火曜日, 2月 09, 2016

オレらの会社(1)

昭和世代の新聞マンガといえば「サザエさん」だろうけど、同紙の夕刊に掲載された「フジ三太郎」も忘れがたい。
サザエさんの舞台は磯野家という家庭だが、三太郎は「会社」だった。
おばさん目線とおっさん目線の違いと言えるかもしれない。

だからなのかどうなのか、子供だった自分には、フジ三太郎は何がおもしろいのかさっぱりわからなかった。それでも、アイロニカルでペーソス溢れる作風(なんとゆー陳腐な表現!)は何となく印象に残っている。
表情豊かなサザエさんと違って、三太郎はきれいなおネエちゃんにでれっとする以外、ほとんど無表情だった。
自らもサラリーマン経験のある筒井康隆は、フジ三太郎はサラリーマン賛歌ではなく、強烈な差別マンガだ!と吠えていたが、あるいはそうだったのかもしれない。

この頃は高度成長期で、日本的な「カイシャ」文化が花開いた時期でもある(もしかしたら、「三丁目・・・」にキュンとする人って、この文化が好きなんじゃなかろーか)。
みんなちょっとくたびれてて、ほろ苦くて、タバコ臭くて、屋台で肩寄せ合っては「お互いつらいよな」とグチって、でも暮らし向きは少しずつ良くなって、、、みたいな。
あまりパッとはしないけど、カイシャはおじさんたちの大切な「居場所」だった。

時代は代わったけれど、今でもこの遺伝子はしぶとく生き残っている。
長時間勤務、終身雇用、社員旅行、宴会、勤勉、年功序列、根回し、サービス残業、企業戦士、滅私奉公、フーテン社員、お局様、福利厚生・・・、「日本のカイシャ」を彩るコトバは山ほどあって、それぞれの意味は全く違うけれど、どこか似たような空気感がある。
この感じって海外には伝わりにくいだろうなぁと、ぼんやり思っていた。

なんでこんなこと言いだしたかというと、あるサイトで、女装の東大教授として有名(らしい)な安冨歩氏のインタビュー記事を見かけたから。

「日本の社会って、基本的にホモソーシャルでマゾヒスティックじゃない。」
「たとえば会社組織って、おっさんが集まっていちゃいちゃしてるでしょ、昼も夜も休日も。ずっと一緒にいて、それでいて集団マゾなの。一緒に我慢しようね、みたいな。」

いや、座布団一枚ですね。
こんだけの短い言葉で、もやっとしていた違和感のアレコレが、串刺しにされたような感じ。
そうか、カイシャって仕事っつーよりも、おっさんたちがいちゃつく場だったのね!?って。

ま、言い過ぎかもしれないけど、そう考えれば、うなづけることがいくつかある。

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