた時は、これ、スゲーじゃん?って思ったけど、書いてしまえばそれほどでもない。
忘れてしまうだけのことはある。

ただ負け惜しみすると、このアイデアの本当の狙いは「目新しい宇宙人像の提案」ではなくて、これを読んだり聞いたりした側が、この宇宙人を宇宙人として認知できるか?という挑戦的な問を投げかけるところにある。
カテゴライズできないものを物語の主題に据えたらどうなるんやろ?という思考実験でもある。(どーにもならない気もするけど)
森羅万象を分類してラベル付けし、それでもって世界を理解しようとするのが、人間的な知性の「型」だと思うからだ。
まぁそれが不発に終わったとしても、国籍とか民族とかLGBTとか男女とか老若とか貧富とか、自分たちのことですらやたら分断したがる昨今の風潮の批判にはなりそうな気がする。

と、ここまで書いてきて、新しい宇宙人像を思いついた。
知性の型が人間とまるで異なる、というのもアリじゃないかと。

「感情が無い」くらいだったらミスター・スポックが近いけど、彼にしたってエンタープライズ号のスタッフになるくらいだから、考え方は人間そのものだ。
そんなんじゃなくて、もう論理やら認識やら感覚やら記憶やら、一切合財がヘンテコなの。
それはさすがにまだ考案されてないと思う。
自分と違う「知性の型」を発想したり説明したりすることは、絶望的に難しいからだ。

言語は人間的知性そのものだから、小説や物語の形式で表現することはまず不可能だ。
可能性があるとしたら、映像や音くらいか。
ただし、受け手が何か解釈できたり納得できたりしたら、それは知性の型が異なることにはならないから、全く意味不明だけど心がザワつくような「作品」が必要かもしれない。
あるいは逆に、いくら見ても何の印象も残さない像とか。

挑戦してみる価値はあると思う。

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