火曜日, 6月 25, 2013

吠える気持ち

のおあある とをあある やわわあ でしたっけ?
犬の遠吠え。

うちの犬たちも、欠かさずやります。
午前11時と午後5時の1日2回、役場のサイレン(!)に合わせて。

カイたんは、型どおりお座りして喉をきれいに反らして、
生真面目なはずのるぢ男は、意外なことに、寝そべったまま首だけ持ち上げて、
もちちは、まだ上手にできませんが、一応周りの真似をして、
形は違えど、みんな一斉に吠えてます。
(そう言えば、さんだけ吠えないけど君は群じゃない?)

人が聞くと狂おしいような、もの悲しいような、なんとも言えない声音。
一体どんな衝動が身体を駆け巡ってるんでしょうか?
これだけは想像することもできない。

これだけ?
いや、それはウソやね。

羊を追う、フィールドを駆け回る、寝て過ごす午後のひと時、どんなときも、たとえ一瞬たりとも彼らの感覚を推し量る術はありません。
せいぜい自分の体験に照らし合わせて、それに近い感覚を当てはめてみるしかない。

ときどき、夢想することがあります。

もし人間社会が西洋流の自然科学重視主義とは違う原理で発展してきたとしたら、あるいは言葉に依らない文明を築いたとすれば、もしかしたら人は犬たちの衝動を内観する技を修得してたかもしれない。
精神感応とか、憑依するとか。

それができたら、泥まみれになっても楽しく作業できるかもしれない。
 

金曜日, 6月 14, 2013

ヘビのゆううつ

人生には、できれば避けたいがそうもいかない年中行事がいくつかある(自動車保険の更新とか、職場の忘年会とか、自分の誕生日とか)。
田舎暮らしを始めてからは、梅雨前後の「ヘビとの格闘」というのが、そのリストに加わった。

今朝遭遇したのは、体長1mほどの青大将。
ファーム倉庫裏の通路は狭くてごちゃごちゃしていて、そういう場所を通るときはつい物陰を凝視してしまうのだが、はたしてそこに潜んでいた。
気色悪いんだったら見なきゃいいのに、ゴムみたいな物体が視野の片隅でにゅるんと動くと、どうしてもまじまじと見つめてしまう。頭のてっぺんからつま先までゾワゾワ~とする。

いつもはそのまま忘れることにしているが、今日は近くでHiroが作業していたので「ヘビがいるんだけど、退治するぅ?」とお伺いをたてにいく。
自分一人では決してしない。
10年ほど前、やむなく一人で格闘したことがあって、そのときは緊張と興奮でホルモンバランスみたいなものが崩れたらしく、終日、心身の調子が悪かった。

ヘビとて生き物だしネズミの天敵でもあるので、見逃してやりたい気もするけれど、居着いてニワトリや卵を狙ったりするから、やっぱりそうもいかない。
今回も剪定バサミで挟みながら、頭をつぶした。

えんがちょ、えんがちょお。
 

水曜日, 6月 12, 2013

Welcome new-comers

にしきを小さい馬と交換するはずがいつの間にか2頭に増えていた、なんて事件があって以来、「もう騙されまい」と固く誓ったはずなのに、またHiroの策略に引っ掛かってしまった。

ファームに新しい住人が増えた。
人間の口笛みたいな声で啼く変な鳥(3羽)である。

昨日、単管とワイヤメッシュで作った小屋に入れてみたところ、全員スルスルと抜け出してフィールドを走り回ったらしい。
ヒナのくせに人間にはとても追いつけない。

るぢ男が大喜びで追い回した頑張って捕獲に協力してくれたらしい。
鳥のトラウマにならなければいいけど。

、、、って、もしかしてこれバカウケ!?
だってほら、トリとトラとウマで「トリのトラウマ」。
たった7文字中に動物が3匹も入ってるなんて、こんな奇跡はもう起こらんやろ!!

などと、あえて陽気に振る舞ってみる自分...

金曜日, 6月 07, 2013

ある日突然、

妙にひょろ長い卵が産まれました。(たぶんA型乙女座とおもわれ)



さっそく中身を見てみましょう。



あれ!?普通じゃん。

...って、ふっふっふ、今のは別の卵の画像でした。
細長卵の中身はこちら(左側)!!



