動物を養っている方には、だいたい同意していただけると思うが、彼らのために何か工夫した(例えば日除けを作ってやるとか、水遊び場を新調したとか)として、それを動物がこちらの意図した通りに使ってくれたりすると、自分でも意外なほど幸せな気持ちになる。
裏を返せばこれは、せっかく気を利かせてやったのに完全にスルーされたり、時には無残に破壊されたりといったガッカリなケースが、イヤになるくらい頻繁に起きるという証左でもある。
つまり、人がアタマで考えるような賢しらな知恵は、生き物という自然に対しては完全に無力、、、とまでは言えないにしても、十中八九は的外れということだ。
そう考えると、人類が気候変動を制御できないのも、子犬どもが苦労して作ったフェンスを楽々とくぐり抜けていくのも、見方によっては同レベルの現象だと言える。
だから、それほど気落ちする必要はないんだよ、自分。
月曜日, 9月 16, 2019
水曜日, 9月 11, 2019
夏の試練
温泉に浸かってアァ気持ちエエ~ってなるのは、忙しない日常の中で温泉にでも行くかという気持ちになって、それじゃあと日程と目的地を決め、煩わしい準備や調整を乗り越えるという、そーゆー時間と気持ちの余裕がすでに気持ちエエからじゃないか?と思った。
(どーでもエエけど、一文の中に「気持ち」が4つも入ってて心持ち気持ち悪い)
この夏は動物たちが次々と体調を崩し、ほんとうに気持ちの晴れない日々だった。
起きている間ず~と、頭に蓋をされているような感じ。
まさか炎天下で行き倒れてないか?とか気になって、食事も喉を通らない・・・というのは大げさだけど、何を食べても味気ない気がした。もし温泉に行ったとしても、たぶん全然愉しめなかったと思う。
そして、悪夢のような夏はまだ終わってないのだ。
火曜日, 8月 20, 2019
水曜日, 8月 07, 2019
偽装記憶
(去年の暮くらいに書いて、放ったらかしになっていたテキストです)
なんか、世間から脅迫されてるような気がして、ボヘミアン・ラプソディを観た。
若い頃はラジオ少年だったから、Queenの楽曲も山ほど聴いてはいたけど、「ノリの良い(という表現は無かったかも)ちょっとナンパなロック」くらいの印象で、特に入れこむこともなかった。
その後、リードボーカルがAIDSで亡くなったと聞いた時も、どこか人ごとで、それほど大きな衝撃は無かった。
それが、映画を観終わった後は、思春期にQueenを聴きまくってて、何なら「オレの青春はQueenで始まりフレディの死で終わった」くらいのセリフを娘に言えるような気分になっていた。
で、話代わって今朝、たまたまYoutubeでマッケンローvsボルグの試合を観たのだが、これがまた結構衝撃だった。プレイそのものもそうだが、クセの強いフォームやラケットをいじるしぐさ、フィラとセルジオタッキーニのウェア、悲しげなボルグの眼差しと神経質なマッケンローの表情、いやもうカッコ良すぎるやんと、見惚れてしまった。
こーゆーの、三丁目の夕日効果とでも言えば良いのかな?
なんか自分の若い頃の記憶って、良かったよなぁスゴかったよなぁの方向に、少しずつバイアスがかかっている。
若い人からしたらウザいだろうなと思う。
昔より今の方が良い!と感じればもっと長生きしたくなってしまうから、そういう執着を少しでも減殺するための防御機構みたいなものかもしれない。
木曜日, 8月 01, 2019
駆け引き
これがよく犬エリアにポトンと落ちているのだ。
しかも、なぜか濡れて黒光りしているので、見るたびにドキッとさせられる。
もしかしたら犬ども、この「効果」を知っていて、ワザとやってるんじゃなかろうか?、、、と、最近疑っている。
だって、わざわざしがんで濡らしたやつを、わざわざ目につきやすい場所に落としてあるからね。
ドキッとした瞬間の表情を、隅の方からのぞき見して、観察しているのかもしれない。
だからこちらも、目一杯平静を装ってスルーしている。
うろたえたら負けだ。
日曜日, 7月 28, 2019
地獄絵図
いや、だから、恥を忍んで「ヘビが嫌い」「ヘビが怖い」ってあれほど連呼してきたのに、なんで性懲りも無く出てくるかなぁ?
朝の給餌作業を始めようと倉庫のシャッターを開けたら、頭の上3mくらいの天井で不吉な影が視界をよぎった。
薄暗くてよくわからなかったが、目を凝らすとやっぱりだよ~、天井からぶら下がったヘビ。え、でも待って、なんか不自然にグネグネしてるやん、もしかして二匹いるんちゃう?って、自我が崩壊しないようにあえて関西弁で独り言してると、やがて状況が見えてきた。
どうもネズミを絞め殺しているらしい。
ちょうど、悪者に捕まったカウボーイが、ロープでぐるぐる巻きにされて天井から吊るされてるような体勢だ。
え、どゆこと!?
ヘビ嫌いに加えてネズミ嫌いでもある私に、今、世界で考えうる一番おぞましい絵面を見せつけてくるとわ。。。天の意図のあまりの邪悪さに恐れおののくばかり。
それから10分くらいそのまま絞め続けて、やがて息の根が止まったことを確認したのか、トグロを解き、だらんとなったネズミの死骸を咥えて、見えないところに引きずっていった。
、、、という一部始終を知っているということは、なんだかんだ言いながらずっと見守っていたということだ。どんどん暑くなる中、エサを心待ちにしている家畜たちや、作業に出たくてうずうずしてる犬たちを放ったらかしにして、だ。
もしかして、ヘビ愛?
木曜日, 5月 09, 2019
子供相談室
わたしは てす っていいます
うまれて ひとつきはん たちました
わたしは ぼおだぁこりぃなので しょーらい しぷどっぐに なります
おとさんも おかさんも ぼぉだぁこりで しぷどっぐ だからです
でも しんぱいが ひとつあります
わたしには 4にんのきょーだいが います
みんな ばかです
ぶれえずが ないから だとおもいます
これまで あーあ みんなかわいそうに と おもってたのですが きのう ふと わたしはどーなんだろ? とおもいました
ぶれえずは ひたいにあるから じぶんでは みえないんです
じぇいおじさんは じぶんのをみせびらかして ぶれえずがないと しぷどっぐには なれないよ~ っていいます
わたしは なきそうに なりました
もし わたしにも なかったら どうしよう?
こわくて こわくて おかさんにも きけません
わたしは どしたら いいでしょう?
金曜日, 3月 15, 2019
犬への思い(つけたし)
なんとなく回想風に書き流してしまったけれど、本当に言いたかったことはちょっと違うところにあって、それは、ルールや良識に従って犬を飼うという行為そのものが、彼らから成熟の機会を奪ってんじゃねーの?という危惧だ。
そもそも犬というのは、群としてそこそこ自由に暮らして(自分の意思と責任で行動して)いれば、そこそこ自然にオトナになっていくもんだと思う。
だから、野良犬の群や放ったらかしの飼犬たちのオトナ度が高く感じられたんだと思うが、今では彼らの存在は社会的に許されない。
つまり、「そこそこの自由」が、ここ日本では結構難しいことになってるんじゃないかと。
犬たちはどんどん家庭に入り、人の世話も手厚くなってきた。
人が動物を世話するとき、手持ちの参照モデルは人間の子育てということになるが、それは、動物界の中で見ると圧倒的に長くてしかも濃密だ。
犬と子供が別物ということは頭ではわかっていても、無意識的な部分も含めれば、どーしても干渉が過剰になってしまう。
しかも、ちゃんと犬に関わろうとすればするほど、彼らから自由意志を発揮する時間と場所を奪ってしまうことになる。
それに、どちらかというと個を尊重することが苦手な日本の風土もある。
私たちは子育て様式の多くを欧米から輸入してきたが、「自立を促す」空気圧のようなものは抜け落ちてしまっている。
(例えば、子供部屋を設ける理由の多くは勉強のためであって、自立のためにプライバシーを確保するためではない)
空気圧は言葉ほど鋭くはないものの、四六時中ジワジワと攻めてくるので、深く相手に浸透していく。
日本人は無意識のうちに子供っぽい子供、仔犬っぽい犬を求めてしまっているのかもしれない。
別にオトナな犬がエラいとは思ってないし、そうあるべきだとも思っていない。
むしろ仔犬っぽい犬の方が可愛いから、ペットには向いてるだろうし、犬だってそう扱われる方が嬉しいかもしれない。
