火曜日, 9月 27, 2011

静養と睡眠

シャクネツ様が(というより稲刈りが)一段落すると、恒例の道造り。
春と秋に1回ずつあるのだが、春は溝掃除くらいなのに対し、秋は、好き放題生い茂った雑草/雑木刈りという大仕事がある。

いつもは適当に手を抜くのに、今年はうっかり頑張りすぎてしまった。
案の定頭と喉が痛くなり、午後一杯、ごろごろと静養するはめになった。
その夜は用心して早めにベッドに入ると、あっという間に眠ってしまい、そのまま10時間寝た。

翌朝、すっかり回復したので、懸案だった畑作りに取り組むことにする。
鋤で土を掘り返していると、10分ほどで両手に豆ができて血がにじんでしまう。
仕方が無いので静養していると、そのまま寝入ってしまい、目が覚めると夕方。。。

何だか、静養と睡眠ばかりしているような気がする。
明日こそ、寝ないで頑張る。
 

日曜日, 9月 25, 2011

死闘ズッキーニ

名前をド忘れするのは切ない。
人の名前だとバツが悪いし、物の名前で実害が無いときでもすごく気持ち悪い。
相性の問題だろうか、何度でも忘れることがある。

今日ド忘れしたのは、野菜の名前。
見た目きゅうりで、油で炒めたらおいしい、ほら、、あれ、、、

匂いや味までめっちゃイメージできてるのに、名前だけ出てこない。
頭の中で記憶と格闘していると、なぜか浮かんで来るのは「マクガイア」。
たぶん、まくわ瓜からの連想だろう。
何だよマクガイアって、野菜だよ野菜!と自分を叱咤していると、今度は「キューカンバ」がしゃしゃり出てくる。
その2つが交互に邪魔するので、どーしても肝心の名前にたどり着けない。

結局、自力更生をあきらめてHiroに訊ねてしまう。
この瞬間が、何とも言えずくやしい。

と、歯噛みしていたのは朝だったのに、夕方にまたマクガイアと格闘する羽目に...
1日に2度忘れるとは、宿命としか言いようが無い。
ズッキーニめ。
 

月曜日, 9月 19, 2011

朋有り、遠方より来たる。亦た楽しからずや

昔の職場の友人たちが、はるばる関東から駆けつけてくれた。
あいにく残暑厳しく、動物たちを引っ張りまわすのも気が引けたので、舞鶴のとれとれセンターや天の橋立など、もっぱら日本海観光に勤しんだ。
皆さん泊まっていってくれたので、ゆっくりと歓談することができた。

それにしても、「話が通じる」というのは心地良い。
この地に来て8年目になるが、実はいまだに土地の人のことばがうまく聞き取れずにいる。話の中に出てくる固有名詞(知合いの誰それとか、農業関係のテクニカルタームとか)がわからないし、そこにお酒が入って話題があっちこっちに飛び出すと、もう最初から終わりまでコテンパンに理解できない。
で、アルカイックスマイルを浮かべて静かに佇むことになる。

よく、仕事が捗らない理由として「会議が多すぎる」というのがあるが、これは事の順序を取り違えるから生じる不満であって、本当は「会議をするために」仕事をひねくりだしてるのだろう。オレらは。
「仕事」という共通の土台があれば、とりあえず、話を通じさせようと皆が努力するからね。元来、コミュニケーション下手な"オレら"でも、何とか場が持つ。

あれだけ憂鬱だった打合せが、今はもう懐かしい。
 

月曜日, 9月 05, 2011

Wキッチン

京都府の条例では、飲食業をするためには、業務用と自宅用のキッチンを分けないといけないので、ダイニング・エリアにキッチンを増設した。さらに業務用のシンクは最低2つ必要なため、今、シンクは全部で3つもある。

最初はムダだなぁと思っていたが、3ヶ月ほど使ってみると、案外、使い勝手が良いことに気がついた。
洗い物の食器を残したまま料理をするのは怠慢かもしれないが、食後にきっちりと食器を片付けるのも、毎度となるとそれはそれで気が重い。そんなとき、複数のシンクがあると、"生活に疲れた"感をそれほど出さずに、楽をすることができる。忙しいときは2人で料理することもできる(あまりやってないけど)し、ちょっと食材を置いておくのにも便利である。

もちろんスペースは必要だが、食器洗い機やオーブンを揃えるだけでなく、「ムダに広いキッチン」の効能を想像してみるのもいいかもしれない。
コンロの上で猫が寝ていても逆上せずにすむ、というのも大きい。
 

日曜日, 9月 04, 2011

泥犬と堆肥馬

犬たちが信じられないくらい汚れている。
台風のせいで、屋根付きの犬エリアまで雨が吹き込むからだ。

一歩足を踏み入れると、泥団子たちが満面の笑みで駆け寄ってくる。
「お前も泥だらけになれ~!!」
気のせいか、普段よりボディアタックが激しい。

彼らの汚れ具合を見ていると、もう2度と元には戻れないと思うのだが、不思議なことに、地面が乾く頃には普段の外見に戻っている(うちの犬は、決して「キレイ」にはならないけど)。
洋服だったらそうはいかないから、やっぱり動物の毛というのは、優れものだ。

泥団子どもの次は、堆肥パックした馬の世話だ(オリバーは、堆肥エリアでゴロゴロするのを日課にしている)。
雨の日はユーウツ。
 

土曜日, 9月 03, 2011

おわかれ

SF作家の小松左京さんが亡くなられて一ヶ月過ぎた。

中高生の頃、氏の作品を随分と読んだ、とゆーより、溺れるように読みまくった。
さっき本棚を数えてみたら、文庫本ばかり43冊もあった。失くしたのもあるだろうから、50冊近くは読んだことになる。
これだけ大量の作品に接していると、文体だけでなく、作者の感じ方や思考パタンまでわかった気になる、、、というのはウソだけど、どこか身近なオジサンという感じしてくる。ありえないくらい物識りなオジサンだけど。

特に好きだったのは「継ぐのは誰か」とか「復活の日」といった骨太の長編作品。
何度も読み返してクタクタになったそれらの本を開いてみると、あちこちにソースのシミや鼻毛の標本がついてたりして、その頃の生活が匂い立つようである。
慣れ親しんだ文章の一つ一つが本当に懐かしい。
ご冥福をお祈りします。

氏の作品をほとんど読み終えた頃、今度は筒井康隆さんに入れ込むことになる。
たまりたまった所有本が80冊。
こーなると、好みというより一種の嗜癖なんでしょうね。
 

木曜日, 9月 01, 2011

しえすた

シャクネツ様のご機嫌を損じないためには頭を低くする、、、つまりは寝るしかないやろ、ということで、このところほとんど毎日、昏倒するように午睡している。

それで一番暑い時間帯をやり過ごし、あと数時間をネットやテレビで紛らわすと、夕方からはちょっぴり涼しい風が吹いてくる。
人間らしさを取り戻すのは、夜になってからである。

でも、でも、、、その夜も11時を過ぎると頭がぐらぐらするくらい眠い。
人間らしさを取り戻す前に、人間をやめた方が良いかもしれない。