...やっぱし、普通でしたね...
で、ガックシ気落ちしてたんですが、その後、卵焼きにして食べてみたら、な、な、なんと!!

おいしかったんですぅ!、、、やっぱりフツーでしたけど。



以上、ひょろ長い卵のレポートでした。

金曜日, 5月 24, 2013

おおっ、、、と気がつけば、

このブログ、もう一か月近くも放置されてるじゃないすか。
ちょっとびっくり。

思えば、「ったく、ボーダーコリーって奴は」という前身のサイトをHiroと開いてからもうかれこれ15年(!)。
別に書いても書かなくてもいいけど、どっちかと言えば書かん方がええんちゃう?、くらいの記事を延々と綴ってきたわけだけど、そんな下らない内容も書けないときは書けないもんだと、ビミョーに感動したのである。

よく、継続することに価値があるなんてことを言ったりするが、それはやっぱり多少なりとも前向きな行動だからなんであって、無価値なことはいくら継続しても無価値だということが、15年かけて証明された。
そういう意味で、価値はあったかもしれない。

全然関係ないけど、数少ないお気に入りサイトの一つに「チミドロ鈴木の早く老人になりたい」というのがある。
身の回りのトホホ系事物を取り上げ、テッテー的にイジリ倒すという趣向。
思いのほか文章もキチンとしていて、油断してるとときどき爆笑させられてしまう(例えば、これとかこれとか)。
下らないと言ってしまえば下らないのだけれど、ここまでくれば、探偵ナイトスクープの小ネタ集やトマソンの系譜に連なる現代の「作品」と言ってもいい。

第一回の記事に、タイトルについて書かれた文章がある。

僕の祖母は、テレビのスポーツニュースで、例えばゴルフトーナメントの結果を伝える場面があると、誰が勝ったか負けたかということに関係なく、球がカップに入ったか入らなかったかだけで「入れ、入れー!入った!ほほほ」「惜しい!あー」と楽しんでいて、それを見ていると幸せな気分になった。

老人はよく日向ぼっこをしている。気持ち良い風が吹くと「気持ちいいわねー」と言って、雲の切れ間から日が差してあったかくなると「日が出るとあったかいな」と言って喜んでいる。自分もそういう境地に早くたどり着いて、なんでもないようなことに幸せを感じられるようになりたいと思って、このようなタイトルにした。

バンドをやっていると、たまにライブしたり、みんなでパーっとやったり、はじけるように楽しい瞬間があるのだが、その後すぐに日常が始まる。日常は終わりのない労働とか、悩みとか、貧乏とか、そういうものにつきまとわれていて辛い。みんなもそうでしょう。毎日ライブして飲み会して生きていければ最高なのだが、そうはいかない。決して後ろ向きな意味合いではなく、辛い日常を克服するために老人の眼差しで日々を楽しんでいくことが必要なのだ!どうっすか。

とにかく老人的な達観を目指してあっちこっちと徘徊してみて、その過程をだらだらとレポートしていくのでよろしくお願いいたします。

いいですなぇ。
こういう味が出せるなら、続けてもいいんだけど。
 

月曜日, 4月 29, 2013

毛刈りで仕返し

今年も毛刈り週刊に突入。

ちょっと気が重い。
たかが6~8頭のヒツジなのに、これまで毎年、どえりゃーしんどい思いをしてきたからだ。

でも、毛刈りのビデオなんか見ると信じられないくらい速いし、そもそも普通の牧場だったら100頭も200頭もいるわけでこんなに苦労なわけがない、、、というわけで、牧場関係者(そんなにいないけど)に会うたびに秘けつを聞いて回っていたのだが、これまでは確たる成果が無かった。

それが去年、阿蘇牧羊犬クラブにお邪魔したとき、たまたまヒツジ歴〇十年という強者がいて、これは天から授かったチャンスとばかりに教えを乞うた。
犬やヒツジに一家言ある人は多いが、バリカンの使い方について微に入り細をうがち、理論と経験に裏打ちされた説明を得たのはこれが初めてである。
とりあえず、これまでの自己流では、潤滑オイルと刃の取り付け位置に難があることがわかった。

で、今日、「これでうまく行かなかったらどーしよう」という不安と期待が交錯する中、今季最初の毛刈りが始まったのだが、、、
き、切れる...
めっちゃ切れるぅぅぅ。

これまで、親の敵のように力を入れてたのがウソのように、ススススと羊毛と皮膚の間に刃が滑り込んでいく。
私は、これまで、一体何を頑張ってきたんだろう?