ただ「可愛い」は、こと生き物に対しては上から目線の感覚であって、そこから相手に対する敬意は生まれにくい。
そこはどーなん?と思うのだが、一緒に悩んでくれる人はあまりいない。
火曜日, 3月 05, 2019
犬への思い(続き)
次に思い出したのは、その20年後くらいに出会った、ホームレスのおじさんと暮らしていた犬。
転勤の関係で、一時、天満橋あたりのアパートに住んだことがあって、引っ越して間がない頃によく付近を散策した。
ある日、大川の川べりをフラついていると、いつの間にかブルーシート小屋が並ぶ一角に紛れ込んでしまった。長居してはいけない気がして、歩調を早めてそこを離れようとした時、ある小屋の前に陣取った犬に目が行った。
どこという特徴の無い犬だったが、佇まいが堂々としていて、あぁここを「シマ」にされているんですね?という感じだった。
犬は、不審者の私に気づいてこちらを見たが、すぐにすぅっと視線を逸らした。
それが見事でしたね。
咎めるでも詮索するでも怯えるでも威嚇するでも媚びるでも好きでも嫌いでもない、感動するくらい自然でイーブンな目配り。
とても礼儀正しく遇された気がして、こちらまで背筋が伸びる思いがした。
その日にどこをどう歩いたか、今となっては思い出せないが、犬がまとっていたピッとした空気感はよく覚えている。
この2頭は見た目も境遇もまったく違うのに、自分の中では同じイメージで括られている。
何というか、とてもオトナな感じなのだ。
多分、適当な距離と節度を保って周囲と関わろうとする態度が、そう感じさせるのだろう。
これを犬の心の成熟と捉えるのは私の偏見に違いないが、内心、そんなに悪くない偏見だと思っている。
子供の頃には、そんな犬が身の回りにも結構いたように思う(野良犬の群とか、庭先で番をしてた犬とか、学校に住み着いた犬とか)が、この頃は出会う機会がめっきり減った。
たぶん、犬を取り巻く環境が変わったからだろう。
オトナな感じの犬なんてのはあまり一般ウケしないと思う。
基本的に素っ気ないし、素直じゃないし、遊びに行ってもはしゃがないし、他の犬ともツルまない、、、つまり「可愛くない」のだ。
でも、そんな犬だからこそ、一緒にいてくれると嬉しくなるのだが、共感してくれる人はあまりいない。
月曜日, 3月 04, 2019
犬への思い
まったく個人的な好みでしかないけれど、何となく一緒にいるような犬が好きだ。
この「何となく」というところがキモで、遊ぶとか、芸をするとか、トレーニングするとか、見つめあうとか触れあうとか、そういうのじゃなく、つかず離れずのところで、それこそ何するわけでなく、でも確かに自分の意思でそこにいるような犬がいい。
なぜかはわからない。
人は自分の好き嫌いの理由を説明できないものだそうだから、わからなくてもしょーがないのだが、ちょっと無責任すぎる気もする。
というわけで、原体験らしきものはないかと記憶を辿っていたら、2頭の犬が思い浮かんだ。
最初の記憶は、小学校3~4年の頃。
当時、実家ではチコというメス犬を飼っていた。
何の特技も無い、寸胴短足の、いつも困ったような顔をした、どーにも冴えない雑種犬だった。
放し飼いだったのに、狭い庭を自分の居所と決めたのか、どこにも出ていこうとはせず、日がな一日、犬小屋の屋根上でぐーたらしていた。。
ただ、学校から帰った私が遊びに出かけようとすると、声をかけてもいないのに、当然のように着いてきた。
その頃の自分には、リードを使う習慣が無かったから、一緒に歩きながら彼女は勝手にその辺の匂いをとったりしていた。普段はただ歩くだけだったが、道すがら、建築中の家に忍び込んだり、稲刈りの終わった田んぼで鳥を蹴散らしたりもした。
たまに、自然発生的に近所のガキ連中と野球やテンチョ(4人でやるボール遊び)に興じることもあったが、そんなとき彼女は暇そうに子供たちを眺めたり、隣の雑木林を探索したり、外野に転がったボールを追いかけたりしていた。
そんないい加減なつきあいでも、不思議と、二人がはぐれることはなかった。
