水曜日, 12月 05, 2012

もっちのうんち

日々を暮らすということは、うんことの格闘でもある。
水洗トイレの普及した現代に生きる私たちはそのことを忘れがちだが、久しぶりに子犬と暮らしていると、否応なくこの命題に直面させられる。

1日に3~5回、室内のどこかでなさるわけだが、ビジュアルも音も匂いも強烈な存在感を放っていて、どうしても意識させられてしまう。

それにしても何でこんなに臭いんだろう?
どうしても必要な物なら、生物の進化によって次第に受け入れやすい物になっていっても良さそうなものだが、進化の頂点にいるはずのヒトが一番忌み嫌っている。

なぜか?
ここで大胆な仮説を思いつく。

うんこというのは不要な排泄物であるとともに、微生物の集積物でもある。
温度、湿度、日光、水分、栄養、モビリティ...動物の腸内というのは、微生物にとってはちょっと得難い理想的な環境なのだ。

何が言いたいのかというと、生物が進化して高等生物が生まれて、その排泄物がうんこである、という生物観が実は間違っていて、本当は、微生物が自分たちの住みやすい環境を確保するために、消化器官を有する動物を創造したんじゃないだろうか?
「生物は遺伝子のヴィークル(乗り物)」というのは、有名な「利己的な遺伝子」の表現だが、動物は遺伝子と微生物の2重のヴィークルなわけだ。

たとえちっぽけな子犬の排泄物と言えど、その畏れ多くもアンタッチャブルな感じは、人間とうんこの支配/被支配関係を如実に表していると思う。
 






0 件のコメント: