月曜日, 6月 22, 2015

褒めて育てて感謝する

最近、「犬の成熟」なんてことをよく考える。
もちろん、身体ではなくて心の話。

人と犬の関係って、基本、上下関係ですよね?
大人と子供のような。

例えば躾のとき、「正しい行動を褒める」とか「悪い行動を叱る」とか言うけど、そもそも褒めたり叱ったりは上下関係を前提にしないとできない(何が正しくて何がそうでないかは、人間しか知らないし)。
実際は躾だけでなく、あらゆる生活シーンで上下関係は再現・強化される(食餌の供給、撫で撫で、ブラッシング、声掛け、体高の違い、目線、態度、姿勢、歩く位置、etc, etc)。
犬が人と関わるということは、子供役を担うことと等しい。

羊仕事では、この関係が流動的になる。
もちろん、羊仕事でも大きな目的は人間が決めるけれど、そのサブタスク(「羊を集める」とか「動かす」とか「止める」とか)では、上下関係は弱まる、、、と言うより、状況によって刻一刻と変化するようになる。
人から教わる前に、犬は自身のやり方を持っているからだ。

そこでは、人と犬との関係性が質的に変化する。
役割の固定した縦型から、その都度最適な分担を求める水平型のチームワークへ。
”指示”から”協働”へ、”服従”から”自律”へ、”愛情”から”敬意”へ、”褒める”から”感謝する”へ・・・

この関係は、犬が子供のままでは難しい。
子供はつい親の指示を待ってしまうし、その指示に「反抗する」ことはできても「対案を出して主導する」ことはできない。
というわけで、羊仕事を考えていると、犬の成熟というテーマに至る。

考えてみれば妙な話で、人にとって「大人になる」ことは間違いなく人生の大命題なのに、犬のそれは話題にすらならない。訓練やしつけのノウハウは世に溢れてるのに、大人になること=情緒的な成熟の問題をきちんと取り扱ったものは聞いたことがない。
(犬は子供のままでいてくれた方が、いろいろと都合がいいのかもしれない)

自分を振り返ると、子供の頃は親や先生から褒められると無条件にうれしかったけれど、いつのまにかそうじゃなくなってたし、逆に「バカにされた」ように感じることさえあった。
そこに「お前はまだ子供だ」というメッセージを嗅ぎ取ったからだろう。

犬に「そういうこと」は起こらないのだろうか?
「大人になれずに不安や生き辛さを抱える」のは人間だけだろうか?
そもそも、犬にとって大人とは何なのだろうか?
・・・

世に「褒めて躾ける」方法論が定着して久しい。
そろそろ、「犬を成熟に導く」あるいは「成熟を妨げない」ためにどうすればいいかを、マジメに考えてもいい頃じゃないかと思ったりする。

目一杯、子供を演じる犬・・・

6 件のコメント:

kuro さんのコメント...

認知cognitionという分野の研究はされています。ただ、これは、学術的には哲学的思考を持って問題解釈という分野となるので、なかなか、一般犬行動を理解する、またそれを応用するというところにアプライされにくいみたいです。
また、昨今は、犬の発する言葉(シグナル)を読み解くことにより、人との意思疎通の助けにするという考え方が大きく発展してきていると思います。カーミングシグナルという言葉が一番有名ですが、つまりは、犬の発する感情/情動(と表現するらしい)を表すシグナルを読み取るという考え方です。
そこでは、まず、犬がきちんと犬同士の礼儀作法を学習するということが論じられているので、そうなると、犬は、人との暮らしの中で、人社会に生きる生物としての成熟を果たすと思われます。

個人的には、褒めるとか叱るとか、指導するとか教育するとか、上下関係とか、そういうことではなく、一緒に暮らす(あるいは作業する)人と犬が、如何に、互いの共通な言語の辞書を作り上げるか、ということにつきると思います。その過程で、犬は、そして人も、犬と人と一緒に暮らす社会環境で成熟していく、そんな物ではないか、と思います。

まろ さんのコメント...

うんうん、「自分の属する社会でちゃんと生活できる」ことを成熟とみなせば、そうかもしれませんね。

でも、わたしの「大人」の意味は少し違っていて、「自身の判断で自律的に行動し、他者と対等の関係を結ぶ主体」みたいなイメージです。
本来これは、人社会の中では望ましくない性質かもしれません。
だって自分を人間と対等だと思って、場合によっては人の指示に逆らうんですから。

もちろん、羊仕事であっても、人と犬の主従関係が基本になりますけど、ある瞬間を捉えれば、その関係が逆転しているときがあります。
「仕打ちを怖れず、犬が指示に逆らうことができるのは、トレーナーとしての誇り」と言ったファーマーもいます。
(この意見に賛成しないファーマーも山ほどいると思いますが)

そして、そういうことができる犬は、羊作業以外でも自然(=かなりそっけない感じ)に人や犬と接し、それを見てると「大人やな~」という感じを受けるわけです。
どこがどうとは言い難いのですが、作業を通じて得た自信のようなものが、犬の性格形成に影響している気がします。

あとcognitionというと、私は人間の認知心理学の、それもごく一部しか知らないのですけど、どちらかというと情報処理的なアプローチで知覚とか行動を理解しようって分野で、情緒や思考といった高次の心理過程にはあまり手を出さない、という印象でした。
「哲学的思考」とはそれこそ対極にあるような理解です。
動物は内観のような手法が使えないから、もっとその傾向が強いんじゃないかと想像してます。

kuro さんのコメント...