帰り道は決まって一緒だったし、珍しく姿が見えないなぁと思ったら、先に家に帰って門のところで尻尾を振ってたりした。
当時はそれを特別なこととも思わず、犬ってそういうもん、くらいに思っていた。
だから親友とか、かけがえの無いパートナーとか、家族の一員といった、ウェットで重たい感覚は無かった。
ただ、彼女が病気で死んで数日後、いつもの道を一人で辿っていると、突然、喪失感に圧倒されてその場から動けなくなったことを覚えている。
日曜日, 1月 06, 2019
金曜日, 11月 23, 2018
書き出し
助手席に犬を載っけて、真夜中の高速をドライブするのが好きだったりする。
狭くて孤独な空間を共有していると、友情のようなものまで感じる。
でも、こっちが眠気に襲われている時に、横でぐあ~と寝てられると、無性に腹が立ってくる。
じゃあ、眠いのをこらえて愛想振りまいてくれたら嬉しいのかというと、そーでもない。
やっぱりムカつく。
いったい、私は犬に何を求めているんだろう?
・・・という書き出しだけ思いついた。
本文さえあれば、面白いエッセイになりそうなのに。。。
火曜日, 10月 30, 2018
粉もんドラマ「見られてる」
(暗がりで)
小林:よう古賀、久しぶり。相談って何だよ。
古賀:うわ、びっくりした、何だ、小林か。
小林:何だって何だよ、お前が悩んでるっていうから、オレたちここにいるんじゃねぇか。
古賀:え!? オレたちって、他にも誰かいるの?
小林:おいおい、何言ってんだよ、さっきからここにいるだろ、ふくもっちゃんが。
福本:大丈夫か?、古賀、ボケてんじゃねーの? ま、いいや、で、悩みって何だよ。
古賀:ん~、それがさぁ、、、よくわかんないんだけど、最近、ずっと見られてる気がするんだ。
小林:はぁ?気のせいだろ! だれがお前のことなんか気にするかよ。
古賀:だよなぁ、、俺、ジミだし、モテねーし、、、でも、なんかすっげー視線感じるんだよ。
さっきなんか、空から監視されてる気がしたし。。。
小林:お前さぁ、ちょっとそれ、ヤバいんちゃう? 医者行った方がいいって!
福本:いや、古賀の言うこと、わかる気がする。。。
古賀:えっ!?
小林:えっ!?
福本:実はオレも、誰かに狙われてるんじゃないかって感じてた。
それに、いきなり棒でツツかれたこともあるんだよ。ついさっきなんだけど。。。
小林:も~、ちょっと、やめろよ~。キミ悪いじゃん~。
古賀:ゴメン、ゴメン、やっぱ気のせいだよな!? バイトしすぎて疲れてんのかなぁ。。。
(食卓で)
母:セリちゃん、グズグズしないで、早く食べちゃいなさい!
娘:え~、でも、どれ食べるか、迷っちゃう~。
母:バカねぇ、たこ焼きなんか、どれも一緒よ!
あと行儀悪いから、爪楊枝でツンツンするの、やめなさい。
娘:は~い、ママ。
ど、れ、に、し、よ、う、か、な、、、
よし! キミに決めた!!
(プスッ)
古賀:あ~~~!
小林:あ、待てよ、古賀! どこ行くんだ!? お~い!!!
福本:あーあ、行っちゃった。ま、しょうがないか、オレらたこ焼きだし。
土曜日, 10月 06, 2018
腕時計の怪
昨日、久しぶりに銭湯に行って帰ってきたら腕時計を無くしていた。
そういやロッカーの奥に置いたままだったことを思い出し、慌てて受付に電話して、ロッカーの中を探してもらうようお願いした。
どこかのおっさんがパチってたら見つからんよなぁ、、、ちょっと悲しくなりながらベッドに行くと、何と枕元に置いてあった。
どうやら、朝から時計をしていなかったようだ。。。
そして今朝、目覚めたらその時計が止まっていた。
そういや、前回電池を交換してから、もう2年以上も経っている。
慌てて時計店を探したが、田舎の悲しさ、なかなか見つからない。
ようやく、食料品スーパーの中に小さな店があったのを思い出し、車を走らせた。
「すみませんっ、この時計の電池交換できますか?」
「え~っと、これは太陽電池ですねぇ。光に当ててやってください」
「・・・」
情けない。
まぁ、忘れっぽくなったのはしょうがないとして、「ロッカー奥に時計を置いた」「2年前に電池交換した」などとウソの記憶を作ってしまうのはどーゆーこと?
