土曜日, 3月 16, 2013

春のユーウツ

固い地面がこんなにステキだったなんて。。。

だって、歩いてて「にゅるん」とずっこけないし、馬が駆け抜けても頭から泥かぶんないし、一輪車押すのが3倍くらい軽いし、犬を放っても泥人形にならないし。

大洪水が退いて方舟を降りたときは世界中が泥だったはずなのに、ノアの家族はよく気が触れなかったものだ。
あと、この時期、世間では黄砂黄砂と騒ぐけれど砂が舞う前は泥だったわけで、中国の人はさぞ辛かったのでは?とか、いろんな思いが交錯するのは、つまり、それだけ深く泥に悩んでいたということだろうか。
で、ようやく地面が乾いて、気持ちの良い風も吹くようになってきて気分爽快、、、かというと、そうは問屋が許さない(←死語)。

これは誰のせいでもなく自分が悪いのだけれど、昔から、春になるとユーウツになったり、ぞわぞわと不安になったりする。
特に風の中にほのかに甘い花の香りが混じったり、フと見上げた空が抜けるように青かったりすると、心の中に暗雲が立ち込め始める。
朝日をうけて小川のせせらぎがキラキラしたりするのもいけない。
衣替えの作業も鬱陶しいけど、それでも頑張って春物に着替えて外出したのに、くっそーまだ肌寒いやんけ、なんて状況はもっと悪い。

別に学校が嫌いだったわけでもないのに、なぜか小学生の頃からこうだ。
はい、自分でも面倒臭い性格だと思います。

でも何より面倒臭いのは、こうやって愚痴ってるときは案外機嫌が良かったりするところかもしれない。
 

土曜日, 3月 09, 2013

本の身体

タブレットPCをゲットした。
いろいろ比較検討した挙句、iPadでもNexusでもKindleでもXPERIAでもなく、NECのLife Touchを選ぶところがただ者じゃない。
まろが新しいものに弱いと思ってる人はゼウスの雷に撃たれるでしょう。

さっそく、紀伊国屋の電子書籍を試してみて、おおおっ、これは良いっ、フォントの大きさが自由自在に変えられやんけ!
めっさ読みやすい。
こんなことなら、半額セールに焦って老眼鏡買うんじゃなかった。。。
あと本の値段が安いとか、置き場所に困らないとか、ライトがいらんとか、良いとこだらけちゃうん?(でも、印刷も紙も製本も店舗も販売員もいらんし万引きも落丁返品も無いんだから、もっと安くできんかなぁ)。

でもでもでも、自分的に結構大事な「寝る前の一冊」は、わざわざ本棚からふる~い「竜馬がゆく」を引っ張り出してきて読んだりしている。
最初は嬉しくてベッドにタブレットを持ち込んで、寒い日は頭から蒲団被って読めるのを喜んだりもしてたのに、あまり長続きしなかった。
なんというか、寝入る前の安らぎ感みたいなものが違う気がする。

思えばかれこれ50年以上も紙の本を読んできたわけで、これだけつき合いが長くなると、文字や絵による情報交換の他に、手ざわりとか、重さとか、ページめくりの質感とか、匂いとか、いろんなチャネルが確立してて、そういういろんな身体感覚が無いと「本を読んだ」感がしなくなってるのかもしれない。
まだタブレットに慣れてないだけかもしれないけど。
 


土曜日, 3月 02, 2013

誰か唐沢寿明主演でドラマ化しませんか?

安倍公房氏の小説に「砂の女」という長編がある。
遥か昔、確か高校生の頃に読んだからもう内容は覚えていないけれど、砂丘の中のアリ地獄のような一軒家から脱出しようとする男、それを引き留めようとする女、穴の上から逃亡を妨害する村の人々、それにどう防いでもいつの間にか部屋に侵入してくる砂のイメージは、今でも印象に残っている。

自分にも名作が書けそうな気になっている。
題名は「泥の犬」。

降り続く雨と無残に泥濘化する敷地、そして敷地に放流した途端、一瞬のうちに頭から尻尾の先まで完璧に泥だらけになる犬たち。
夜のうちに泥が落ちて元の姿に戻るから、毎日、この儀式が繰り返される。
あ、そうそう、犬に飛びつかれて泥だらけになる男もぜひ登場させなければ。
何度長靴を新調しても、いつのまにか侵入してきて靴下をダメにする泥水のエピソードも重要だ。

