日曜日, 3月 20, 2016

チームワーク(3)

ただ、残念なのは、人間は生き物として「自然でない」ところが多々あることである。そこは自覚してコントロールしないといけない。
現代生活では、ここが難しいと言えば言えるかもしれない。
幸いなことに、自然でないことの多くは、「コトバのコミュニケーションに頼る」ということに集約される。

例えば、
  • 相手の正面から(小さい相手にはかがみこむように)語りかける。
  • 感情を声のトーンで表現する。
  • 逆に声を発することで、感情を増幅してしまう。
  • すぐに、ほめたりけなしたりしたくなる。
  • コトバ以外のメッセージに鈍感になる。
などである。

たぶん犬にとって、これらはすでに過剰なプレッシャーなのだ。
もちろん、犬はこれらを受け止め、慣れ、人との暮らしに順応していく。
それで何か不都合があるかといえば、別にない。
あとは生活ルールを根気強く伝えていけば、すばらしい家庭犬になる。

ただ、、、双方向の「共感」と「安心」は育まれにくい。
どうしても、「人から犬」へのコミュニケーションが優勢になってしまう。
犬は人の指示に応えるように、顔色を窺うように、行動するようになる。
先の記事に倣えば、犬が「仮面を被って」役割を演じている状態だ。

繰り返すけれども、それでも日常生活には何の問題もない。
でも、共感にドライブされるような共同作業は難しい。
そういうことだと思う。

じゃあ共感と安心を醸成するためには、何をすればいいのか?
たぶんシープドッグなら、(納屋などの)つかず離れずの場所で気ままに過ごすような、農家の暮らしが一番なのだろう。
人から過度の干渉を受けず、犬は犬として自分の人生を生きることで、個としての成熟が促される。
飼い主と仕事を共有することで、誇りを持ってパートナーになることができる...

さすがに、それは日本では難しいかもしれないけれど、普通の家庭でもできることはある。
例えば、
  • 必要のない時は、かまわない。
  • できるだけ穏やかに接する。
  • 誰にも干渉されずに、犬が安心して過ごせる場所を確保する。
  • 人も犬もリラックスできる場所で、お互いの存在を意識しながら何もせずただ静かに過ごす時間を確保する。
  • むやみに名前を呼ばない。
  • 「No」を宣言する前に、環境を変える余地がないか考える。
などなど。

要は人から犬に働きかけるのでなく、その逆の機会を増やすのだ。それは同時に、犬へのプレッシャーを減らすことでもある。
それだけで、犬との関係が変わってくる。
羊作業を楽しみたいのであれば、まずそういう下地を作る必要がある。

もちろん、「一から十まで人が指図する」ことでも羊仕事は可能だ。しかし本来の意味での共同作業を望むのであれば、心や気持ちの交流は不可欠だと思う。

それに、、、さっきは日常生活に何の問題も無いと書いたけれど、実は内心ではそう思っていない。
一緒に暮らすこともチーム作業だと思えば、やはり共感や安心があった方が、モチベーションもパフォーマンスも上がる。
何より、犬が遠慮をせず、それぞれの個性を最大限発揮して暮らすのを眺めるのが、犬と暮らすことの醍醐味だとさえ思っている。(余計なお世話だけど。。。)
それで起こってくる日常の不都合は、実は驚くほど少ない。
そこが犬という動物の凄みなのだからして。

あーでもでも、上のようなことを文章にするのって本当に難しい。
なぜって、コトバにすると1か0になってしまって、なかなか「さじ加減」が伝わらないから。
自然や生き物相手のことって、大抵はその「さじ加減」こそが本質だというのに。
ま、テキトーにいきましょう、テキトーに。



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