Sunday, July 28, 2013

もなかの寝技

彼には、自分の姿がオモロイということについての自覚があるに違いない。
偶然というにはあまりにも頻繁に、わざわざ人の目の前にやって来て、「ポテッ」と寝転んでみせるからだ。
張りのある大きな腹と、無力で短い脚のバランスが絶妙で、どうしても無視できない。

怠け心を諌め、さぁ外仕事するかと立ち上がりかけたときにこれをやられると、そのまま崩れ落ちてしまう。
そーですか、でもまぁPCくらい、と椅子に座ると、わざわざ机に上ってきてキーボードで寝る。
ようやく掻き集めた"やる気"が、ため息とともに漏れ出てしまう。
人間とは本当に弱いものです。

それにしても、君の狙いは何なんですか?
どーして行く先々についてきて、"寝てみせる"んですか?













PCの隙間に寝てみる

Wednesday, July 24, 2013

やぎさんゆうびん

前々から、ここで触れなければと思っていた。
昨日、食い過ぎで膨張したトトの腹を眺めていて、フとそのことを思い出した。


やぎさんゆうびん(詞まどみちお)

しろやぎさんから おてがみ ついた
くろやぎさんたら よまずに たべた
しかたがないので おてがみ かいた
さっきのてがみの ごようじ なあに

くろやぎさんから おてがみ ついた
しろやぎさんたら よまずに たべた
しかたがないので おてがみ かいた
さっきのてがみの ごようじ なあに  (以下、繰り返し)


なんて、ぐれーとな歌詞なんでしょ。
まず、出だし。
普通だったら「白やぎさんが手紙を書いて黒ヤギさんに送った」と説明したくなるところを、全部すっ飛ばしていきなり「しろやぎさんから おてがみ ついた」である。
この一行で見事に物語が立ち上がっている。
ばかりか、ヤギ社会に郵便システムがあるという不条理世界をあっさり成立させてしまうという力技...
文章的に唯一欠けている「手紙を受け取ったのは誰か」を示す主語は、次の行でごく自然に補われている。

「くろやぎさんたら よまずに たべた」

まったく無駄が無い。なんちゅー匠。
ここで見逃せないのは、「は」の代わりに用いられた「たら」である。
この助詞一つで、食いしん坊でうっかり者という黒ヤギさんの性格と、それでも皆に愛されているらしい、ということが推測される。
寝物語として子供に読み聞かせている(できれば南沢奈央みたいな)若いおかあさんの「あらあら、黒ヤギさんたらしょうがないわねぇ」という微笑みまで目に浮かぶではないか。
「よまずに たべた」という簡にして要を得た表現もすばらしい。

そして、起承転結の転に当たる3行目に「しかたがないので おてがみかいた」と来る。
まいった。
これも普通だったらば「はて、白ヤギさんの用事は 何だったんだろう?と疑問に思った黒ヤギさんは 白ヤギさんに手紙を書くことにしました」くらい説明したくなるところを、「おてがみ かいた」で済ましてしまう。
逆に、このギリギリまで切り詰めた歌詞の中で「しかたがないので」という長いフレーズを使うのは随分と勇気がいったと思うが、そこに黒ヤギさんの深い諦念と悲しみが伏流しているようで、そう思えばもうこれ以外の選択肢は考えられない。

極めつけが最終行の「さっきの てがみの ごようじ なあに」
これにより、直線的に進行してきた歌詞に繰り返しという運動性が加わり、「永遠」の概念が導入される。時空間が一気に宇宙レベルにまで広がる。
しかも、悠久の時が流れても、おそらく最初の手紙の内容は謎のままなのである(量子力学的にはわかるのかもしれない)。
その境地はもはや、哲学や宗教的法話の域にまで達している。

おそらく何万人を超える童子が、笑い転げながら「終わりそうで終わらない」遊びをしたはずである。
その童子は知らず知らずのうちに、輪廻転生や曼荼羅といった東洋的宇宙観や、コミュニケーションの人類史的本質について学んでいるのである。

おそるべし、やぎさんゆうびん。 

Thursday, July 18, 2013

前半戦終了

おっさん臭いプロ野球に入れこみ、贔屓チームの勝敗に一喜一憂する自分があまり好きじゃないので、できればもう卒業したいのだけれど、実際問題これがなかなか難しい。

ここ数年、シーズン開幕から5月くらいまでは自分でも意外なくらい醒めていて、ああ、またやってら、今年もごくろうさんですね、と関係者をいたわるくらいの距離感があるのだが、球宴前後のこの時期になると、もうリアルタイムで試合を観戦できなくなるくらい、勝敗にこだわっている自分がいる。
一体、これはどういうことなんだろう?