ところで、今日のお相手は頭突き男のレイ君。
いつもの仕返しに、恥ずかし~い写真を公開しといたろ。



わははははははは
 
 

木曜日, 4月 25, 2013

バイタルサイン

一つ屋根の下で一緒に暮らしているのに、ほとんど丸一日、猫の姿を見かけないことがある。
特に昼間の数時間、完全に気配が消える。
たぶん、2階の寝室に引っ込んで、これでもかっちゅーくらい怠惰な生活を送ってるに違いない。

ただ、1階にもあちこちに怪しいサインが残っている。

例えば、、、

・いつのまにか猫トイレが汚れてる
・閉めたはずのドアが10cmくらい開いてる
・机の小物が床に落ちている

とか。

なんだ、生きてんじゃん。(笑)

眠いんだったら、別にドアとか開けてくれなくていいから。
もしかしたら、「俺は元気でやってるから」というメッセージなのかな。
 

日曜日, 4月 21, 2013

ぐれぐ

犬にも上半身と下半身の区別ってあるんだろうか?

わからない。

でも、この男だけははっきりしてる。

全身が下半身。。。



別名「リトマス試験紙」。

どんな微かなヒートの兆候も見逃さないからだ。

月曜日, 4月 08, 2013

金融資本は癌か?

某ネットコミュで話題になっていた、中沢新一氏の評論(「赤から緑へ④」月刊スバル4月号)を読んでみた。
経済どころか社会常識にもズブのシロートですが、結構感銘を受けてしまったので感想文を書きます。

今日の国際社会における金融資本のふるまいが、無規律に自己増殖を続けるガン細胞に酷似しているという説。
本来、社会の諸活動を円滑に動かすための血液であるべき貨幣経済が、それ自体で無節操な増殖をはじめ、経済だけでなく政治や国家まで飲み込み、宿主である人間社会に機能不全をもたらしつつある、というのが氏の現状認識である。

不都合や障壁を「癌」と呼称するのはありふれた手法だが、現在の金融問題に当てはめて考えたとき、単なるレトリックを超えた迫真性を帯てくる。少なくとも、仮想敵(禿鷹ファンドとか悪徳資本家とか。そういえばオバマ大統領も「強欲なウォール街の連中」とか言ってましたね)を仕立て上げ、それらを攻撃すれば万事うまく行く的な、古典的な政治的言説よりは説得力がある。
朝日新聞が「カオスの深淵」という特集を組んだことからもわかるように、たぶん大多数の人が「どこがどうとは言えんが絶対どっかおかしいやろ」と感じている金融問題の不気味さが、少しクリアになったような気がした。

確かに金融界における最前線のプレイヤーは投資家だったり、ファンドだったり、金融機関だったり、グローバル企業だったりするわけだけれど、それらの背後にはおびただしい数の小さな欲望、「庶民のささやかな夢」や「慎ましい老後の備え」が隠れているわけで、結局誰が戦犯かと言えば現代に生きる我々全員と答える他ないところに、この問題の深刻さがあると思う。

癌の厄介さは、それが外部からの異物や毒ではなく、もともとは生体を構成する正常な細胞というところにある。
つまり病原菌を退治すれば治る類の病ではないし、そもそも癌が「病気」かどうかも疑わしい(実際、ガンを老化現象と見なす専門家もいるし、細胞には最初からガン化がプログラムされているという説もある)。同じように、金融問題は特定のプレーヤを排除したり制度を手直しして解決するほど単純ではないし、実はそれは問題ですらなく、資本主義が目指してきた一つのゴールなのかもしれない。

この潮流の思想的後ろ盾は、規制という規制を撤廃し、すべてを市場に委ねることを理想とする新自由主義と呼ばれる社会理論である。サッチャー、小泉純一郎、橋本徹など、本人が自覚しているかどうかは別にして、新自由主義を標榜する政治家は多い。ただし、これを提唱した当の経済学者たちは、現在のような社会状況を予想したわけではなく、むしろ計画主義で不調に陥った社会を賦活し、自由公平で開かれた社会が形成されることを望んだ。それがなぜ、巨大な格差を生み、投資マネーが市民生活や国家の命運さえ左右するような危機的状況を招いてしまったのだろうか?

