Sunday, October 28, 2012

ズッキーニの逆襲

主の性格そのままに、毎年、収穫があるかどうか予断を許さないファームの畑作物だが、今年はまずまず順調に育ってくれた。少しずつ梳きこんできた馬糞堆肥が効いたのか、ようやく土がふわふわの良い感じになってきた。それでも、近隣の見事な畑を見慣れていると、まだまだ荒んだ開墾地だけど。

畑を眺めながら、夏野菜の出来栄えを振り返ってみる。
よくできておいしかったのがトマト、ピーマンは最初は小っちゃかったけど、ここにきて盛り返してるな、いつもながらししとうはお見事、お世話になりました。ナスもまぁまぁだし、今年はみんな頑張ったじゃん。じぇんじぇんダメだったのは枝豆くらいかな。それに、あの、、うっ

い、いや待った、深く考えるな、、、

意識するなって、今、すぅっと出てくるから。

そうそう、あれよあれ、ほら、軽くす~っとね、、、ほれ、、ああ、あかん、悩むなって!

...ま く ぐぁ い あ ...

だぁぁぁぁぁ~!

ほらぁ、来ちゃったよ、マクガイア。

違う違う、何て言ったかなぁ~、え~と。

、、マクガイア、、マクガイア、、マクガイア、、(←ヘビーローテーション)

うるさい! 立ち去れ、マクガイア!

そもそも誰なんだよ、まくがいやって。

野菜だってば野菜。

ほれ、春の陽だまりに、心軽やかに、ホップ、ステップ・・・

...き う くぁ ん ば ...

だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~!


それにしても、何で名前出てこないんだろう?
「ズから始まる」を頭に叩き込んでおこう。 
 

Monday, October 22, 2012

不良と優等生

けひけひ小僧改めもっちが生まれてから4ヶ月が経とうとしている。
まだ手足胴がひょろ長くて弱々しいけど、それなりに育ちつつある。

今、窓に張りついて外の犬たちを熱心に監視している。
どうやら、それを仕事にしたようだ。
犬が動くたびにバタバタと左右に駆け回る。最近はヌキアシサシアシ的に脚を動かし、下から睨み上げるチンピラスタイルが板についてきた。
4ヶ月児のチンピラというのが笑える。

この時期、子犬はツボにはまると興奮する。
ケツを上げた遊ぼうポーズでがるるるると唸ったり、左右に飛び跳ねたり、カーテンにむしゃぶりついたり。
エイとかヤーッとか叫びながら手足を振り回しながら、何かのヒーローに憑依して「俺はものすごく強い」という万能感に包まれて高揚しているガキのようだ。
すぐ泣くくせに。。。

実はうちにもう一人不良がいる。
ずるずると片足を引きずりながら、部屋の中を徘徊してるHiroだ。
「マルサの女」に出てくる山崎努扮するラブホのオーナーみたいで、感じ悪い。
(別にケガとかじゃなく、室内履きのスリッパをもっちにボロボロにされたのだけれど)

この不良組にくらべると、その他の3名(まろ、さん、もなか)は姿勢正しく静かにしている。
ぼくたち、ゆうとーせーだからネ。

Monday, October 15, 2012

人生を楽しむ犬

前の記事で引用した「愛犬物語」の中の文章-「刈り入れの時・・・彼らはいったい、何をしているのだろうか?」は、「犬は労働をしているのではなく、彼らの人生を楽しんでいるのではなかろうか?」と締めくくられる。

このくだりは特に記憶に残る。
だから、この本を読んだ翌年、思い切って訪ねた西ヨークシャの農場主さんの口から「うちの犬たちは自分の人生を楽しんでいるの」と同じセリフを聞いたとき、それが違和感なく腑に落ちてきた。

西欧人である彼らが、彼らの価値観に従って「人生を楽しむ」と表現するとき、そこには「"自立したオトナ"が、"自らの意志で"仕事や趣味に打ち込む」というニュアンスが含まれる(ホンマか?)。
ただ単に飼い主と遊んだり、あるいは指示に従って仕事するだけでは、たとえそれがどんなに楽しそうに見えたとしても、"人生を" 楽しむとは言わないと思う。

何より、生まれた時からボーダーコリーに囲まれて暮らしてきたという農場主さんの言葉には、有無を言わせぬ力があり、英会話の不自由な自分にも、そこだけははっきりとわかった(気がした)。
件の文言に「これだけはわかって欲しかった」と念を押したあと、彼女はふと口をつぐんだ。おそらく最後にこう言いたかったんじゃないだろうか?
「それがボーダーコリーだから」