考えただけでもワクワクするね。
問題は泥で何を暗示するかだけど、、、それは書きながら考えることにしよう。
書き出しだけは決まってるんだ。
こんなの。

朝、カーテンを開けると、辺り一面、泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥泥、でした。
 

火曜日, 2月 19, 2013

もなかともっすぃ

何のため?と問いただすと、Hiroさんはきっぱりと「仕事に使う」と言い切り、大枚〇〇円をはたいてペンタッチ型の入力タブレットを買いました。

で、記念すべき作品第1号がこれ↓

一体、何の仕事なんでしょうね?
 

水曜日, 2月 13, 2013

カニと猫の意外な関係

他人の夢の話ほど退屈なものはないと言うけれど...


どこかの漁村を旅してる設定なんでしょう、カニ漁が見学できると聞いて出かける。
会場(?)は人工の谷というか、地下に向かって造られたコンクリート製のでっかいすり鉢みたいなところで、他の数人と一緒に谷底を見下ろす格好になる。
そこには灰色の生き物がうごめいていて、自分はボンヤリとあぁ、あれがカニかと納得する。

今から考えるとその生き物は、どこからどう見てもウミガメなのだが、夢の中ではカニということになっている。
全部で3匹いるカニは、体長が10mほどもあり、全身がヌメヌメしていて何となく気持ち悪い。

それらと対峙する位置に、同じくらいの大きさのやはり3頭の肉食動物がいて、鉄製の檻のようなものから首を突出し、しきりにカニにかぶりつこうとしている。
それが、その辺の「カニ漁」のやり方らしい。
動物の姿ははっきりしないが、キバの無い大きな爬虫類みたいな感じ。

とうとう一匹のカニがつかまり、首を咥えこまれてしまう。
しかし首は柔らかくて特に滑るようで、咥えこまれても、ヌルリと逃げたりしている。
それで逃げてしまえばいいものを、その知恵が無いのか、何度も何度も抑え込まれている。

そのうち喉が食い破られそうになり、一瞬、カメが苦しそうな表情をする。
自分は血なまぐさい光景に辟易しながらも、目を離すことができないばかりか、どこかエロティックな刺激まで受けていて、身を乗り出して見学している。。。


珍しく目覚めた時もはっきりと内容を覚えていたので、一体あの夢は何のメッセージだったんだろうかと考える。
人生の転機に至る重要な暗示だろうか、それとも、身辺に大きな事件が起きる前触れとか。

いや、でも待てよ、あのイメージはどこかで見たことがあるナ、、、しかも割と最近、、、。
そうだ、もっちがもなかを抑え込んでるとこだ!
 

土曜日, 2月 09, 2013

冬の情景

もはや冬の風物詩になったメメ穴。
ファームの(というより集落の)周囲に張り巡らされたシカ柵に見られます。



















曲線がメメの腹形状にピッタリっつーところが笑えます。
いくら修理してもムダ。
すぐに別の穴が開けられます。

メメさんはこの穴を通って、思いつくまま気の向くまま、敷地の内外を行ったり来たり。
でも餌の時間にはキチンと帰ってらっしゃいます。

プラプラ外をうろついて  猪に間違われて撃たれたらええねん。 ケガしないようにね。
 

水曜日, 2月 06, 2013

自販機バトル

どうも自販機と相性が悪い。
むかしっからそう。
どこでボタンを掛け違えたんだろう?