その場しのぎのいい加減な人生を送ってきたツケが回ってきたのかも。
日曜日, 9月 30, 2018
木曜日, 8月 30, 2018
暑すぎる
柵に突っ込んだ首が抜けなくなったと、べぇべぇ羊が喚くもんだから、救出のため外に出たんだけど、いやもう、ほんと暑い。たった5分で汗まみれ。
動物たちの様子は普段とそれほど変わらないが、運動量は明らかに少ない。
実際にはすっげーストレスなんだと思う。
脳の適応力は大したもので、異常気象をもうそれほど異常とも感じなくなってきたけれど、身体の方はそうはいかない。
この変動の早さはほんとにヤバイと思う。
まずは教育プログラムを抜本的に改編して、地球規模の自然を考える人材を組織的に育成すべきだ。
今すぐにでも。
月曜日, 7月 30, 2018
もう勘弁してください
一瞬、軽く心臓が止まったと思う。
刈り払い機にガソリンを入れようと、いつものように倉庫でゴソゴソしてたら、ふと視界の隅に黒い影がよぎった。不吉なものを感じて目を凝らすと、太くて黒いゴム管のようなものが、顔の高さから床のすぐ上まで、縦一文字にブラ下がっている。
まさかぁ!?とは思ったが、そのまさかだった。
両手を広げたくらいの青大将。
ヒュッと喉が鳴って、全身が総毛立って、おしっこ漏らした(ウソ)。
棚に丸めてあった防鳥ネットに潜ろうとして、そのまま絡まって動けなくなってしまったようだ。
これで、「ネットに絡まって自殺した蛇」を目撃するのは6匹目だ。
ラベル付けて包装したらヘビ捕獲器として売れるかも。グロいけど。
そーいえばここしばらく、倉庫で作業していると、ときどき磯の香のようなツンとした刺激臭を感じていた。その臭いには覚えがあって嫌な予感もしたが、ま、いろんな生き物いるからしょーがないかと、あまり深刻に考えないようにしていた。
あ、そーいえば最近、乾いてるはずの床に黒々としたシミを見つけて、首を傾げたこともあった。
あれ、ヘビの体液だったんだ!
10cmほど視線を上にずらしてたら、濡れた尻尾があったはず。。。
え、ちょ、そしたらさぁ、ネットに絡まってまだグネグネしていた時にも、真横で作業してたかもしんないじゃん!
や〜だ〜!!
1日1回は倉庫に入るし、その辺に置いてある工具は使用頻度が高いから、可能性は極めて高い。
想像しただけで気が狂いそうになるが、どうかトラウマになりませんようにと、今、必死の思いで文章に書き起こしている。
日曜日, 7月 01, 2018
土曜日, 6月 30, 2018
分離不安
まだ幼かった頃、知らない場所や人混みで親の姿が見えなくなると、それまでの上機嫌がウソのように泣き喚いたものだ。
今でも記憶に残る、どこかのデパートの売り場。
プレゼントを買ってもらえるというので、有頂天になって駆け回っていて、親がいない!と気づいた瞬間に世界が暗転した。
わーわー泣いても周りの大人たちが知らん顔なのがまた怖くて、ますます大声で泣き叫んだ。
買ってもらったはずのプレゼントは思い出せないが、生まれて初めて店内放送のお世話になるという痛恨の失態とともに、売り場で感じた不安や無力感は、今でもハッキリ覚えている。
なぜそんな羽目に陥るかというと、調子こいて辺りに気を取られて、親の居場所確認をサボっていたからだ。逆にいうと、親に頼っていたせいで、アウェイな場所なのに油断できるくらい安心していた、とも言える。
「あんまり離れなさんな」という親の注意なんか、まるで耳に入っていなかった。
ま、子供なんてそんなもんだし、むしろそうやってすぐに油断できるから、いろんなものを吸収できるのだろう。
犬の問題行動とされるものの一つに分離不安というのがあるが、これなんか同じだと思う。
しつけやトレーニングをどうこう言うより、要は犬が幼いということじゃないかと。