一つのエピソードを思い出した。

もう30年近くも前、会社に入ったばかりの頃、近くの席に2年上の先輩がいた。
その先輩は、細身の身体をトラッドファッションで隙なく固め、年若いながらも冷静かつ理知的、メガネを光らせて会議で発言すると居並ぶ上司たちも一目置くという存在だった。

あるとき、その人が巨人ファンだということがわかり、新人で阪神ファンだった自分とバトルを繰り広げることになった。
とはいってもトラッド青年対公家の闘いなので、はしたない口論などにはならない。
第三者はまったく気付かなかったと思う。

しばらくは憐み攻撃(「エラーにも味があるよね」とか「昨日の先発、、、ふっ、、、」みたいに、相手を効果的に傷つける言葉を呟き、あとは寂しげに微笑んで相手を見つめる)の応酬が続いたが、そのうち、スポーツ新聞攻撃というのが開発された。
前の晩に相手の贔屓チームが負けたとき、駅でできるだけ下品なスポーツ新聞を購入し、相手の出社前に机の上にそっと置いておくという、骨の折れる攻撃だった。
この効果は案外大きくて、半日は嫌な気分が持続した。
つまりはスポーツ新聞の見出しというのが、それくらい人の心をざわつかせるように書かれているということなのだろう。
そんなことをほとんど1シーズンの間繰り返して、そのうち、何となくやめた。

これくらい、何の教訓も反省も得られないエピソードも少ないが、その頃の思い出としては一番鮮明に記憶している。
プロ野球とは、まあざっとそういう存在なのだろう(はぁ?)。
 



Thursday, July 11, 2013

へび×2

使わなくなった防鳥網を、ぐるぐるっと巻いて、ログ小屋の横に置いといたですよ。
そこが草で鬱蒼としてきて、いやーな雰囲気になってたですよ。
そーゆー薄暗くてややこしいところが好きだから。

案の定、いました。
ぶっとい青大将。
近づくと、ずるずるびくびく胴をくねらせ、逃げていこうとする。

去る者は追わない主義なので、そおっと後ずさりしてその場を離れる。
そのすきにきれいさっぱり、できれば地の果てまで逃げていってほしかったのに、数分して見に戻ってみると、まだそこにいる。

ちょっと様子がおかしい?
逃げてるんじゃなくて、グネグネしてるだけのような。
勇気を振り絞って近寄って見ると、頭の部分に網が絡みつき、もがいていたようです。
防鳥網がヘビのワナになっちゃったんですね...

かわいそうですが、私にはどうすることもできない。
少なくとも一か月はその場所に近づかないから、その間に朽ち果てるか、あるいは自力で逃げるかするように。

と、決意して平穏な日常が戻るはずだったが、まだどことなく違和感がある。
そのヘビ、異様に胴が長いのか、やたらこんがらがっていて、この世のものとは思えないほど禍々しい。
気のせいか、端っこ(尻尾の先)が2つあるように見える...
オーマイガッ!!
もう一匹いる!

元のヘビに絡みつくようにもう一匹いました。
一瞬、喧嘩してるのかと思ったが、片方はすでに動かなくなっている。
やはり網に絡まって抜けなくなり、一足先に息絶えたらしい。


もう勘弁してほしい。
網に絡まるのは勝手だが、なんで、わざとらしく目につくところでやるのか。
暑いのに鳥肌が立ちっぱなしで、気分が悪くなってくる。
お願いだから、早く成仏してください。

...と、半泣きで祈ったのが一昨日。

今朝、「放っておくと臭い」というHiroが、まだうにょうにょ動いてるヘビの絡まった網を無理やり引っ張り出し(ひえぇぇ~っ!)、ゴミと一緒に燃やしてしまった。
いや、もう、ほんと、何という人でしょうか...