中沢氏はその原因を、位相変化ともいえる経済構造の変化に求めている。
人間社会の諸制度は、異質の価値を何らかの理路で関連付けできる人間固有の能力を通じて構築されてきた(ありとあらゆる商材を交換対象にする市場経済がその端的な例)。そしてどんな迂回路を通ることになろうと、あらゆる制度や価値は最終的には自然環境と生命に根を下ろし、その「大地」との関係によって自生的秩序がビルトインされてきた(おおっ、そうだったのですか!)。
ところが貨幣の役割が、単なる交換の手段から信用の手段、さらには利殖の手段へと変遷するにしたがい、その結びつきが薄れ、ついには実世界が介在しないゲーム的な結界が形成されてしまった。そこにはもはや自然摂理に基づく秩序は存在せず、論理と記号だけで構成された無限のゲーム空間があるだけである(例えば、大食は胃袋の制約を受けるが、美食を求める欲望はキリが無いのと似ている)。
この結果、抽象的な貨幣価値の運動だけで経済が成り立つようになり、さらには社会的免疫機能ともいうべき様々な規制や制度や文化的制約が新自由主義の名のもとに弱体化させられ、金融資本のアンコントローラブルな増殖を招いてしまったというわけである。

(自生的秩序の件は、正常細胞には全体の秩序を保つための自死機能=アトポーシスがプログラミングされているのに対し、それを欠く癌細胞が暴走的に増殖することのアナロジーが有効かもしれない。あ、でも、そうか、ガンを老化現象と言うなら、資本主義という制度のアトポーシスが金融資本で、それによって資本主義が滅ぶのも自然な営み、と言えるのかもしれない。奥深い。。。)

新自由主義はあらゆる規制を攻撃することで、それらの持っていた免疫機能を弱め、結果として金融資本の増殖を助けることになった。その行きつく先は、従来の社会的/文化的制度が機能不全に陥った「社会の死」だという。
そこではほとんど全ての人間が労働価値という記号に還元され、ゲーム的な経済機構の中に組み込まれ、単純に利潤との対立関係に置かれる。

果たして人間が、生体圏外の論理的世界に生身をさらすことに耐えられるのだろうか?
少なくとも、強烈な痛みは伴うだろう(そういえば、新自由主義の政治家はよく「構造改革の痛みに耐えよ」と言う)。
でも本当に怖いのは、人間がそれに耐えられるように「進化」してしまうことかもしれない。

月曜日, 4月 01, 2013

全部ウソです

今年も長い長いプロ野球シーズンが始まりました。
あれだけ大型補強したにも関わらず、相変わらずド貧打というのはアレですか、阪神はどこまでいっても阪神ということですか。

それはさておき。
どこでだったか忘れましたが、以前、日米の審判の判定傾向について、両リーグ3年間の全試合を視聴して統計的に分析したレポートを読んだことがあります(もうちょっと役に立つ研究しろよ、、、)。
結果の一つは確かこんなのでした。

「カウント2ボール2ストライクで、次の投球が際どいコースに来た場合、日本の審判の方がボールと判定する割合が高い」

この辺は、自分のデシジョンが結果を左右するのを避けたい、あるいは単に結論を先送りしたいという国民性が表われているのでしょう。

あと、こんなのもありました。

「負けているチームのバッターが緩い内野ゴロを打ち、一塁への送球とバッターランナーのベースタッチがほぼ同時だった場合、日本の審判はセーフとコールする割合が高いのに対し、米国の審判はアウトを宣告しがち。勝っているチームのときはその傾向が逆転する。」

おもしろいでしょ。
つまり日本人は判官びいきで、米国人は敗者に追い打ちをかける性向がある、ということらしいです。

一番印象に残ってるのは、

「9回裏1点ビハインド。2アウト満塁、カウント3ボール2ストライクで次の一球が際どいコースに来たとき、米国人審判はストライクアウト(ゲームセット)を宣告しやすい」