確か中学生の頃、それまで気後れして使ったことがなかった駅の券売機に初めて挑んだとき、ボタンの多さに舞い上がってドギマギしてたのを人に笑われたような気がして、それ以来、ギクシャクした関係になったような気がする。
なんせ、自意識過剰少年だったもんで。。。

ここ数年は、職場にある飲料自販機と闘っていた。→例えば
ホットコーヒーを出そうとして、なぜかアイスを押してしまうのだ。
真冬の朝一番にやると、これがどんだけやるせないか。
もう、その職場には行かなくなったので長らく休戦状態だったが、昨日たまたまそこに顔を出す機会があったので、こっそり蹴りを入れておいてやった。

そしてその帰り、お初のレストランでカフェバーに挑んだときのこと。
エスプレッソマシンでカプチーノを選んだ、、、はずなのに、押したボタンがズブズブとどこまでも入っていく。
やべっ、壊したか!?と思ったら、マシンの上に置いてあるパネルの絵を押していた。
ここまで来ると、もう自分でもフォローしようがないですね。
誰も見てなかったのが不幸中の幸い。

決してウケ狙いで創作してるわけじゃないです。
空気のようになってしまった自販機といえど、人知れず悩んでいる人間がいるということを訴えたかったのかも。
そういう自分が嫌いじゃないし。
 

木曜日, 1月 31, 2013

放牧地の怪

今もって謎の、不思議な不思議な事件だった。

この時期、放牧地の一部を閉めて養生中にするのだが、ときどき、そこに犬たちを開放してやっている。
つい先日も、ぺぐ、かい、もっちの3頭を走らせていたのだが、いつの間にか、ぺぐが端っこで背中をズリズリしている。

こういうときは大抵、ミミズの腐ったのとか野生動物のフンが落ちてたりするので、のおぉっと叫びながら現場に駆けつけた。
そこでHiroが目撃したものは、、、一片のこんにゃく。

それも豆腐大の素のこんにゃくではなく、5cmくらいのやつに切れ目を入れてくるっとひっくり返した「ねじりこんにゃく」。
その付近に葉っぱの煮つけみたいなものもあったそうだから、なぜか放牧地の一角が妙に家庭的な感じになっていたわけだ。

誰かそこでご飯でも食べたんだろうか?
謎だ。
 

日曜日, 1月 20, 2013

もっち失楽園

もち嬢、数々の悪行が仇となり、ついに生まれ育った楽園を追われ、犬の園に追放されました。
ただし寒さが厳しいので昼間だけ。
夜は室内でぬくぬくと寝ています。



←ぺじの喉に喰らいつく














で、この女、外に出しても大変です。

人の気配がするたび、1.5mほどの扉を飛び越えて、裏庭と園の間を行ったり来たりしてます。
誰よりも大量に食い、他犬の〇んちまで貪り食い、巨大な〇んちを生成します。
激しく遊び続けます。
園を抜け出して勝手に羊を追っかけます。
お隣の藤田さんちまで遠征して、ハナちゃんに吠えてピンポンダッシュで帰ってきます。
里心がつけば、ぎょわわわわんと悲鳴を上げながらガラス戸を引っかきます。

総括すると「必死に生きてる」という感じ。
でも、猫を羽交い絞めするのは止めてください。

火曜日, 1月 15, 2013

「犬に向きあう」に歯向かってみる(続き)

あたりまえのことだけれども、人と犬の生活様式は違う。上下関係もある。
だから、一緒に暮らすときに「ただ暮らす」ということができない。
どうしても、人から犬に向かって働きかけてしまう。
そして人がマジメであればあるほど、犬に向きあう濃度が高まる。

でも、、、そもそも人が犬に教えることなんて、「天然自然の理」みたいな観点からすると、その半分は逆行したものだし、残りの半分は無意味だ。
それは当然といえば当然で、犬はハナから自然のままに振舞っているのであって、人間が指図するときはそれを修正したいときに限られるからである。
家具を齧らないとか、ソファに乗らないとか、牙を使うとか使わないとか、、、そういうことが問題になるのは人間社会の中だけで、自然界ではまぁどうでもいいことだろう。

だから人が犬に働きかけると、多かれ少なかれ犬は「混乱」する。
それは誉めるとか叱るとかの方法論とは関係が無い。
欲求に従った自然な行動を矯正する、という原則に変わりは無いからだ。
もしそれが行き過ぎたとしたら、自分で考える意欲を無くしたり、悪いストレスをため込んでしまう犬がいても不思議ではない。真摯に向きあうことが人と犬にとって100%望ましい結果をもたらすとは限らない。