Sunday, July 07, 2013

草刈りしようよ

先日、相方Hiroが「草を刈る」と言って、刈払い機を担いで畑に入っていった。
普通、畑の草むしりにエンジン付の刈払い機を持ち出す人はそういないと思うが、ファームの畑は「畑」と書くのが恥ずかしくなるくらい、茂りまくった草で藪のようになっている。

そもそも、私たちは畑仕事というものが嫌いなのかもしれない。
堆肥を撒いて、地面を耕し、畝を作って種を撒くところまでは、かろうじてできる(いつも時期ギリギリだけど)。
そこから先の世話が、からっきしできない。
毎年、梅雨時になると、雑草の中に野菜が埋没し、生きてるのか死んでるのか不安になってくる。
そういう状態に追い込まれて、やっと重い腰が上がる。

放ったらかしのことを「自然」というなら、これはもう堂々とした自然農法と言えるでしょう。
肥料は馬のフンだけ、農薬の類は一切無し。
虫や雑草とはとても仲良く(?)共生している。
なので、収穫量と見てくれは良くないが、味はとても良い、、、と思っている。
この野菜たちを食いつなぎ、厳しい夏を乗り切るのも毎年のことである。

突然ですが、そんな自分たちにエールを送る野菜たちに感謝の意を込めた替え歌です。


草の丈が 肩まで伸びて
藪と同じに なったら
約束どおり 刈払い機で
草刈りしようよ MMM

古いモーターを ブルンと鳴らそう
土の地面が 見えたら
おくら起こして ピーマン救おう
草刈りしようよ MMM

二人で刈った 緑の草を
裏の倉庫の 軒下に並べて干そう
草刈りしようよ 草の丈は
もうすぐ肩まで とどくよ
 

Thursday, July 04, 2013

はい、みなさん、ごいっしょに

下の記事書いてて思い出した。

大阪人の掟の一つに、「おキライですか?」と振られたら、すかさず「おスキです」と返さなければならない、というのがある。
一種の礼儀と言うか形式だから、あまり感情込めず乾いた感じでやりとりすることが、コツと言えばコツ。

大抵は下ネタが絡んでいて、ちょっとでも引いたり怯んだ素振りが見えると、すかさず振られることになっている。
あらゆる人間を等しく形而下世界に引きずり落とす強烈な呪力がある。

振った側は、相手の品位を微妙に押し下げることで自分の尊厳を守ることができ、答えた側も無粋なやっちゃと切り捨てられずに済むという、洗練された社交術でもある。

では、ここで復習しましょう。

A:(いやらしく)「アレがナニでコレもんでんがな!」
B:「いや、それはちょっと...」
A:「おキライですか?」
B:(しょうがなく)「いいえ、おスキです」

Good!
 


Wednesday, July 03, 2013

あたし、実は・・・なんです

先日、近所のスーパーでやっすい輸入肉を買ってきて、炭焼きにした。
やっぱ、おいしいです、ステーキ。
脂っこくなった口中をビール(まろはコーラ)で洗って、次の一片にかぶりつくときとか、皿に残った肉汁に、炊き立てのご飯を絡めて、わしわしと掻きこむときとか。
我ながら意地汚いのですが、皿に屈みこむようにして、あっという間に平らげました。

そのとき、ふと思いつきました。
この食べ方には、ロールモデルがある。。。


まだ小学生だったと思うのですが、一冊のH本を手に入れ、目を皿のようにして読んでいたことがあります。
宇能鴻一郎大先生の御著書。

本当は、ビニールに包まれた怪しい雑誌の類が欲しかったのですが、さすがに近所の本屋でエロ本コーナーに近寄る勇気は無く、小説本の棚にあったその本を、すまし顔で、その実、全身の血が逆流するような思いで買いました。

古い鞄に隠したその本を、こっそり取り出しては何度も何度も読んだ。
それなのに、今も覚えているのは「あたし、実は、好色なんです」みたいな文体くらいで、題名もストーリーもHシーンも完全に忘れてしまっている(本当に!)。
頭がオーバーヒートして、記憶が飛んでしまったのかもしれない。
そんな中、ただ一つ覚えてるのが、若夫婦がステーキを食べるシーン。

ある章の冒頭、仕事帰りの旦那が団地に帰ってきて、いよいよムチムチプリンの新妻といたされるわけですね、と期待してると、おもむろに分厚い牛肉を焼きだしたりするわけです、これが。
コラーッ、食事くらい外ですませてこんかい!とヤキモキする読者を尻目に、肉の焼き加減がどうの、塩の種類がこうの、残った脂がやあのと、グルメ系うんちく話が延々と続く。
結局、ビールを飲んだ新妻が、美味しさのあまり目尻に涙を浮かべたところで、その章は終わってしまう。

そんなところ、小学生には退屈だったと思うのですが、今でもかなり覚えています。
「おいしいステーキの物語」が、どこか心の琴線に触れたのでしょう。

結局、そのとき頭の中に構築した幻想の味を、何十年たった今も反芻していたわけです。
「人は物語の中でしか生きられない」という言葉を身に染みて納得した瞬間でした。