理由は「早く家に帰りたいだけだろ」だって。ははは。

水曜日, 3月 20, 2013

断固とした決意

ヒツジ、ウマ、ヤギ解放同盟との闘争が激化している。

冬の間、動物たちをシャットアウトして、放牧地の一部を養生することにしている。敷地が充分広ければそんな小細工はいらないのだが、そうでもしないと全部が不毛の荒地になってしまうので。その甲斐あってか、養生地には柔らかそうな若草が生えて、青々とした感じになってきた。

同じ景色を家畜たちも見ている。
草はもちろんのこと木の葉や木肌まで食い尽くし、ヒヅメ攻撃で荒廃させた不毛の泥地から。
そして、こう思っているに違いない。

「こんなクソ地にオレらを閉じ込めやがって...」

いやいやいや、クソ地にしたのは君たちですから、というのは人間側の言い分であって、確かに可哀そうに思うことが無いことも無いのだが、だからといって今、養生地に放牧してやることはできない。
どーせ、アッという間に食い尽くすだけでしょ?君たちは。

というわけで、ここ数日は柵を挟んだ前線の緊張が極限まで高まっている。
昨日なんか、気がつけばヒツジ、ヤギの全員が養生地になだれ込んでいたり、ウマが畑に首を伸ばそうとして柵を曲げてしまったりと、領土を巡るギリギリの攻防が続いている。
シープドッグ隊のスクランブルも4回を数えた。

やるべきことはわかっている。
柵の補強だ。
いや、もう、何年もそう思ってるのだが、手間と費用を考えるとなかなか手が付けられず、ここまでズルズル来てしまったわけです。
どうやら、それも限界のようですね。

やるか、柵の補強...


土曜日, 3月 16, 2013

春のユーウツ

固い地面がこんなにステキだったなんて。。。

だって、歩いてて「にゅるん」とずっこけないし、馬が駆け抜けても頭から泥かぶんないし、一輪車押すのが3倍くらい軽いし、犬を放っても泥人形にならないし。

大洪水が退いて方舟を降りたときは世界中が泥だったはずなのに、ノアの家族はよく気が触れなかったものだ。
あと、この時期、世間では黄砂黄砂と騒ぐけれど砂が舞う前は泥だったわけで、中国の人はさぞ辛かったのでは?とか、いろんな思いが交錯するのは、つまり、それだけ深く泥に悩んでいたということだろうか。
で、ようやく地面が乾いて、気持ちの良い風も吹くようになってきて気分爽快、、、かというと、そうは問屋が許さない(←死語)。

これは誰のせいでもなく自分が悪いのだけれど、昔から、春になるとユーウツになったり、ぞわぞわと不安になったりする。
特に風の中にほのかに甘い花の香りが混じったり、フと見上げた空が抜けるように青かったりすると、心の中に暗雲が立ち込め始める。
朝日をうけて小川のせせらぎがキラキラしたりするのもいけない。
衣替えの作業も鬱陶しいけど、それでも頑張って春物に着替えて外出したのに、くっそーまだ肌寒いやんけ、なんて状況はもっと悪い。

別に学校が嫌いだったわけでもないのに、なぜか小学生の頃からこうだ。
はい、自分でも面倒臭い性格だと思います。

でも何より面倒臭いのは、こうやって愚痴ってるときは案外機嫌が良かったりするところかもしれない。
 

土曜日, 3月 09, 2013

本の身体

タブレットPCをゲットした。
いろいろ比較検討した挙句、iPadでもNexusでもKindleでもXPERIAでもなく、NECのLife Touchを選ぶところがただ者じゃない。
まろが新しいものに弱いと思ってる人はゼウスの雷に撃たれるでしょう。

さっそく、紀伊国屋の電子書籍を試してみて、おおおっ、これは良いっ、フォントの大きさが自由自在に変えられやんけ!
めっさ読みやすい。
こんなことなら、半額セールに焦って老眼鏡買うんじゃなかった。。。
あと本の値段が安いとか、置き場所に困らないとか、ライトがいらんとか、良いとこだらけちゃうん?(でも、印刷も紙も製本も店舗も販売員もいらんし万引きも落丁返品も無いんだから、もっと安くできんかなぁ)。

