土曜日, 11月 28, 2015

あろ男とるぢ男と茶色君

一括りにしちゃいけないんだろうけど、大体において男というやつは、始末に悪いというか、小骨がのどに刺さるというか、薬指の逆むけが気になるというか、なんかこうス~っと行かないところがある。

表題の3名はその代表として出てもらったが、ほかの男たち(ぐれぐ、ふりーと(犬)、もなか(猫)、きぃちゃん(バリケン)、白うこ(鶏)、レイ君、おれんぢ耳ばん(羊)・・・)もそんなところがある。
どこがどうというほどでもないけれど、全員例外なく面倒臭い。

あろ男。最近入ってきたアローカナの雑種鶏。
鶏舎だけで暮らしてたらしく、最初はビクついてたけど、最近は環境にも慣れ、元気にメス鶏を追い回している。
それはいいのだがこの男、朝、他の鶏と一緒に鶏エリアに入れても、すぐに網を飛び越え、そのまま夕方までフラフラしている。

先日、裏庭にいた女性ゲストが「この鳥、どうしたんですか~!?」と声を上げる事件があった。
ああ、また、あろ男がうろついてると思い、肩越しに「そいつ、人懐っこいんですよ~」と返答したのだが、どうも妙な緊張感が伝わってくる。
振り返って見てみると、あろ男のやつ、そっくりかえってジャンプしながら、ゲストに蹴りを入れてやがる!何度も何度も。。。
何が気に入らなかったんだ!?

るぢ男君、朝夕の仕事タイムには、鳥追い羊追いに精を出しているが、それ以外の時間は自分の場所でちんまりして、翁のような静かな日常を送っている。
だからその話を聞いたときは意外だったのだが、先日、Hiroが九州遠征したとき、待たせておいた車の中で大暴れしたらしい。
少し開けておいた窓から顔を出し、風除けのバイザーを再起不能にした他、シートベルトをボロボロにしやがった。シートベルトは「切れるまでこのまま使う」と決心して修理費を節約したが、それでも2万円超の臨時出費。
やってくれるわ~。

茶色君はファーム唯一のcolored羊として、熱い期待を一身に集めている。
若いし身体が小さいこともあって、比較的ひっそりと群の中で暮らしてきたのだが、最近、少しずつ自信が出てきたらしく、不穏な行動がチラホラ見える。
部外者にメンチ切ったり、他のオスにゴンしたりはまあいいとして、人間に対しても頭突きの真似事をするようになった。
今のところ控えめに、偶然を装ってでこを押しつけてくる感じで、「なんやねん」と睨んだら「ああ、こらすんまへんな」と謝ってくれそうだが、これから、エスカレートしていきそうな気もする。
レイ君みたいなDV羊になったらどうしよう。

...というわけで、何かと世話の焼ける男組だが、人間みたいに「だる~」とか「ちょーうぜぇ」とか「おやぢぃ~、金くれ」とか言わないからまだい-か。

土曜日, 11月 21, 2015

ねこのしゃーわせ

もなかの寝場所は季節ごとに変わる。

最近、つまり2015年の秋は、掛け布団の上に決めたようだ。
別にいーんだけど、足元とか、腹の横とか、股下とか、布団と首の間とか、顔の上とか、、、あっちでぐりぐり、こっちでもみもみ、一晩中動き回るから寝苦しくてしかたがない。
で、こちらも頻繁に寝返りを打つから、それがやつには寝苦しいのだろう。
夜が明けるころには、二人ともどことなく不機嫌になっている。

眠気をこらえて布団から這い出ると、もなかは布団の上で「ぎうっ」と丸まる。
占拠したベッドで本格的に寝直すつもりだ。
「やれやれ」という声まで聞こえてきそうだ。
その様子を見ると、日によって微笑ましく感じたり、苦々しく思ったり、時には軽い殺意を覚えたりもするけれど、基本的には「あんた、幸せやね~」と思う。

