日曜日, 3月 20, 2016

チームワーク(2)

実は、犬の話がしたかったのです。

先の記事を読んだ時、これって犬との関係にもそのまま当てはまるんじゃないかと思えたのだ。
大げさに言うと、これまで考えてきた「犬との共同作業」や「犬の成熟」などのテーマを思い返したときに、パズルのピースがカチカチッとはまるような気がした。

羊仕事に本当に重要なこと、人との暮らしの中で犬が成熟すること、、、それらの中心にあるキーワードが「共感と安心」ではないかと。

みわファームがお世話になったBarbara Sykes氏は、ビジネスパーソンや管理職を対象にして、「チームワークとは何か?」をシープドッグ体験を通じて学ぶサービスメニューを提供していた。
正直なところ、当時は彼女の意図がよくわからなかったのだが、もしかしたらこういうことだったのかもしれない。
(もしそうだとしたら、天下のグーグルが苦労して得た知見を、彼女はたった一人で見出していたことになる。Barbaraさん、あなた本当にすごい人だ)
本当に察しの悪い弟子ですみません。

「共感」を辞書的に記述すれば、「他人の意見や感情にその通りだと感じること、またはその気持ち」とそっけない感じになるのだが、ここではそれに加えて、情感とか「心身レベルの共鳴」みたいなものも含めたい。

あ、またわけのわからない言い回しで煙に巻こうとしてる、と構えないでください。
簡単に言うと、犬と人の双方が、褒美や快感や欲求充足のためではなく、ましてや勝利や名声や見栄のためでもなく、作業の遂行と「相手の役に立ちたい」気持ちで最善を尽くす、、、そんな心のあり方を共感という言葉に託したかったのです。
あんまり簡単じゃなかったですけど。

口には出さないまでも、オレは犬の気持ちくらいわかるよ、と内心思ってる人は多いと思う。でもそれは、犬と一つ屋根の下で暮らすことで、彼らの行動が掌握できているように感じることからくる錯覚だと言いたい。
仮に本当に犬の気持ちがわかったとしても(そんなことは原理的にはありえないが)、それは共感にはならない。
理解が一方通行だからだ。
それが錯覚や擬人化に過ぎないにしても、人が犬の気持ちをわかったように感じることはある。しかし、犬の側からそういう回路が開く機会は、現実にはほとんど無い。

実は親子のような上下関係のあるところでは、共感は生まれにくい。
どうしても、子供は親の顔色をうかがってしまうし、親は子供に過度に干渉する。
それが、親子というチームにおける両者の役割であり、また必要な仕事でもある。
問題は、人は大人になってからも、いろんな場面でこの関係を再現してしまうところにある。

共感を育むのは、難しいことではない。
てゆーか、こういうことは難しくしてはいけないのだと思う。
犬も人も基本的には群になりたいのだから、生き物として自然に接するだけでいいはずだ。
(自然に、ということは「時間はかかる」ということでもあるけど)

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