日曜日, 4月 22, 2018

俺にまかせとけ

「よく知ってるけど、口にしたことがない」セリフというのが誰にでもあると思う。

この前、何かの拍子に「オレにまかせとけ」と口にしたことがあって、その時、あれ?何かうまく言えてへん、みたいな微妙な違和感を感じた。
なぜと自問してみると、要は「言い慣れてない」からで、そう言えば、生まれて一度も言ったことないかも!?ということに思い至った。

つまり、ある仕事なり課題なりを引き受けて、実行から結果責任までまるっと背負うという言動を避けてきたわけだ、自分という人間は。
なんという無責任な男なんだろう。

いやいや考えようによっては、安請け合いをしないという意味で、逆に責任感が強いのかもしれない。
ネプチューンの原田泰造みたいに、オレにまかせとけを乱発する人間にあまり頼りたくないと思うのは、自分だけではないと思う。

まぁその辺はどっちでもいいとして、自分にはこんな未使用ワードがまだまだ一杯あるような気がする。
頭の中に、「そんなバカなっ!」とか「お前に俺の何がわかるんだ!?」とか「前の車を追ってください」といったドラマや映画の定型セリフが、未開封状態で大量にストックされている。
そういうのってちょっと可哀想じゃないかと思う。
言ったことがないセリフを使ってみたい、ということがモチベーションになって、行動を起こすことだってアリだと思う。

筒井康隆氏の小説に、登場人物の社会属性(主婦とかサラリーマンとか女子高生とかヤクザとか)と言葉遣いをミスマッチさせた話があって、強烈な異化効果に驚いたことがある。
自由に会話している気でいても、がんじがらめと言っていいくらい、言葉が限定されているのが現代人なんだと、思い知らされる。

そういえば最近、セクハラやパワハラ、暴力沙汰などの報道が多い。
そのたびに「意識を変える」必要性が叫ばれるが、それこそ表層的な意識ならいざ知らず、内面化した意識を変えるなんてことが、そう簡単にできるはずがない。
セクハラ研修でいくらケーススタディを積み重ねても、ガハハ親父の性根は変わらない。

本心は話の内容ではなく口調にあらわれる、みたいなことをどこかの学者さんが言ってたが、ならば、意識を変えるのにまず言葉遣いを変える、というソリューションもあるかもしれない。
国会なんか杓子定規な官庁語を使うから、建前しか言えないのであって、答弁は飲み会用語を使うこと、というルールにしてしまえば、ぶっちゃけオレら小役人なんかさぁ、おエライさんの顔色伺うしかないわけよ、みたいな本音が、10回に1回くらいは聞けるかもしれない。
どーしようもないガハハ上司には、とりあえず主婦の井戸端会議か、女子大生の恋バナ用語くらいをマスターしてもらおう。
もう少し、相手の気持ちを斟酌できるようになるかも。

まぁそれは難しいとしても、一人称を替えるくらいだったらできそうだ。
相手との関係で一人称が変わるのが日本語の難しいところだが、それを逆手にとるのである。

実はこんなしょうもない文章でも、しっくりくる一人称が無くて、ずっと悩んでいる。
ワタシはリーマン時代の感覚が蘇るようだし、かといってオレは強がってるみたいだし、ワシはおっさんだし、ボクは年齢的に気がひける。
だから、できるだけ一人称は使わないようにしているのだが、どうしようもないときは「ジブンは」とか「コジンテキには」などを使っている。
はっきりいって苦しまぎれだ。

あれ、何の話をしてたんだっけ?
というのも、言ってみたかったセリフの一つです。

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