それでなくても、人間には妙なところが多い。
喜怒哀楽が激しい、常に喋っている、すぐに触りたがる、正面から覗き込む、直立して両手を使う、走りがのろい、仲間と競争する、恨む、騒ぐ、泣く、叫ぶ、、、これはもう動物として壊れていると言ってもいいレベルだ。
そういうのと四六時中一緒にいること自体、犬にとってどうなんだろう?、、、と、たまに思いを馳せるくらいの自省的な姿勢があってもいいように思う。
犬に何かを教えたりするのは、それが必要だ(と自分が考える)から(自分の責任で)教えるのであって、それが「良いこと」とか「犬のため」とか嘯くのは慎みたい。

ものの本によると、シープドッグの本場ヨークシャ州の農夫たちには、犬をペットとして飼うことを恥じていて、愛情をかけることを他人に隠そうとする風習があるのだそうだ。
どうやらそれは朴訥な農夫たちのテレ隠しらしいが、もっと別の意味があるんじゃないかと思っている。
つまりそれは、農場で長年培われてきた犬育てのノウハウが内面化したもので、その意味するところは「犬にあまり関わるな」ではないかと。
 

「犬に向きあう」に歯向かってみる

物事や人に「向きあう」という言い回しには、どこかポジティブなニュアンスがあって、そのせいもあってか、飼い犬に対して「向きあう」ことは、正しく望ましい態度ということになっている。そこに「きちんと」や「真摯に」などの修飾語がくっ付けば、もう天下無敵の肯定表現である。
そして、犬と昼夜を共にし、常に観察とケアを怠らず、愛情かけてしつけを施し、休日には充分なトレーニングか運動、といったあたりが、たぶん普通にイメージされるところの「犬にきちんと向きあう」飼い主である。

でもサ、、、というのがこの小文の主旨なのだが、別に真っ向から意見するわけじゃなく、まぁこれに限らず耳触りの良い言い回しというのは、とかく適用範囲が過大解釈されがちなので、たまに疑ってみるのも悪くないでしょ、くらいのスタンスである。

ということで、「犬に向きあう」飼い方自体に異存は無い。言ってみればそれは、人々が長い年月をかけて獲得した、犬と暮らすことの「良心」を具体化した行動モデルであって、そのやり方をなぞることで、より多くの人が犬との暮らしを楽しむことができるようになった。
まことにもって慶賀の至り。

しかしそれを頭から信じこみ、何の疑いも無く実践し、「科学的根拠」とやらで理論武装し、ついにはそれを正義として掲げ、逸脱を非難するまでに至れば、これはこれで厄介な話である。たとえ的を得た指摘であっても、「これぞ良識」「皆、我に習え」的な心証が透けて見えると心が萎える。
そもそも良識とか良心みたいな単語が頻出するメッセージって、退屈な上にちょっと気色悪い。(この文章のように)

と、ここまでは単なる好き嫌いの話だが、問題にしたいのはここからで、つまりモデルはどこまでいってもモデルに過ぎないというところ。
そこには自ずから、限られた前提条件と有効範囲があるはずだ。
「犬に向きあうことの弊害」というものがあったとしてもおかしくは無い。

続く
 

土曜日, 1月 12, 2013

猫になめられる

もなかが膝の上で毛繕いするとき、ひとしきり(5分くらい)自分の被毛を舐めてから2,3回、私の手や太腿を軽く舐める。

これって、1)膝を貸してもらってることのお礼なのか、それとも、2)ちょっと味を変えてみたかっただけなのか、あるいは3)単なる偶然なのか...

真相が2)や3)だったとしたらちょっとムカつくが、1)だとしたら、えらい安いお礼やんけという理由で、すっげームカつく。

どうでもいいけど。
 

 

火曜日, 1月 08, 2013

ひつじと自己嫌悪

年末に負ったケガがようやく癒えてきたと思ったら、新たな傷を抱えてしまった。
心に、、、じゃなくて今度は膝である。

この季節は朝夕の2回、羊たちにもヌカとオカラを与えているのだが、これが大層好物らしく、エサ箱を配るときはいつも揉みくちゃになる。
本来こういうときに危険なのが腐れ羊のレイ君なのだが、エサに夢中でそれどころじゃないらしく、配膳のときは頭突きを控える、というのがこれまでの暗黙のルールだった。

しかし昨日は、いつものように羊たちに揉まれながら、フと心に不安がよぎった。
「レイはどこ?」
不幸なことに、そのとき彼は真横にいた。
こちらの微妙な心の揺れを察知したのだろうか、彼もまたフッと我に帰った顔をした。

・・・来るっ!・・・

一瞬の間をおいて、3発の強烈なフックが膝に入った。
そのうちの一発は、膝が逆に曲がったような気がした。

もう昨日のことなのだが、今も痛む。
膝が、、、じゃなくて心が、である。
頭突きされた瞬間に思わずカッとして、ヤツに蹴りを入れてしまったのだ。
50年以上も生きてきて、未だに自分がコントロールできないとわ...
 

日曜日, 12月 30, 2012

ごあいさつ

年の最後をばしっとキメようと思いましたが、何も思いつかないので、これで終わりにします。
良いお年を!


土曜日, 12月 22, 2012

脳内めーかー

るぢ男の頭の中はたぶんこれくらいシンプルです。

           やぎやぎやぎ
         馬馬やぎやぎやぎや
        馬馬馬やぎやぎやぎカモカモカモ
       馬馬馬馬羊羊羊羊カモカモカモカモカモ
      馬馬馬馬馬羊羊羊羊羊カモカモカモカモカモ
      仕事仕事仕事ごはんごはんカモカモカモカモやぎや   羊
     仕事仕事仕事ごはんごはんごカモカモカモやぎやぎ羊羊羊羊羊
    仕事仕事仕事 ごはんごはん鶏鶏カモカモやぎやぎ羊羊羊羊羊羊羊
  仕事仕事仕事  羊羊羊羊羊羊鶏鶏鶏鶏鶏鶏鶏鶏鶏羊羊羊羊羊羊羊羊羊
 仕事仕事猫猫 羊羊羊羊羊羊毛布毛布鶏鶏鶏鶏鶏鶏羊羊羊羊羊羊羊羊羊羊羊■
仕事  猫猫   羊羊    毛布毛布毛布鶏鶏鶏鶏鶏鶏羊羊羊羊羊羊羊羊羊羊羊
仕事  猫      羊羊   毛布毛    鶏鶏鶏鶏鶏鶏羊羊羊羊羊羊羊羊羊羊
仕事           羊羊羊  毛布       仕事仕事仕
仕事仕                 毛布         仕事仕事
                      毛布           仕事仕
                       毛布毛            仕事仕事

水曜日, 12月 19, 2012

なんかムカつく

12年も犬やってると、ストーブの当たり方も堂に入ってる。


火曜日, 12月 18, 2012

ボーダーコリーに苦言を呈する

まず「頑張らずに生きる」ということを覚えてほしい。
その場その場でどーでもいい目標を見つけては、しかめっ面で向き合うのはどーかと。

やることが無くてノンビリしててもいい状況で、いや、むしろ頼むからノンビリしててくれ、という気持ちのときに限って、力を込めてスタンバっている。
あるいは無意味に駆け回っている。

それで事態が望ましい方向に進展することはほとんど無い、、、でしょ?
面倒臭かったりわずらわしかったりすることの方が多い。
圧倒的に多い。
そこのところを、胸に手を当てて考えてくれ。


「わかった!! で、どうすればいいっ!?」


いや、だから、それを止めてほしいわけ。。。

土曜日, 12月 15, 2012

カッコいいコケ方

たまたま京都市街に用事があって、JR園部駅の駐車場を利用した。

その駐車場は、駅に向かう側が1.5mほどの段差になっていて、ほとんど垂直のコンクリート壁から鉄の足場が2つ突き出ている。
ちゃんとした出口は別にあって、そこを使えば普通に歩いて出入りできるのだが、10mほどの遠回りが面倒臭いときはその段差を登ったり下りたりする。

用事を済ませて帰ってきたのが夜の11時過ぎ。
田舎の11時といえばもうどっぷり深夜で、薄ら明るいチャラチャラした街の11時とは訳が違う。
で、ちょっと気が急いていたのかもしれない。
早く車に辿り着こうとして、近道の段差を降りようとして悲劇が起きた。