日常生活の中で、犬は、「自身の判断で自律的に行動し、他者と対等の関係を結ぶ主体」をやっていますよ〜。

それが、「狩猟に於ける作業」とか「羊作業」とかではなく、いわゆる家庭犬の場合は単に普通のことで、例え場、郵便屋さんには吠える方が良いのか、打ち合わせにきた業者には愛想を振りまくのがいいのかどうかとか、お客に対してはどうしたら良いのかとか,、、。

多くの人や犬や、環境にさらされている犬達は、その環境に応じて自主判断している。そして、それが、おっしゃる通り、人の社会で望ましいかどうかは別の話なのは当然です。

私は、犬であれ、人であれ、その個体が常にさらされている環境の中から得た情報によって、「自身の判断で自律的に行動し、他者と対等の関係を結ぶ主体」になってゆくと思います。都会の犬は、都会の犬なりの行動様式を持つ。そして自信を持って生活できるようになると思います。

>作業を通じて得た自信のようなものが、犬の性格形成に影響している
多くの環境にさらされていると、様々なことに対する対処を犬も覚えていくと思います。それは、「犬本来の作業」であれ、「おやつでご褒美を与えられて仕込まれた芸」であれ、同じだと、私は思うのです。:-)

哲学的思考、,、っと書いたのは、論理の展開をきちんとできないと,、、っという意味だったので、もしかしたら、言葉が間違っていたかもしれません。

まろ さんのコメント...

*すごっ、KuroさんFBと二か所で並行してやりとりしている!
*しかも、感覚派と屁理屈派の2人を相手に。。。

いや、確かにそうですね、「自律的に行動する」のは成熟や大人とは何の関係も無い。極論すれば、命令に盲従するのだって、それ自体が自分の判断だから自律的と言えるわけだし。
「自身の判断で・・・主体」は堅苦しいだけで、良い言い回しではありませんでした。
「人の指示に従ったり、人目を気にしたり」せずに行動することを、自律と言う表現に託したかっただけです。

むしろ言いたかったのは後半の「他者(人間)と対等の関係を結ぶ」かもしれません。羊仕事(や狩り仕事)以外で対等の関係になるのは難しいんじゃないか、、、ということです。
たとえ、一緒に暮らすことで双方の理解や信頼関係がどんなに深まったとしても、です。

ただ、私もゴチャゴチャと言ってますが、要は「犬が異議申立してくるような瞬間」が好きなだけであって、それを成熟やら大人やらに無理やり結びつけていたのかもしれません。
「大人と子供」というのも、人間固有の見方かもしれないし。
犬が羊仕事に向かうときは、やる気は満々だけど決して「楽しそう」ではありません。そういうのを見てると、つい「大人やなぁ」と思っちゃうんですよね。

あ、哲学的というのは論理的じゃないという意味だったんですね?
認知心理は、とかく「自然科学じゃない」という誹りを受けがちな心理学の人たちが、できるだけ再現可能な科学手法を指向して築いた分野だと思うので、そんなこというと、研究者たちは怒るかもしれませんよ。
私はむしろ、客観的な科学手法に拘るから、話が重箱の隅になって、「一般犬行動を理解する、またそれを応用するというところにアプライされにくい」のではないかと思っています。

kuro さんのコメント...

いや、以前、ある動物学者であり、また昨今では某大学で動物(特に犬)の認知について研究している人の講演を聞きに行ったことがあります。レクチャーの冒頭、我思う故に我ありの様な論理展開から始まったのですが、通訳が、それを翻訳できなくて、内容の面白さ/興味深さは、全く聞き手に伝わらなかったことがありました。ジョークが伝わらないだけならまだしも、重要な部分の論理展開が、日本語ではできていなかった。

犬のトレーニングの実用的なことの通訳では、基本的な間違いは無い通訳さんだったのですが。

っで、概念的なことを理解することは、やはり、受け取り側に於ける訓練が必要なんだな、っと思った次第です。そうそう、概念を理解する、という意味でいいたかったのか(私)

そのレクチャラーさん、なぜ認知等を研究することになったかについて、「その分野だけ席が空いていたから」だったそうで、着任が決まったら会う人会う人が「動物の認知なんて分野はみんな避けるのに、よくやるよ」とあきれられた、とか。

まろさんの好みの分野じゃないの?

薪割りの斧を手に、呆然と犬の認知について考える・・・イヤ考えている気になる???・・・姿が目に浮かびます。

やる気満々と楽しそうは、違うよね〜。

まろ さんのコメント...

何だよォ、「呆然」って・・・
いつも気持ちを引き締めて、キリリッとしている私には一番あり得ない形容です。

そうですね~、好みの分野と言えば多分そうですけど、最近はすぐに「こんな研究で税金使いやがって!」とか「論文にしやすいテーマを選んだな」みたいに、いらんところに気を回してしまう(僻んでしまう)ので、勉強はできないでしょう。

ああ、でも、Kuroさんが突っ込んでくれたおかげで、ちょっぴり意見が深まったような気がする。
やっぱ、インターネットってありがたいなぁ。