でもでもでも、自分的に結構大事な「寝る前の一冊」は、わざわざ本棚からふる~い「竜馬がゆく」を引っ張り出してきて読んだりしている。
最初は嬉しくてベッドにタブレットを持ち込んで、寒い日は頭から蒲団被って読めるのを喜んだりもしてたのに、あまり長続きしなかった。
なんというか、寝入る前の安らぎ感みたいなものが違う気がする。

思えばかれこれ50年以上も紙の本を読んできたわけで、これだけつき合いが長くなると、文字や絵による情報交換の他に、手ざわりとか、重さとか、ページめくりの質感とか、匂いとか、いろんなチャネルが確立してて、そういういろんな身体感覚が無いと「本を読んだ」感がしなくなってるのかもしれない。
まだタブレットに慣れてないだけかもしれないけど。
 


土曜日, 3月 02, 2013

誰か唐沢寿明主演でドラマ化しませんか?

安倍公房氏の小説に「砂の女」という長編がある。
遥か昔、確か高校生の頃に読んだからもう内容は覚えていないけれど、砂丘の中のアリ地獄のような一軒家から脱出しようとする男、それを引き留めようとする女、穴の上から逃亡を妨害する村の人々、それにどう防いでもいつの間にか部屋に侵入してくる砂のイメージは、今でも印象に残っている。

自分にも名作が書けそうな気になっている。
題名は「泥の犬」。

降り続く雨と無残に泥濘化する敷地、そして敷地に放流した途端、一瞬のうちに頭から尻尾の先まで完璧に泥だらけになる犬たち。
夜のうちに泥が落ちて元の姿に戻るから、毎日、この儀式が繰り返される。
あ、そうそう、犬に飛びつかれて泥だらけになる男もぜひ登場させなければ。
何度長靴を新調しても、いつのまにか侵入してきて靴下をダメにする泥水のエピソードも重要だ。

考えただけでもワクワクするね。
問題は泥で何を暗示するかだけど、、、それは書きながら考えることにしよう。
書き出しだけは決まってるんだ。
こんなの。

朝、カーテンを開けると、辺り一面、泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥、でした。
 

火曜日, 2月 19, 2013

もなかともっすぃ

何のため?と問いただすと、Hiroさんはきっぱりと「仕事に使う」と言い切り、大枚〇〇円をはたいてペンタッチ型の入力タブレットを買いました。

で、記念すべき作品第1号がこれ↓

一体、何の仕事なんでしょうね?
 

水曜日, 2月 13, 2013

カニと猫の意外な関係

他人の夢の話ほど退屈なものはないと言うけれど...


どこかの漁村を旅してる設定なんでしょう、カニ漁が見学できると聞いて出かける。
会場(?)は人工の谷というか、地下に向かって造られたコンクリート製のでっかいすり鉢みたいなところで、他の数人と一緒に谷底を見下ろす格好になる。
そこには灰色の生き物がうごめいていて、自分はボンヤリとあぁ、あれがカニかと納得する。

今から考えるとその生き物は、どこからどう見てもウミガメなのだが、夢の中ではカニということになっている。
全部で3匹いるカニは、体長が10mほどもあり、全身がヌメヌメしていて何となく気持ち悪い。

それらと対峙する位置に、同じくらいの大きさのやはり3頭の肉食動物がいて、鉄製の檻のようなものから首を突出し、しきりにカニにかぶりつこうとしている。
それが、その辺の「カニ漁」のやり方らしい。
動物の姿ははっきりしないが、キバの無い大きな爬虫類みたいな感じ。

とうとう一匹のカニがつかまり、首を咥えこまれてしまう。
しかし首は柔らかくて特に滑るようで、咥えこまれても、ヌルリと逃げたりしている。
それで逃げてしまえばいいものを、その知恵が無いのか、何度も何度も抑え込まれている。

そのうち喉が食い破られそうになり、一瞬、カメが苦しそうな表情をする。
自分は血なまぐさい光景に辟易しながらも、目を離すことができないばかりか、どこかエロティックな刺激まで受けていて、身を乗り出して見学している。。。


珍しく目覚めた時もはっきりと内容を覚えていたので、一体あの夢は何のメッセージだったんだろうかと考える。
人生の転機に至る重要な暗示だろうか、それとも、身辺に大きな事件が起きる前触れとか。

いや、でも待てよ、あのイメージはどこかで見たことがあるナ、、、しかも割と最近、、、。
そうだ、もっちがもなかを抑え込んでるとこだ!
 

