土曜日, 10月 17, 2015

ドラマと家族(2)

定期購読しているメルマガにおもしろい記事を見つけた。
家族形態が国家の形を決定している、という説だ。

日本の伝統的な家族は、長男が「家」に留まる封建制である。同様の形態は韓国など東アジア一体に広く分布している。
これらの国では、細く長く3~4数世代が同居するから、年功序列や長幼の序などの概念が自然に受け入れられる。特定の人物というより「家」という象徴的権威があるのも特徴だ。これらの国では、民主制も独裁制も何となくすわりが悪い。

ただし、同じ東アジアでも中国は違う。中国の家族形態は「共同体家族」と呼ばれるもので、これは次男も三男も家に留まり、その家族も同居する大家族制である。そうした家族で秩序を作ろうとすれば、1人が強力な権力を行使するしかない。あとの成員はみな平等になる。
これは共産主義と親和性が高い。
じゃあロシアやキューバはどうなの?といえば、これが実に共同体家族なんだそうな。

欧米諸国は、親子が同居しない核家族型が基本で、こういうコミュニティでは個の自立に根ざした民主主義や人権といった概念が定着しやすい。
興味深いのは、同じヨーロッパでもドイツやスウェーデン、あるいはスコットランドやカタルーニャやバスクといった地方が封建家族制なことで、これらの国はヨーロッパの中でもちょっと異質であったり、独立問題がくすぶってたりする。

真偽の程は別にして、国家という人智を総動員したかのようなシステムが、実は家族という情念の塊みたいなものの投影にすぎない、という見方がおもしろい。
人間臭いと言えばこれほど人間臭いことは無い。


で、最初の話に戻ると、最近の右寄りの政治風潮とか、ヒステリックな日本文化称賛の傾向などが、ドラマに見られる家族回帰願望と同期してるんじゃないかと思った次第。
それが良いとか悪いとかは置いとくとして、世界的な情報共有が進む中で、この内向きの動きはちょっと気にかかる。これまで、あまりにも他国の目を気にして生きてきた反動かもしれない。

これからの日本人は、建前としての民主主義と、本音としての封建的な秩序感覚と、現実としての経済グローバリズムという、3つの流れに引き裂かれていくような気がする。
どこに軸足を置いてどう生きるのかを、自分の頭と心身で考える時代が来ているのかもしれない。

そういえば、春の月9枠に嵐の相葉くんが主演した「ようこそ、わが家へ」というドラマがあった。
電車の割り込み乗車を注意したのをきっかけに、家族が執拗に嫌がらせを受けるという設定で、寺尾聡が事なかれ主義の頼りない親父を好演していた。
全体に漂うざらついた不安感が名作「家族ゲーム」にも似ていたし、普段はフワフワして捉えどころが無いのに、何か事があると実体化するという、「家族」の亡霊性みたいなものをよく表現していると思った。
作者を調べたら、、、なるほど、売れっ子の池井戸潤でした。

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