「新しい宇宙人を思いついた」という書き出しの、自作のメモを発見した。
ファイル作成日が今年の11月15日だから、ほんの1ヶ月とちょっと前だ。
そう言えば、フとそんなことを思いついて、ああ、オレ天才ちゃうか!?、と勢い込んでメモしたような気がする。
ただ、すぐに飽きてしまったようで、途中でぶった切れている。
メモの内容がこれ↓
―メモ―
新しい宇宙人を思いついた。
これまで、小説や映画でものすごいバリエーションの宇宙人が造形されてきた。
人間型、動物型、魚型、イカ型、昆虫型、寄生虫型などはもちろんのこと、基本元素が炭素ではなくケイ素や鉱物であるものや流動体まで創造されてきた。
生身の身体という概念を越えようと、惑星や星雲自体が生きている、という発想もあった。
スタートレックは実はあまり観たことがないのだが、なんとなく意識だけとか、スピリチュアルなのが得意そうな気がする。
時間軸を合わせた4次元空間に棲む生物というSFも読んだことがあるが、これは頭の中にまるでイメージできなくて困った記憶がある。
でも、どの宇宙人も、
―メモ終わり―
最後に「でも、どの宇宙人も、」と書かれているから、これまでの宇宙人イメージの共通点を挙げて(あるのか?そんなもん)、「しかし、○○のような宇宙人は誰も発想してこなかった」と続けるつもりだったに違いない。
残念ながら、肝心なところをすっかり忘れてしまっている。
何を思いついたんだろう、、、1ヶ月前の自分。
ありとあらゆる宇宙人の共通点って何だ?
それを踏まえた新しい宇宙人像って?
うぅ、すっげー気になる。
まぁ忘れるくらいだから、大したアイデアでもなかったんだろうけど。
土曜日, 12月 23, 2017
水曜日, 12月 20, 2017
手袋の陸王が欲しい
手がじっとりしてきたら、テンションダダ下がり...
冬の朝の作業。
どんな手袋をしても、魔法のように水が侵入してきて、すぐに指先がジンジンしてくる。
その状態でウンコ掃除なんかしてたら、東海林さだおの漫画みたいな情けな~い気分になってくる。
上着や長靴にも気を遣うけれど、冬の装備で一番苦労するのが手袋だ。
たぶん、中途半端な寒冷地というのがアカンのやと思う。
日が昇ると霜や氷が溶けて、地面、フェンス、餌箱、その他手に触れるもの全てがぐちょぐちょになる。
もっと寒かったら、凍ったものは凍ったままなわけで、あとは正々堂々と寒さに挑むだけだ。
なんか潔い。
それがちょいとでも温むと、途端に泥仕合になって、悲哀とか恨みとかが水と一緒に忍び込ん
でくる。
これまでありとあらゆる手袋を試してきたが、いくら防水が謳われてても、縫い目から入ってくる湿り気は防げない。
じゃあと言って外作業用のゴム手袋も着けてみたけど、結構ごつくて飼料袋の開封など細かい作業ができない。
結局、コスパも考えると軍手が一番という結論になり、ここ数年はそれで通してきた。防水性は0に近いけれど、できるだけ物に触れないようにしながら、濡れたらさっさと取り替えるという作戦で、なんとか乗り切ってきた。
もちろん、満足とは程遠い状態だ。
そんなこんなで、手袋問題はほとんど諦めかけていたところ、最近、え、これ最強ちゃうん!?と思える方法に出会った。
それが軍手と台所用ゴム手袋の重ね履き。軍手をはめた上から、ちょっと大きめのゴム手袋をつけるだけだ。
これが、結構いける。
優れポイントは、
おかげで、朝作業のユーウツ度が3割方改善した。
台所の神様に感謝。
ついでに、軍手インナー付ゴム手袋を商品化してくれたらうれしい。
それにしても、身体の末端の、しかも体表面積にして1%にも満たない指先が濡れただけで、なぜこんなにも気が滅入るのか?
