前々から、ここで触れなければと思っていた。
昨日、食い過ぎで膨張したトトの腹を眺めていて、フとそのことを思い出した。
やぎさんゆうびん(詞まどみちお)
しろやぎさんから おてがみ ついた
くろやぎさんたら よまずに たべた
しかたがないので おてがみ かいた
さっきのてがみの ごようじ なあに
くろやぎさんから おてがみ ついた
しろやぎさんたら よまずに たべた
しかたがないので おてがみ かいた
さっきのてがみの ごようじ なあに (以下、繰り返し)
なんて、ぐれーとな歌詞なんでしょ。
まず、出だし。
普通だったら「白やぎさんが手紙を書いて黒ヤギさんに送った」と説明したくなるところを、全部すっ飛ばしていきなり「しろやぎさんから おてがみ ついた」である。
この一行で見事に物語が立ち上がっている。
ばかりか、ヤギ社会に郵便システムがあるという不条理世界をあっさり成立させてしまうという力技...
文章的に唯一欠けている「手紙を受け取ったのは誰か」を示す主語は、次の行でごく自然に補われている。
「くろやぎさんたら よまずに たべた」
まったく無駄が無い。なんちゅー匠。
ここで見逃せないのは、「は」の代わりに用いられた「たら」である。
この助詞一つで、食いしん坊でうっかり者という黒ヤギさんの性格と、それでも皆に愛されているらしい、ということが推測される。
寝物語として子供に読み聞かせている(できれば南沢奈央みたいな)若いおかあさんの「あらあら、黒ヤギさんたらしょうがないわねぇ」という微笑みまで目に浮かぶではないか。
「よまずに たべた」という簡にして要を得た表現もすばらしい。
そして、起承転結の転に当たる3行目に「しかたがないので おてがみかいた」と来る。
まいった。
これも普通だったらば「はて、白ヤギさんの用事は 何だったんだろう?と疑問に思った黒ヤギさんは 白ヤギさんに手紙を書くことにしました」くらい説明したくなるところを、「おてがみ かいた」で済ましてしまう。
逆に、このギリギリまで切り詰めた歌詞の中で「しかたがないので」という長いフレーズを使うのは随分と勇気がいったと思うが、そこに黒ヤギさんの深い諦念と悲しみが伏流しているようで、そう思えばもうこれ以外の選択肢は考えられない。
極めつけが最終行の「さっきの てがみの ごようじ なあに」
これにより、直線的に進行してきた歌詞に繰り返しという運動性が加わり、「永遠」の概念が導入される。時空間が一気に宇宙レベルにまで広がる。
しかも、悠久の時が流れても、おそらく最初の手紙の内容は謎のままなのである(量子力学的にはわかるのかもしれない)。
その境地はもはや、哲学や宗教的法話の域にまで達している。
おそらく何万人を超える童子が、笑い転げながら「終わりそうで終わらない」遊びをしたはずである。
その童子は知らず知らずのうちに、輪廻転生や曼荼羅といった東洋的宇宙観や、コミュニケーションの人類史的本質について学んでいるのである。
おそるべし、やぎさんゆうびん。
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