土曜日, 8月 04, 2012

寒さの記憶

キンキンに冷えた服に着替えるのは嫌だなぁ、せめてあと10分このまま蒲団にくるまってたい、ああ早く暖かくならんかなぁ、と寒さに震えて思っていたのはつい半年前なのに、今はもう、一刻も早く夏が過ぎ去って欲しい、でもお盆も高校野球もこれからなんだよなぁぁ、パンティングしてる犬は3m以内に近づくな!、、、と、そんなことばかり考えている。

それにしても、何千回も経験したはずの「寒い」という感覚がまるで思い出せないことが口惜しい。
リアルに思い出せたら、このクソ忌々しい酷暑も好ましく享受できるのに。
感覚というやつは、なかなか脳の中に再現できない。

その最たるものが味覚で、「〇〇で食べた××が旨かった!」と人は言うけれど、思い出しているのは「そのときに旨いと感じた」という事実で、味覚はなかなか蘇ってこない。「おふくろの味」と言われる記憶は、同じものを何回も何回も何回も、しかも物覚えの良い年頃に食べてようやく形成される。

感覚というのは多分、脳の中では再現されにくい仕組みになっている。
きっとそこには何かちゃんとした理由があるんだろう。例えば、昔の感覚に浸っている間に危険を見過ごしてしまうとか...
だからこそ感覚はいつも新鮮で、何度でも感動できるし、嫌なことも忘れられるんだろうけど、もったいないような気もする。

感覚と感覚器が不可分なら、脳に情報を与えただけでマトリックスみたいな人工現実感は実現できないはずだが、まぁあれは西欧流の脳至上主義に染まったIT技術者の妄想みたいなもんだろうな。
 

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