水曜日, 12月 30, 2015

頭がよくならない話(1)

もう、言いたい放題。

一口に「アタマがいい」といっても、いろんな意味がある。
知識が豊富とか、話がおもしろいとか、機転が利くとか、アイデア豊富とか、物覚えがいいとか、要領良いとか、、、人によっては、相手の話をよく聴くとか、礼儀正しいとか、はたまた動きにムダが無いとか、手先が器用なんてのも含まれるかもしれない。

素直な好青年だった自分も、齢を重ねるとヒネてくるもんで、例えばすっげー物識りな人に出会っても、すっげー、とは思うけれど、アッタマいい~、とは思わなくなった。
けど、自分の知識や考え方をちょっと上から眺めて、客観的に批評できちゃったりする、って要は「自分がわかってる」ってことかもしれないけど、そんな人に出会うと、あ、この人、アタマいいっ!と素直に思ってしまう。

「知識に関する知識」とか、「メタ知識」という人もいるけど、まぁそんなもん。
かの内田せんせーも「何かを知っている人より、何を知らないかを知っている人の方がエライ」的なことを仰ってたから、この感覚もまったくのマト外れではないと思う。

人間はもっぱら頭で、しかもコトバを使って考える。だから、どんな考えも多かれ少なかれ偏向するし、それはそれでどうしようもないことだけど、問題はそれが自覚できているかどうかだ。
個人的にはこのことを「アタマがいい」リストの上位に据えたい。

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以前、このブログの中で「知の枠組み」というコトバを使った。
ざっくり言うと、物事を本当に理解しようとするなら、慣れ親しんだ枠組みを一旦壊して再構築する必要がある、ということで、アタマがいい人というのは枠組み自体が柔軟なんじゃないか、という趣旨である。

ということはつまり、「自分を知る」ことと「枠組みが柔軟」というのは、自分の中ではほとんど同じことになっている。
枠組みとは、常識や既定の概念みたいなものでもあるから、その中にどっぷり浸かってしまうと、枠組みの存在自体が見えなくなる。
だから、それを建て直すとなると、どうしても一段高い視座が必要になる。つまり枠組み再構築の第一歩、あるいは前提条件が「自分を知る」ことではないかと。

じゃあ次の一歩は何かというと、それはたぶん、「外部に対してオープンであること」だ。
既存の枠組みを一旦緩め、センサ感度を高めて外からの情報を取り込むイメージ。
取り込んだ情報を咀嚼し、栄養分を取り出し、それをうまく消化することができれば、新しい肉や骨格ができてくる。
なんか、食事のワーディングになってきてるけど、言いたかったことは、身体と同じように頭も「代謝」がキーワード、、、とまぁ、そんなところかもしれない。



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