掘り下げないといけないテーマやと思う。
冬の朝の作業。
どんな手袋をしても、魔法のように水が侵入してきて、すぐに指先がジンジンしてくる。
その状態でウンコ掃除なんかしてたら、東海林さだおの漫画みたいな情けな~い気分になってくる。
上着や長靴にも気を遣うけれど、冬の装備で一番苦労するのが手袋だ。
たぶん、中途半端な寒冷地というのがアカンのやと思う。
日が昇ると霜や氷が溶けて、地面、フェンス、餌箱、その他手に触れるもの全てがぐちょぐちょになる。
もっと寒かったら、凍ったものは凍ったままなわけで、あとは正々堂々と寒さに挑むだけだ。
なんか潔い。
それがちょいとでも温むと、途端に泥仕合になって、悲哀とか恨みとかが水と一緒に忍び込ん
でくる。
これまでありとあらゆる手袋を試してきたが、いくら防水が謳われてても、縫い目から入ってくる湿り気は防げない。
じゃあと言って外作業用のゴム手袋も着けてみたけど、結構ごつくて飼料袋の開封など細かい作業ができない。
結局、コスパも考えると軍手が一番という結論になり、ここ数年はそれで通してきた。防水性は0に近いけれど、できるだけ物に触れないようにしながら、濡れたらさっさと取り替えるという作戦で、なんとか乗り切ってきた。
もちろん、満足とは程遠い状態だ。
そんなこんなで、手袋問題はほとんど諦めかけていたところ、最近、え、これ最強ちゃうん!?と思える方法に出会った。
それが軍手と台所用ゴム手袋の重ね履き。軍手をはめた上から、ちょっと大きめのゴム手袋をつけるだけだ。
これが、結構いける。
優れポイントは、
・湿気が完璧に防げる。
・思ったより暖かい。
・軍手だと絡みついてくる干し草も、気にせず触れる。
・ゴムが薄いから細かい作業もこなせる。
・案外、丈夫(最近のゴム手って良くできてるんやね~)。
などなど。おかげで、朝作業のユーウツ度が3割方改善した。
台所の神様に感謝。
ついでに、軍手インナー付ゴム手袋を商品化してくれたらうれしい。
それにしても、身体の末端の、しかも体表面積にして1%にも満たない指先が濡れただけで、なぜこんなにも気が滅入るのか?
掘り下げないといけないテーマやと思う。
木曜日, 12月 07, 2017
祝福と戒め
神は、人々が神のしもべであることの証に、髪の毛(神の子)を授けることとされた。
また神は、人々が神のしもべに過ぎないことの証に、その髪を少しずつ奪うこととされた。
・・・要するに、
神様っていぢわる.
また神は、人々が神のしもべに過ぎないことの証に、その髪を少しずつ奪うこととされた。
・・・要するに、
神様っていぢわる.
火曜日, 12月 05, 2017
絶対音感と犬
養老孟司が新しい本を出したと聞いて、久しぶりに本屋に行った。
別に熱心な読者ではないけれど、「遺言。」なんてタイトルをつけられたら、スルーするのも申し訳ないかなぁ、、、とうっかり思ってしまったのだ。
で、殊勝な心持ちで読み始めたら、いきなり「当面死ぬ予定はない」とか「この本も『遺言1.0』とでも呼んだ方がよい」などと書いておる。
"まんまとじーさんに一杯食わされた"感が強い。ちっ
でも、本文冒頭にはおもしろいことが書いてあった。
犬猫の聴覚は絶対音感だと。
つまり彼らは、たとえ同じ声符であっても、音の高低によって、違うメッセージとして捉えている可能性があるということだ。
え、そ、そうなの!?
知らなかった...
そーゆー大事なことは、早く教えてくれないと困る.
そうと知ってたら、「コマンドわかってるくせに無視しやがって!」とムカつかずに済んだかもしれないのに。犬は音の違いに混乱しただけかもしれないのだから。
そういえば、いろいろと思い当たる節がある。
例えば、一般にかけ声よりも笛やクリッカーの方が犬の反応が良いと言われているけど、音程の安定度を考えると、なるほどそーゆーことだったのね、と思える。
(もしかしたら犬笛より、音階のあるチャルメラの方がええんちゃうん!?)
