金曜日, 2月 02, 2018

ロイコクロリディウム

宇宙人のことを考えていて、「カタツムリを操る寄生虫」のことを思い出した。

この寄生虫は鳥の体内でないと成熟できないので、中間宿主であるカタツムリが捕食されやすいよう、アレやコレやの策を労する。
まず、宿主を目立たたせるために、ツノとかヤリと言われる触覚のあたりに移動し、プロジェクトマッピングよろしくギラギラ動く模様を浮き上がらせる。

どう見ても散髪屋のサインポールだが、せっかくのサインも、空から見えないと意味がない。
そこでこいつは、どこにどう作用するのやら(たぶんカタツムリの神経系に働きかけて)、葉っぱの表側など、普段は避けるような位置に宿主を誘導する。

この何重もの努力により、首尾よく鳥に捕食されると、めでたく子孫繁栄できるのである。
なんとなく、自分の墓穴を掘らせる捕虜収容所の強制労働を連想させるが、暴力や権力を介さない分、より洗練されているとも言える。

ロイコクロリディウム

この気色悪さは、そのままSFネタに使える。

ある考古学者が人類の歴史を調べていて、類人猿からホモ・サピエンスに至る進化のどこかに、DNAレベルの干渉があった証拠を発見する。
すわっ地球外生物か!?というわけで世界中が興奮し、考古学、生物学、宇宙学、物理、化学、心理、宗教、哲学など、多方面の専門家が参加する調査プロジェクトがスタートする。

やがて考古学&生物学の混成チームから、重大な発見が発表される。
なんと、件の生物が類人猿の脳内に寄生していたらしいこと、さらには宿主の行動をコントロールしていた可能性があるというのだ。

勢いづいた研究チームは、二足歩行、言葉、道具、火の利用、群生活やサバンナへの大移動など、人類が人類たる所以となった行動を始めた時期には、常に寄生虫が存在していたことを突き止める。
この時点で、研究は世界的なブームとなり、一部は熱狂レベルにまで達する。

しかし、大脳新皮質の急速な発達そのものが寄生虫の共生作用によるもの、という仮説が立てられるに及び、研究ブームは一気に終焉に向かう。
「人は主体的・自律的に考えて行動する」という一神教的な人間観と、どうにも相性が悪くなってきたからだ。文明推進のエンジンでもあった「人としての尊厳とプライド」が、それ以上の真相究明を阻む皮肉な結果となったのである。

ただ、研究ブームが下火になってからも、自分そのものと信じて疑わなかった理性や思考が、他生物のものだったかもしれないという疑念は、人々の潜在意識に強い影を落とすことになった。
有名なコギト命題「我思う、ゆえに我あり」は、「我思う、ゆえに我あるんやと思う」と歯切れが悪くなってしまった。
少なくとも、「脳は脳の欲望に従って行動するのであって、必ずしも自分自身や、ましてや隣人や世界のためではない」ことは、誰もが意識するところとなった。

人はなぜ働く?
人はなぜ争う?
人はなぜ愛する?
人はなぜ挑戦する?
人はなぜ宇宙を目指す?
人はなぜ頑張る?
人はなぜ夢みる?
人はなぜ・・・?

これら人の成り立ちや行動原理に関わる問には、模範回答が無く、一生かけて各自が自問し続けるものと相場が決まっていたが、「もしかしたら寄生虫のせいかも~」という安直な回答が可能になってしまった。

まったくもって困ったことである。

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