ファームに来る犬たちの中にも、それまで機嫌良く敷地をブラついていたのに、飼い主がちょっと姿を消した途端、急に騒ぎ出す犬がいる。飼い主が消えたドアの前に陣取り、抗議するように、あるいは哀訴するかのように、脇目も振らず吠え続ける。
飼い主が戻ってくると、再会を喜んで甘えまくるかというと、そうでもなくて、すぅっと平静に戻ってまた辺りをフラフラしだす。
安心と不安、万能感と劣等感、高揚と抑うつなど、気分が極端から極端に振れやすいのが未成熟な心の特徴の一つだが、分離不安な犬というのは、まさにそういう心の状態にあるのだと思う。
犬を飼うという行為は、大なり小なり、相手に子犬(の役割)を求めることでもあるから、それが分離不安という形で現れるのかもしれない。
「問題行動」と仰々しくラベリングしてしまうのは、ちょっと気の毒な気がする。
ただ気になるのは、そうやって騒ぐ犬ほど、飼い主の呼びかけへの反応が鈍いように感じられることだ。
呼んでもなかなか寄ってこない、、、くらいだったらまだいい方で、飼い主の方を見たり、あるいは耳をピクリと動かしたりといった、僅かな応答すら返さない犬もいる。
これも、まぁ子供だからと苦笑いでやり過ごすこともアリだが、呼びが効かないというのは現実的な不都合が多い。それに、幼かろうが年寄りだろうが、呼びかけをスルーするという態度は、ちょっとヨロしくない気がする。これは何とかしたい。
以前テレビで、分離不安の対処法として、犬が陣取るドアの前に敷物を置いて、吠えたタイミングで思いっきり引っ張るという方法を紹介していた。
いわゆる天罰方式というやつだが、映像を観ていて、ええ、そんなあ!?とのけぞってしまった。
もちろん、それで鳴き止む犬もいるだろうけど(TVに出演した犬には見事に効いた)、例えば不安に陥っている子供に対して、いきなり足払いをかけてひっくり返すようなことをするだろうか?
手っ取り早い対処を求める気持ちはわかる。
特に集合住宅なんかで隣近所から苦情が、、、といった事情では、即効性のあるやり方に頼らざるを得ないだろう。
ただその場合でも(問題行動が収まったとしても)、成熟やコミュニケーションに関わる課題が残っていることは頭に留めておくべきだ。
いや、たとえ目に見える問題が無くても、私たち犬飼いは「飼い犬をどうしたら成熟させられるか?」ということに、もうちょっと心を砕くべきじゃないかと思っている。犬の成熟とは何か?それを促すにはどうするのがいいか?といったことについて、犬の個性や置かれた環境に照らし合わせ、各自が少しずつ考えるのである。「心の成長」みたいなワードを意識するだけでもいいかもしれない。
そうすれば、犬との関係性が変わる、、、ことはないかもしれないけれど、自分や人社会の未熟なところに気づくことはできる。
土曜日, 6月 09, 2018
ファームあるある怖い話
3日ほど前だったかな、倉庫の中でネズミが死んでいた。
まだ、なまなましかったから、たぶんシャッターを開けたときにどこかに挟まれたんだろう。
忙しかったから、申し訳ないけど埋めずにコンポストに捨てた。
で、今日、Hiroさんがゴミを捨てようとコンポストを開けると、、、
そのネズミがまだ動いていて、こちらを睨んでいた!、、、そうだ。
どんよりした梅雨空の今朝の話。
まだ、なまなましかったから、たぶんシャッターを開けたときにどこかに挟まれたんだろう。
忙しかったから、申し訳ないけど埋めずにコンポストに捨てた。
で、今日、Hiroさんがゴミを捨てようとコンポストを開けると、、、
そのネズミがまだ動いていて、こちらを睨んでいた!、、、そうだ。
どんよりした梅雨空の今朝の話。
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