また、「訓練士の指示には従うのに、飼い主は無視する」という類の話は、単に指示が指示として聴こえてないだけかもしれない。飼い主がナメられてるのでは!?といきり立つ前に、検討してみる価値はある。
あと、しつけの心得の一つに「叱るのはいいが、腹を立ててはダメ」というのがあるが、これも怒りで犬が萎縮するから、という他に、声色の変化で何言ってるのかわからなくなる、という理由もありそうだ。
絶対音感を想定しただけで、いろんな気づきやヒントが得られる。
ただ、じーさんの言うことだから、ホントかどうかはわからない。
でも実のところ、そこはどっちでもいいと思っている。
コトバを操ることが息をするくらいフツーの私たちには、自分の「マテ」と他人の「マテ」が違って聴こえてるかも、、、なんてことはまず想像できない。
「いや、ウチの犬はよくコトバを聞き分けるよ」と言う人は、それが犬の努力の賜物であって、人よりも大きな負荷がかかっているかもしれない、という可能性には思いが至らない。
この種の想像力の欠如こそ、「擬人化」と呼ぶべきだと思う。
絶対音感を考えてみることで、想像の裾野が少しでも広がるなら、それはそれで充分”アリ”だと思う。
ちなみに人間はどうかというと、なななんと、やっぱり絶対音感なんだそうだ。
解剖生理的にはそうなるらしい(耳の感覚器は、周波数によって違った部位が共振するようにできている)。ただ、コトバを学習する過程で、その能力が邪魔になるので、あえて使わないようにしているとのこと。
確かに、「あ」は誰が発声しても「あ」と聞こえるべきで、声の高低によって「い」や「う」に聞こえるようではマズい。
要は、動物界では絶対音感が普通で、例外的にその能力を抑制した動物が人間、という見方が実態に近いようだ。
人は、微妙な音を聞き分けて危険を察知することより、コトバによるコミュニケーションを優先した、ということだろう。
この文章も、コトバによって失われたものをコトバで補おうとするあたり、いかにも人間らしい営みだなぁと思う。
我ながら健気。
別に熱心な読者ではないけれど、「遺言。」なんてタイトルをつけられたら、スルーするのも申し訳ないかなぁ、、、とうっかり思ってしまったのだ。
で、殊勝な心持ちで読み始めたら、いきなり「当面死ぬ予定はない」とか「この本も『遺言1.0』とでも呼んだ方がよい」などと書いておる。
"まんまとじーさんに一杯食わされた"感が強い。ちっ
でも、本文冒頭にはおもしろいことが書いてあった。
犬猫の聴覚は絶対音感だと。
つまり彼らは、たとえ同じ声符であっても、音の高低によって、違うメッセージとして捉えている可能性があるということだ。
え、そ、そうなの!?
知らなかった...
そーゆー大事なことは、早く教えてくれないと困る.
そうと知ってたら、「コマンドわかってるくせに無視しやがって!」とムカつかずに済んだかもしれないのに。犬は音の違いに混乱しただけかもしれないのだから。
そういえば、いろいろと思い当たる節がある。
例えば、一般にかけ声よりも笛やクリッカーの方が犬の反応が良いと言われているけど、音程の安定度を考えると、なるほどそーゆーことだったのね、と思える。
(もしかしたら犬笛より、音階のあるチャルメラの方がええんちゃうん!?)
また、「訓練士の指示には従うのに、飼い主は無視する」という類の話は、単に指示が指示として聴こえてないだけかもしれない。飼い主がナメられてるのでは!?といきり立つ前に、検討してみる価値はある。
あと、しつけの心得の一つに「叱るのはいいが、腹を立ててはダメ」というのがあるが、これも怒りで犬が萎縮するから、という他に、声色の変化で何言ってるのかわからなくなる、という理由もありそうだ。
絶対音感を想定しただけで、いろんな気づきやヒントが得られる。
ただ、じーさんの言うことだから、ホントかどうかはわからない。
でも実のところ、そこはどっちでもいいと思っている。
コトバを操ることが息をするくらいフツーの私たちには、自分の「マテ」と他人の「マテ」が違って聴こえてるかも、、、なんてことはまず想像できない。
「いや、ウチの犬はよくコトバを聞き分けるよ」と言う人は、それが犬の努力の賜物であって、人よりも大きな負荷がかかっているかもしれない、という可能性には思いが至らない。
この種の想像力の欠如こそ、「擬人化」と呼ぶべきだと思う。
絶対音感を考えてみることで、想像の裾野が少しでも広がるなら、それはそれで充分”アリ”だと思う。
ちなみに人間はどうかというと、なななんと、やっぱり絶対音感なんだそうだ。
解剖生理的にはそうなるらしい(耳の感覚器は、周波数によって違った部位が共振するようにできている)。ただ、コトバを学習する過程で、その能力が邪魔になるので、あえて使わないようにしているとのこと。
確かに、「あ」は誰が発声しても「あ」と聞こえるべきで、声の高低によって「い」や「う」に聞こえるようではマズい。
要は、動物界では絶対音感が普通で、例外的にその能力を抑制した動物が人間、という見方が実態に近いようだ。
人は、微妙な音を聞き分けて危険を察知することより、コトバによるコミュニケーションを優先した、ということだろう。
この文章も、コトバによって失われたものをコトバで補おうとするあたり、いかにも人間らしい営みだなぁと思う。
我ながら健気。
登録:
投稿 (Atom)