水曜日, 3月 24, 2021

竹置き場

草が無くなる秋から冬にかけては、羊たちには乾牧草と補助的な濃厚飼料で乗り切ってもらっている。

だから青い物(なぜ「青」!?)が恋しいのか、たまに野菜や常緑樹の葉っぱなどを与えるとことのほか喜ぶ。意外にウケるのが竹で、根元の方で切ったやつを敷地内に倒しておくと、あっという間に裸にしてしまう。放牧地は二方を竹林に囲まれてるから、敷地に侵入してくる分だけでも羊に与えるくらいは事欠かない。

実は羊だけじゃなく、これまで飼った草食動物は皆、揃いも揃って竹の葉が好物だった。なんでかな?とウィキってみると、竹というのはなんとイネ科なんだそうだ。だからどうという訳でもないが、何となく納得させられてしまう。イネ科恐るべし!!

写真は、裸になった竹を積み上げたもの(の一部)。今冬だけのものではないけれど、いつの間にか結構な量になってしまった。燃やすなり何なりして処分しないとなぁと思いつつ、手をつけかねて呆然としている。

何か良い手はないだろうか?



月曜日, 3月 22, 2021

役に立たない!

ほら、松坂桃李クンが庭で稲作したり牛を買ったりして「自給自足、最っ高」ってほくそ笑むCMがあるでしょ? あれ結局、彼は途中で挫折するわけだけれど、なぜだかわかります?

私はね、「何でもやろうと欲張りすぎた」からじゃないと思うんです。 


















重要なヒントが、2つ目のシーンに隠されてました。

そう、、、彼は ヤギを飼ってしまった から力尽きたんですね、きっと!

土曜日, 3月 20, 2021

そういえば

去年の毛刈り後に撮ったちぇび男の写真が残ってた。

まだツノがちっちゃい!

1年足らずの間にグングン伸びたんやね!!



木曜日, 3月 18, 2021

TOEICっぽい日記

PART1

For each question in this part, you will hear four statements about a picture. When you hear the statements, you must select the one statement that best describes what you see in the picture. The statements will be spoken only one time.

A) She’s feeding the goats in the barn.

B) She's drawing water with the plastic bucket.

C) She’s fighting against a pack of sheep.

D) She’s bending her upper body to pick up vegetables.

Mark your answer on your answer sheet. 





火曜日, 3月 16, 2021

彼の名は

ちぇび男w

チェビオットのオスだからちぇび男ww

でかくなったら改名してやろうと思ってたけど、いまだにちぇび男www

人が近寄ると一番前にしゃしゃり出てくるよ。

エサ箱だって一人で独占するよ。


最近、ちょっとグレかけてるけど、ジッと見てるとなんか笑える。

ちぇび男くん、ええ感じやわ〜


月曜日, 3月 15, 2021

インテンショナルな犬たち

申し訳ないが、みわファームの犬たちには散歩はない。その代わりと言っては何だが、朝と夕方の作業の時間に、犬エリアのゲートを開放して敷地の中を自由にさせている。

この間、人は家畜の世話で手が離せないから、犬は好きなところで好きなことをしていればいいのだが、実際にはクソ真面目な顔で倉庫に入り込んでネズミを追っかけたり、飼料の周りをウロついたり、フェンスに貼りついて鳥やヤギを見張ったり、、、つまり一緒に作業してるつもりなんじゃないかと思う(約1名、拾い食いに忙しいペグばあさんを除いて)。


ま、どんなつもりで何をしてもかまわないけれど、せっかくフリーなんだからのんびりしてればいいのにと、隙あらば怠けていたい人間は思ってしまう。

作業が片付いた後は、全員で放牧地に行くことが多い。さすがにそこでは犬たちも気分を変え、走り回ったりして遊んでいるように見える。ただ、やっぱり犬同士で見張ったり見張られたりして、そこはかとなく険しいムードも漂っている。

なんかこう、ほわほわ〜と時を過ごせないタチなんだろうか!?



金曜日, 3月 12, 2021

ジッとしてられっか!

 ヤギっ子つーのは呆れるほど元気で、生まれて1, 2日で母ヤギの周りを走り出します。

チャコとりじ男(仮称)が生まれたのが2月の24, 25だから、まだ生後2週間なんですけど、もうこんな感じです。


里親さんの希望もあって、今朝はりじ男に去勢処置(タマタマの付け根をゴムで縛る)をしたので、少しおとなしくしてましたが、午後にはすっかり回復しました。生まれてしばらくは動きが少なかったちゃこも、負けじと跳ね回ってます。

頼もしい子たちです。


木曜日, 3月 11, 2021

ロビー・ザ・ロボット

 

何歳くらいだったかなー、子供の頃、おもちゃ売り場には決まってこのロボットが並んでた。もう欲しくて欲しくてねぇ、きっと親にもしつこくねだったと思うけど、玩具箱に収まることはなかった。ま、縁が無かったんやね。

今でも、当時の身を捩るような憧れ感を思い出すことができる。

このロボットが登場するのが名作の誉高い「禁断の惑星」という映画で、今までずっと観る機会がなかったのだけれど、先日、たまたまBSで放映されているのに遭遇した。

いや〜さすが不朽の名作、、、と言いたいところだけど、実はそうでもなくて、正直、え゛!?という感じだった。全体として古臭い感じや特撮がアレなのは公開年(1956)からしてしょうがないとして、芯となるストーリーや恐怖を募る演出などもすごくチープに感じた。

つまりなんだ、世の中って技術だけでなく、物語も進化してるということなんかな?もしかしたら今、ホームズやポアロを読み返しても、全然ドキドキしないのかも知れない。

人の世は同じことの繰り返しと言いつつ、実は不可逆的に前に進んでいるんでしょう。


水曜日, 3月 10, 2021

来シーズン用の薪

 原木がだいぶ集まってきて、屋根付きスペースを圧迫するくらいになってきた。

毎年、薪の調達には苦労するが、ここにあるのは一昨年の大風で倒れたり折れたりした敷地内外の広葉樹である。ここ数年は寒さがそれほどでもないので、これくらいあれば何とか賄えるんじゃないかと踏んでいる。

今シーズンの分を使い切って薪置き場が空けば、薪割りして積んでいくというとことんジミ〜な作業が待っている。

これからイベントシーズンになるので、早く片付けないといけないのだけれど。




月曜日, 3月 08, 2021

明日のために

 なんかー、やっぱり、このブログ復活しよかなーって思った。

カスみたいな内容になるかもしれないけど、その日の出来事をわりと頻繁に更新していきたい。

でないと、、、全部忘れる!


木曜日, 3月 05, 2020

口下手な男前

無差別殺人の容疑(たぶん冤罪)で逮捕された男の息子が、タイムスリップして若き日の父に会い、何とか事件が起きないように奮闘するが、不自然な言動のせいでその時代の警察や当の父親から疑われてしまう。
「おまえ、本当は何を企んでるんだ!?」
ここで主人公の竹内涼真は、視線を逸らして黙ってしまう。

あー、また。
いぃっっっつもそお。
竹内涼真も向井理も松下奈緒も佐藤健も天海祐希も、ここでもうちょっと説明したら解決するのに!という場面で決まって黙る。
これはもう日本のTVドラマに深く根付いたお作法で、どれくらい深いかというとそうじゃないとドラマが成り立たないくらい深い。
言い淀んだときの悩ましく切ない表情が、歌舞伎の「見得」みたいな演技の見せどころになってるし、最後には「言わなくても真心が通じる」シーンがお約束のカタルシスとして用意されている。

なぜ説明しないのかと問えば、「大切な人を傷つけてしまうから」とか「きっと○○はこの事実に耐えられない」とか言うに決まってるんだ、どーせ。
相手は子供じゃないんだから、いやたとえ子供だとしても、そういう決めつけは相手への敬意を欠くと思うのだが、ドラマでは逆にそれが優しさや、誠実さや、思慮深さを表すアイコンになっていて、大いに肯定される。
他人を気遣うというのは確かに麗しい態度だけれど、見方を変えれば、それを言い訳にして説明から逃げていることにもなる。
脚本家や演出家はそーゆーもんと割り切ってるのかもしれないが、それを自然に受け入れてしまう観る側の意識が問題だ。

自分もその一員という強い自覚とともに言うけど、日本人は大体において口下手だ。
それも、男。
それも、おやじ、おっさん、おじん。
どーでもいいことは結構喋るのに、気持ちをことばにするとか、筋道立てて理由を説明するとか、悩みを打ち明けるとか、肝心な時に口ごもってしまう。
「男は黙って札幌ビール」とか「俺の目を見ろ何にも言うな~♪」とか「説明せんとわからんのか!?」とか「何にも言うな、まぁいいから一杯飲もうや」みたいな決まり文句が一杯あって、世間も口下手の肩を持つことになっている。
だから説明しないことを、自身の怠慢とも努力/能力不足とも思わないし、逆に口数の多い奴(この言い方にもう負のバイアスがかかっている)を軽侮してたりする。

日産の会長解任劇については何の知識もないから、ゴーン氏、検察、日産の誰の肩も持てないが、一つ感心したのは、ゴーン氏が逃亡先のレバノンで2時間を越える会談を行ったことだ。
ほとんどが当人のスピーチだったらしいが、あのハイテンションを保ったまま2時間!
内容があるかどうかはともかく、同じことができる日本人が何人いるだろうか?
自分には絶対ムリ。
きっと彼は、小さい頃から「男のくせに言い訳すんな」とか「口答えするな」とか「子供は余計な口を挟むな」とか言われたこと無いんだろうな、、、知らんけど。

全然分野が違うが、どうしても較べたくなってしまうのが、去年目立ったスポーツ指導者たちの記者会見。
アメフトの内田監督、ボクシングの山根会長、テコンドーの金原会長、、、さすがにどの仁も押し出しが強そうで、頼り甲斐のある親分という風情だが、不正が指摘されていざ記者会見となると揃ってムッツリしていた。
そんなことやる人間かどうか、オレを見んかい!!、、、本当ならそう一喝したかったところだろうけど、あいにく相手は組織内の人間ではなく、記者やその後ろに控える世間だ。
そういう外部の人に対しては、結婚式の挨拶以外、特に語る言葉を持ち合わせていない。
橋本治氏が言うところの、農村の家父長制度の意識を引きずった典型的な「都市おやじ」だ。
(非を決めつけて謝罪する/しないにしか興味が無いような、質問する側の姿勢にも問題あるとは思うけど)

もう一つどうしても触れたくなるのが永田町の「説明」。
特に今の政権で目立つのだけど、官房長官の定例会見なんかもう芸の域に達している。
ちょっと答えづらい質問になると「適正に処理している」「その指摘は当たらない」「〇〇に聞け」と言い放つだけで、どう適正なのか、なぜ当たらないのか、なぜ説明を差し控えるのか、などの説明は一切しない。
あとは、あー世界で一番つまらん仕事や、みたいな顔で突っ立っている。
たぶん、まともに答える気はないけど、周囲にマウンティングして自分と政権の威厳を保つにはどうしたらいいか?を考えたらあーゆー態度になるんだろう。
その他にも、口を開けば暴言の財務大臣とか、措辞を整えようとして無残に噛んでしまう首相とか、歯切れよく煙に巻こうとして炎上する環境大臣とか、もうどうしちゃったの?とゆーくらい説明が拙い。
日本人が口数の少なさを何で補ってきたかというと、たぶんそれは、少ない言葉一つ一つに対する思い入れであったり、発言に対する誠実さや責任感や覚悟だったりしたと思うのだが、それらを国民の先頭に立って片っ端から粉砕しつつあるのが、現政権の隠れた一面だ。言葉への信頼を踏みにじることで「国会で何を議論したってムダだよ、大事なことは全部閣議決定で決めるから」と言いたいのだろうか。

ただ、一口に説明といってもそんなに簡単にできるもんではない。
少なくとも、①考える、②考えを共有可能な意見にまとめる、③意見を相手に伝えるためのロジックや筋道を立てる、④発言のための言葉を選ぶ、という4ステップを踏む必要がある。
前半は「自分の意見を持つ」こと、後半は「相手に伝える」ことがテーマだが、両方とも結構テクニカルな作業だ。
であるからして、この辺を学校教育の一環として小中学校でのカリキュラムに組み込むべきだと思う。
、、、というのはウソで、何でもそうだけど、本当に子供を教育したいと思うなら、まず大人が進んで取り組めばいいんだ、きっと。

土曜日, 2月 08, 2020

うれぴー

石窯の残りのレンガでかまど兼ゴミ焼却場作った~♪


木曜日, 11月 14, 2019

モチベーション

おもしろい記事めっけ♪


子供の教育やしつけが思うようにいかないのはなぜ?というテーマで、前半の内容はざっくりこんな感じ。
・モチベーションは、外因性と内因性の2つに分けて考えられる。
・外因性は、行動に対して外部から報酬や罰則が与えられることで形成される。
・罰則も正の強化も、「結果に基づく」強化(という意味では一緒)。
・これはこれでパワフルな動機付けになる(例えば、罰金を取られるから税金を払うなど)。
・これに対し内因性は、達成感や行動への興味そのものから形成される(←勉強などではこれが望ましい)。
・つまり結果ではなく、行動すること自体が報酬となる。

と、ここまでは、なるほどふんふんというお話。
おもしろい(と思った)のは、すでに内因性の動機付けが存在する行動に外的な報酬を与えると、プラスアルファになるどころかマイナスに作用するという指摘。「もともと好きでやっていたことが急に仕事のように感じられ、内因性動機付けが低下してしまう現象」があるらしい。
つまり、新しいことを学んだり、問題を解く喜びを感じている子供に対して、通り一遍に褒めたり、成績の向上を称えたりする「教育」が、本来の学習意欲を削いでいるかもしれないということだ。

お、ここからまろの教育論が展開されるのか?というと全然そんなことはなくて、話は突然シープドッグに飛ぶ。(人と犬を一緒にすな!という声も聞こえてきそうだが、そんな人は犬のフンを踏んでしまえばいい)
実は、シープドッグの世界でよく言われるフレーズに、「トレーニングにご褒美は必要無い」とか「仕事をする(続けさせる)こと自体がご褒美」というのがあって、ああ、なるほどこのことか、と妙に合点がいってしまったのだ。

羊を追うという行動には、明らかに内因性のモチベーションが存在する。
犬は内なる衝動によって羊を追い、追うことによって快感という報酬を得る(知らんけど)。
だから「ご褒美は必要ない」のだろう。

これで羊仕事は成立するのだが、人というのはセッカチなもので、より早く、より望ましい方向に「導こう」として、罰則や報酬を与えてしまう。
これが、まぁ効果が薄いくらいだったらいいのだが、本来のモチベーションが損なわれるかもしれないとなると、放っておくわけにはいかない(誰?)。
「褒美は必要ない」というより「与えてはいけない」とか「有害」と言うべきなのかもしれない。慣れ親しんだ叱責やコマンドでさえも、使う状況やタイミングにはそれなりの注意が必要ということだ。
まぁ生き物のことだから何がなんでも絶対ダメ!ということはないだろうけど、少なくともそこにモチベーションの低下というデリケートな問題が潜むことは自覚しとかないといけない。

でわ、内的モチベーションを強化するにはどうしたらいいのか?
残念ながら、これに関する方法論や言い伝えは目にしたことがない。
たぶん、どうしようもないのだ。
内因性のモチベーションは、生得のものを自分で強化してもらうしかない。
つまり、シープドッグにはせっせと羊を追いかけてもらうしかないのだ。
このとき、人の介在がマイナスに作用するというなら、唯一できることは「放っておく」ことで、あとはせいぜい、追い終わってから「おつかれさま」とねぎらうくらいだ。

いや、わかってます。
わかってはいるけれど、難しいんですよね、これが。
どうしても犬を「操りたく」なって、口を出してしまう。
きっと人にとって、口を出すという行為には(さんざん強化されてきた)強固な内因性のモチベーションが存在するのだろう。

火曜日, 11月 12, 2019

Bladeの安静

このところ、7ヶ月の子犬を安静にさせておくという、およそこの世で最も困難なミッションに挑んでいる。
現場は見ていないが、おそらく、羊柵の上部のワイヤに引っかかり、そのままオラァ!と皮膚を破りながら飛び越えてしまったのだ。特に痛そうな素振りは無かったのだが、脇下に手を回したときに、にゅるりと4本の指がめり込んで、十字形の大怪我が発覚した。

動物病院でヤケクソみたいに厳重に縫ってもらってから、外飼いだった犬をリビングに上げ、リードを持って常に静かにさせておくという、神経をすり減らすような生活がもう3週間も続いている。

本来なら、エリザベスカラー付きでクレートにぶち込んでおけばいいのかもしれないが、羊仕事の気配で外犬たちがソワソワしだすと、中で大暴れするのが目に見えている。見るからに危うい傷口がすぐに開いてしまいそうだ(実際、できるだけ静かにさせたつもりなのに、合計4回も縫い直す羽目になった)。

そうやって一日中犬と顔突き合わせていると、つくづく人の生活って窮屈だと思う。
それ齧っちゃダメ、代わりに骨を齧ってな、傷口なめちゃダメだって、ああ、そこに手をかけないで、頼むからちょっと黙っててくんないかな、走るな!、シッコすんな!、飛んだら傷開くやんけ!、、、四六時中声をかけずにはいられない。
それでも犬の適応力は大したもので、癇癪を起こすことも、人を毛嫌いすることもなく、数日で室内暮らしが板についてくる。

実は、昨日獣医に行き、無事に抜糸してもらうことができた。
あと3日ほど安静にさせたら、外に放せるだろう。
犬を置いて近くの温泉と散髪に行くことが、小さいけれど切実な、今の望みである。

水曜日, 10月 23, 2019

ケツの穴

「ケツの穴が小さい」というのは気が小さいとか度量が狭いことを言うレトリックだが、最近、そーでもないかも?と疑り始めている。
つまり、単なる修辞的な表現ではなく、ケツの穴と気質の間には、のっぴきならない関係があるんじゃないかと。

とゆーのも、犬のウンチについて思うところがあったからだ。
犬のウンチの大きさは、各個体によって大体一定している。
その一定度はかなりのもので、本来個性などという言葉は、こーゆーときに使うべきだと思うくらいだ。
そして、ぶっといウンチをする奴は、大体において神経も図太い。
逆に細っこいウンチをする犬は、たとえ見かけはゴツくても、案外神経質だったり刺激に敏感だったりする。

たとえばファームの大御所カイラさんは、誰もが認めるおチビだが、モノはこちらが赤面するくらいでかい。そして性格はというと、(チャカチャカした見かけや行動とは裏腹に)周りに影響されないタフな面を持っている。

一方、身体の割にチマチマしたウンチのるぢ男くん。
彼はファームでは向かうところ敵なしの風で堂々としているが、たまに大人気なく子犬からおもちゃを取り上げたり、誰かが叱られたら真っ先に部屋に帰ってしまうといった、器の小さいところも見せてしまう。
サンプルが少ないからアレだが、これまでファームで見てきた犬たちには、大体、そんな傾向があるように思える。

ウンチの太さが肛門の大きさ(緩さ)と直結しているとすると、この傾向は「ケツの穴が小さい=気が小さい」説の有力な裏づけだと思う。
それに「ケツの穴が小さい」という現象が、心身の緊張状態とか胃腸のつくりとか腸内細菌の分布なんてことまで反映しているとすれば、性格や気質と密な関係があっても不思議ではない。あるいは、肛門というのは外界に対してどれだけオープンなのかを示す、身体のメッセージなのかもしれない、、、とか?

ここまで妄想を膨らませて、そーいう自分はどーなんだ?と振り返ろうとして、軽いショックを受けてしまった。
なんと自分のウンチの太さがわからないのだ!

もちろん、結構目にはしているけれど、他のモノを見る機会が無いので、それが太いのか細いのか、まるで判断できない。友人に拝み倒せば見せてくれるかもしれないし、ググればいくらでも画像が出てくるだろうが、どちらも実行に移す勇気はない。

人(てゆーか脳)は、自分の見たくないものを見事なまでに見えなくしてきたが、そのおかげで、貴重な情報源まで失ってしまったのかもしれない。

犬がお尻の匂いをとるのは、ケツの穴を観るのも目的なんじゃないだろうか?

月曜日, 9月 16, 2019

人類の叡智と自然との闘い

動物を養っている方には、だいたい同意していただけると思うが、彼らのために何か工夫した(例えば日除けを作ってやるとか、水遊び場を新調したとか)として、それを動物がこちらの意図した通りに使ってくれたりすると、自分でも意外なほど幸せな気持ちになる。

裏を返せばこれは、せっかく気を利かせてやったのに完全にスルーされたり、時には無残に破壊されたりといったガッカリなケースが、イヤになるくらい頻繁に起きるという証左でもある。

つまり、人がアタマで考えるような賢しらな知恵は、生き物という自然に対しては完全に無力、、、とまでは言えないにしても、十中八九は的外れということだ。

そう考えると、人類が気候変動を制御できないのも、子犬どもが苦労して作ったフェンスを楽々とくぐり抜けていくのも、見方によっては同レベルの現象だと言える。

だから、それほど気落ちする必要はないんだよ、自分。

水曜日, 9月 11, 2019

夏の試練

温泉に浸かってアァ気持ちエエ~ってなるのは、忙しない日常の中で温泉にでも行くかという気持ちになって、それじゃあと日程と目的地を決め、煩わしい準備や調整を乗り越えるという、そーゆー時間と気持ちの余裕がすでに気持ちエエからじゃないか?と思った。
(どーでもエエけど、一文の中に「気持ち」が4つも入ってて心持ち気持ち悪い)

この夏は動物たちが次々と体調を崩し、ほんとうに気持ちの晴れない日々だった。
起きている間ず~と、頭に蓋をされているような感じ。
まさか炎天下で行き倒れてないか?とか気になって、食事も喉を通らない・・・というのは大げさだけど、何を食べても味気ない気がした。もし温泉に行ったとしても、たぶん全然愉しめなかったと思う。


そして、悪夢のような夏はまだ終わってないのだ。

火曜日, 8月 20, 2019

子犬あるある

小屋の中のンこを掃除してやってるのに、子犬に背中をど~んってされて、顔からンこに突っ込みそうになって、慌ててのけぞった拍子に天井で頭を強打する件

水曜日, 8月 07, 2019

偽装記憶

(去年の暮くらいに書いて、放ったらかしになっていたテキストです)

なんか、世間から脅迫されてるような気がして、ボヘミアン・ラプソディを観た。

若い頃はラジオ少年だったから、Queenの楽曲も山ほど聴いてはいたけど、「ノリの良い(という表現は無かったかも)ちょっとナンパなロック」くらいの印象で、特に入れこむこともなかった。
その後、リードボーカルがAIDSで亡くなったと聞いた時も、どこか人ごとで、それほど大きな衝撃は無かった。
それが、映画を観終わった後は、思春期にQueenを聴きまくってて、何なら「オレの青春はQueenで始まりフレディの死で終わった」くらいのセリフを娘に言えるような気分になっていた。

で、話代わって今朝、たまたまYoutubeでマッケンローvsボルグの試合を観たのだが、これがまた結構衝撃だった。プレイそのものもそうだが、クセの強いフォームやラケットをいじるしぐさ、フィラとセルジオタッキーニのウェア、悲しげなボルグの眼差しと神経質なマッケンローの表情、いやもうカッコ良すぎるやんと、見惚れてしまった。

こーゆーの、三丁目の夕日効果とでも言えば良いのかな?
なんか自分の若い頃の記憶って、良かったよなぁスゴかったよなぁの方向に、少しずつバイアスがかかっている。
若い人からしたらウザいだろうなと思う。

昔より今の方が良い!と感じればもっと長生きしたくなってしまうから、そういう執着を少しでも減殺するための防御機構みたいなものかもしれない。

木曜日, 8月 01, 2019

駆け引き

これ、どこからどう見ても⚪︎ンチだが、実は単なる木片である。

これがよく犬エリアにポトンと落ちているのだ。
しかも、なぜか濡れて黒光りしているので、見るたびにドキッとさせられる。

もしかしたら犬ども、この「効果」を知っていて、ワザとやってるんじゃなかろうか?、、、と、最近疑っている。
だって、わざわざしがんで濡らしたやつを、わざわざ目につきやすい場所に落としてあるからね。

ドキッとした瞬間の表情を、隅の方からのぞき見して、観察しているのかもしれない。

だからこちらも、目一杯平静を装ってスルーしている。
うろたえたら負けだ。