土曜日, 2月 09, 2013

冬の情景

もはや冬の風物詩になったメメ穴。
ファームの(というより集落の)周囲に張り巡らされたシカ柵に見られます。



















曲線がメメの腹形状にピッタリっつーところが笑えます。
いくら修理してもムダ。
すぐに別の穴が開けられます。

メメさんはこの穴を通って、思いつくまま気の向くまま、敷地の内外を行ったり来たり。
でも餌の時間にはキチンと帰ってらっしゃいます。

プラプラ外をうろついて  猪に間違われて撃たれたらええねん。 ケガしないようにね。
 

水曜日, 2月 06, 2013

自販機バトル

どうも自販機と相性が悪い。
むかしっからそう。
どこでボタンを掛け違えたんだろう?

確か中学生の頃、それまで気後れして使ったことがなかった駅の券売機に初めて挑んだとき、ボタンの多さに舞い上がってドギマギしてたのを人に笑われたような気がして、それ以来、ギクシャクした関係になったような気がする。
なんせ、自意識過剰少年だったもんで。。。

ここ数年は、職場にある飲料自販機と闘っていた。→例えば
ホットコーヒーを出そうとして、なぜかアイスを押してしまうのだ。
真冬の朝一番にやると、これがどんだけやるせないか。
もう、その職場には行かなくなったので長らく休戦状態だったが、昨日たまたまそこに顔を出す機会があったので、こっそり蹴りを入れておいてやった。

そしてその帰り、お初のレストランでカフェバーに挑んだときのこと。
エスプレッソマシンでカプチーノを選んだ、、、はずなのに、押したボタンがズブズブとどこまでも入っていく。
やべっ、壊したか!?と思ったら、マシンの上に置いてあるパネルの絵を押していた。
ここまで来ると、もう自分でもフォローしようがないですね。
誰も見てなかったのが不幸中の幸い。

決してウケ狙いで創作してるわけじゃないです。
空気のようになってしまった自販機といえど、人知れず悩んでいる人間がいるということを訴えたかったのかも。
そういう自分が嫌いじゃないし。
 

木曜日, 1月 31, 2013

放牧地の怪

今もって謎の、不思議な不思議な事件だった。

この時期、放牧地の一部を閉めて養生中にするのだが、ときどき、そこに犬たちを開放してやっている。
つい先日も、ぺぐ、かい、もっちの3頭を走らせていたのだが、いつの間にか、ぺぐが端っこで背中をズリズリしている。

こういうときは大抵、ミミズの腐ったのとか野生動物のフンが落ちてたりするので、のおぉっと叫びながら現場に駆けつけた。
そこでHiroが目撃したものは、、、一片のこんにゃく。

それも豆腐大の素のこんにゃくではなく、5cmくらいのやつに切れ目を入れてくるっとひっくり返した「ねじりこんにゃく」。
その付近に葉っぱの煮つけみたいなものもあったそうだから、なぜか放牧地の一角が妙に家庭的な感じになっていたわけだ。

誰かそこでご飯でも食べたんだろうか?
謎だ。
 

日曜日, 1月 20, 2013

もっち失楽園

もち嬢、数々の悪行が仇となり、ついに生まれ育った楽園を追われ、犬の園に追放されました。
ただし寒さが厳しいので昼間だけ。
夜は室内でぬくぬくと寝ています。



←ぺじの喉に喰らいつく














で、この女、外に出しても大変です。

人の気配がするたび、1.5mほどの扉を飛び越えて、裏庭と園の間を行ったり来たりしてます。
誰よりも大量に食い、他犬の〇んちまで貪り食い、巨大な〇んちを生成します。
激しく遊び続けます。
園を抜け出して勝手に羊を追っかけます。
お隣の藤田さんちまで遠征して、ハナちゃんに吠えてピンポンダッシュで帰ってきます。
里心がつけば、ぎょわわわわんと悲鳴を上げながらガラス戸を引っかきます。

総括すると「必死に生きてる」という感じ。
でも、猫を羽交い絞めするのは止めてください。