これが人という動物のおそろしいところだと思う。
猫の幸せなんてわかるはずないのに、勝手に決めつけている。
心の底のどこかで、「感謝しろよな」と思っている。。。

1日中うつらうつらしてる猫は、確かに幸せそうではあるけれど、実は単調な日常とそれを打開できない己の無力に絶望して、鬱になってる可能性だってないとは言えない。
痩せこけて惨めったらしい野良猫でも、実は猫界で一目置かれる存在で、その境遇に至上の喜びを感じているのかもしれない。
そうじゃないとは誰にも断言できない。
そもそも「幸せ」っつーのも人間が勝手に作った物語に過ぎないわけで、それを猫に当てはめようなんておこがましいかぎりだ。

人間の本当の恐ろしさは、内に秘めた攻撃性や残虐性よりも、実はこのハンパな共感性にあると思う。
相手の気持ちが生半可に「わかった気に」なるから、あるいは「自分には相手の気持ちがわかる」と思い込むから、相手を軽んじたり、疑心や憎しみを培養してしまうんじゃないかと。

阪神が負けて一番やりきれないのは、相手チームファンの哄笑が頭をよぎってるときだ。
犬や猫に対して逆上するのは、決まって「言ったことを無視した」とか「俺をコケにしやがった」と感じたときだ。
どちらも想像の産物、、、って言ったら「想像」に申し訳ないくらいの、つまらない邪念に過ぎないのに。

もちろん、共感性というのは人の稀少な美質でもあるわけで、それそのものを否定することはできない。
「どうせわからんのだから相手の気持ちなんか考えてもムダ」と言いたいのでもない。
そうではなくて、「本当のところは金輪際わからない」という絶望を出発点にしながら、それでも相手の気持ちに迫りたいという、切ない願望について書いている。

永遠の苦役を強いられるシジフォスの神話は、「そういうこと」の尊さを言ってるんだと思う。
てゆーか、わからないからわかろうとする、あるいは「知ったかぶりはNG」というだけの、単純な話かもしれないな。。。

月曜日, 11月 09, 2015

ヤギとかヒツジとか

いわゆる「ヒツジとヤギではどっちがイケてる?」論争というのが昔からあって、未だに総括的な合意は得られていないものの、こと「なごみ度」に関していえば、ヤギが若干優位に立ちつつあるのではないか、というのが最近の感触である。

これ、やっぱり弱点やろ!?と危惧されていた容姿にしても、確かに冬毛を蓄えた丸ヒツジの完成度には遠く及ばないものの、エサを詰め込んででっぷり膨らんだ腹は、枯れ木みたいな足とのコントラストもあって、なかなか捨てがたい味がある。

しかし容姿はあくまで容姿であって、実はそれほど重要ではない。
問題はやはり内面だ。

もちろん草食動物だから、基本的には両者とも人を警戒する。
ヒツジにしてもヤギにしても、いかにも迷惑気に横目で睨まれたりすると、せっかく世話してやろうとしてるこちらとしては、鼻白むことが多い。
それでもたっぷり人手をかけて育てたヤギは、たまに、、ごくたまに、ごくごくたま~に、コミュニケーションが成立するように感じることもある。

今年の虫下しの注射のときには、両者の違いが際立った。
ヒツジはスルーを決めこむか、身体をよじって痛みを表現するだけで、自分の番さえ過ぎてしまえば、いつものように人から遠いところでじとっと固まっている。そんだけ。
だから、こちらとしても特にねぎらう気にならず、粛々と作業を終え、粛々と畜舎を後にするしかない。

これに対してヤギ。
こちらもびっくりしたのだが、注射が終わって一瞬の間を置いた後、「ぎいあああああ~!」と喚きやがった。

これがまた信じられない大音響。
たぶん集落中に響き渡ったと思う。
人の顔を睨みつけ、眼を剥いて唇を突き出したその表情は、明らかに抗議の意思を表明していた。

それで人間嫌いになるかというとそうでもなくて、当座の痛みさえ退けば、こちらへの態度は全然変わらないのである。
白衣を着た獣医さんは、1年経ってもしっかり敬遠されるけれど。

いや~、なんかすっげー癒されるわ。