最初の足場に右足をかけ、そこに体重をかけようとしたときには、もうバランスを崩していた。
つつつぅっと身体が前のめりになる。

この時点で2つの選択肢があった。

一つはその場でしゃがんで姿勢を低くし、手荷物を放り出して後ろの地面にしがみつく作戦。
もう一つは、そのまま右足で足場を強く蹴り、その勢いで空中で姿勢を立て直しつつ、着地で踏みこたえるやり方。
前者は荷物が散乱して不格好だが、ケガの少ない無難な方策に思えた。後者はリスキーだけど、もし成功すれば被害ゼロの上に、もしかしたらGパン刑事みたいに格好良くキメられるかもしれない。。。

大体そんなことをコンマ何秒かで考え、結局、Gパン刑事の可能性にかけた。

で、勢いよく足場を蹴ったのだが、飛翔中に前のめりが解消せず、ならばと着地時に地面を強く蹴ってリカバーしようとしたのだが、力及ばず、より前傾を深めてしまった。
もうGパン刑事というより、カリオストロ城の屋根を駆け降りるルパン状態。

次の一歩で決定的に制御不能となり、前からダイブする格好で大破してしまった。
手から離れたバッグが1mほど先を飛んでいくのが見えた。


、、、という事件が起きたのが3日前の水曜日。
ようやく心身の傷が癒えてきて、こうしてブログに書けるまでになった。

それにしても、深夜、三段跳びでド派手にすっころぶオヤヂって。。。
最初からカッコなんか気にしなければ良かった。
 

水曜日, 12月 05, 2012

もっちのうんち

日々を暮らすということは、うんことの格闘でもある。
水洗トイレの普及した現代に生きる私たちはそのことを忘れがちだが、久しぶりに子犬と暮らしていると、否応なくこの命題に直面させられる。

1日に3~5回、室内のどこかでなさるわけだが、ビジュアルも音も匂いも強烈な存在感を放っていて、どうしても意識させられてしまう。

それにしても何でこんなに臭いんだろう?
どうしても必要な物なら、生物の進化によって次第に受け入れやすい物になっていっても良さそうなものだが、進化の頂点にいるはずのヒトが一番忌み嫌っている。

なぜか?
ここで大胆な仮説を思いつく。

うんこというのは不要な排泄物であるとともに、微生物の集積物でもある。
温度、湿度、日光、水分、栄養、モビリティ...動物の腸内というのは、微生物にとってはちょっと得難い理想的な環境なのだ。

何が言いたいのかというと、生物が進化して高等生物が生まれて、その排泄物がうんこである、という生物観が実は間違っていて、本当は、微生物が自分たちの住みやすい環境を確保するために、消化器官を有する動物を創造したんじゃないだろうか?
「生物は遺伝子のヴィークル(乗り物)」というのは、有名な「利己的な遺伝子」の表現だが、動物は遺伝子と微生物の2重のヴィークルなわけだ。

たとえちっぽけな子犬の排泄物と言えど、その畏れ多くもアンタッチャブルな感じは、人間とうんこの支配/被支配関係を如実に表していると思う。
 






月曜日, 12月 03, 2012

レイ君との関係が悪化

もう完全に克服したと思っていたのに、ここ数日、連発でレイ君の頭突きを喰らってしまった。

1度目は、放牧地への扉を開けてやって農道を歩いて帰る途中、何か嫌な予感がして走って帰ったのに、もう大丈夫かな?と振り返ろうとしたときに膝裏にかまされた。

2度目は、夕方の餌(オカラと米ヌカ)を容器に入れてやってる時、いつの間にか横にいたので、あ、やべっ!と思った瞬間、太ももに横殴りの一発を喰らった。

3度目は、泥田と化した放牧地に近所でいただいた野菜を撒いてやってるとき、ガツンと衝撃が来て身体が宙に浮いた。後ろから足払いをされた格好で、泥の中に腰から落ちた。

非道いと思いませんか?
いつもいつも、羊のために良かれと世話してやってるときなんですよ。
彼は人間が好きなんだよ、とHiroは言うけれど絶対そうじゃないと思う。

ヤツは根性曲がりまくりの、性根の腐った、どうしようもない腹黒男だ。
ばーか!ばーか!お前のかあちゃんで~べ~そ!!