彼女は生活環境の変化や競技化したトライアルなど、シープドッグをとりまく状況を大変憂いていて、センターやレスキュー活動、講演や出版などあらゆる機会を捉えて、あるべき本来の姿を伝えようとしていた。
当時も多忙を極めていたが、それでも、いきなり訪ねてきた風変わりな一家を、こちらが訝しく思うほど歓待してくれた。

なぜかと言えば、それはもちろん彼女の人柄に因るところ大だろう。
しかし今にして振り返れば、会って最初に訪問の理由を訪ねられたとき、羊追いやトレーニングのことはおくびにも出さず、「犬たちが普段どんなふうに農場で暮らしているのか知りたかった」と答えたことが、一番の理由だったように思える(実際それは本心だったのだが)。
彼女には、それが何よりうれしかったんじゃないかと。

Sunday, October 14, 2012

自動的に反応する機械

さんともっちがいつものようにじゃれあって、、、といっても、一方的にもっちがさんの首筋に喰らいついてるのだが、今日はどうもさんの様子がおかしい。

なんとなく中腰になったかと思うと、そのうちヘコヘコと腰を動かし始めている。

今、ファームの女子組2頭がヒートに突入してるので、その匂いが部屋の中まで漂ってるのだろう。

その情けな~い恰好を見ていると、オスというのは本当に悲しい存在だなぁと、しんみりせずにはおれませんでした。
 

Saturday, October 13, 2012

ドクター・ヘリオットの

「愛犬物語」を友人に薦められて読んだのは、十数年も前の、ボーダーコリーを飼いはじめてまだほんの間もない頃。

獣医だった作者の体験をベースに仕立てられた物語はどれも、上品なお菓子のように口当たりが軽く味わい深い。40あまりのショートストーリを、あっという間に読了した。

ヨークシャ地方が舞台だけあって、農場で暮らすボーダーコリーの話もいくつか出てくる。その部分だけは何度も読み返した。
いや、正確にはボーダーコリーとは書かれていなくて、せいぜい「シープドッグ」、あるいは単に「牧場の犬」として紹介されているだけだ。そのぶっきらぼうな呼称や描写からは、農夫と犬たちに向ける深い好意とリスペクトが伝わってくる。

「牧場の犬たちは幸福な日々を送っている。散歩をねだる必要がないし、一日中外におれるし、しかも飼い主と一緒に仕事ができるのである。」
「刈り入れの時、馬車の上にふらふらしながら立っている犬がいる。麦刈りの季節、乾した束のまわりでネズミを追っている犬がいる。牧草地を歩き回っていたり。牧舎のまわりを嗅ぎまわっている犬がいる。彼らはいったい、何をしているのだろうか? 」
「私は牧場を訪ねると、まず犬を探すことにしている。犬がいれば、その近くに主人がいるからである。」
「ジョックに似た犬は、ヨークシャにはゴマンといる。みんな物陰に隠れて、私が車を出すのを楽しみにしている。」
「親愛なるティップ。北ヨークシャの高地でいきいきと活躍する数千の犬の代表選手。」
「安楽とか贅沢とかバランスのとれた食事なんか、意にとめたこともない。トウモロコシのかゆとミルクだけで生き、しかし生涯健康で過ごす。」
「私は、自分の犬たちが幸福であってくれといろいろ工夫するが、しかし牧場の犬の方がずっとずっと幸せである。」
「この犬たちは従順で、おとなしいのである.」


ストーリもさることながら、これらの断片的な文章にヤられてしまった。
農場のことを何も知らないのに、何だかやるせないような、いたたまれないような気持ちになった。
犬の暮らしをこんな風に描写するヘリオット先生の眼差しに共感した。

ごく普通のマンション暮らしだった自分たちが、田舎で動物にまみれて暮らすようになるまでには、いろんな理由と沢山の出会い、それにちょっぴりの偶然が関わっているが、今にして思えば、この本にも責任の一端はある。

で、今の暮らしで物語の世界に近づけたかと言えば、そんなことはない。
たとえ田舎であっても、今の日本で犬を飼うことの制約は大きい。
せめて敷地の中だけでもぶらぶらさせておけたらなぁ、、、と切に思っている。

Friday, October 12, 2012

予想外です

異臭がするので風呂場の脱衣所を覗くと、立派な一本グソが落ちている。
ラティスで囲った子犬エリアから出してやったばかりのもっちの仕業だ。

粛々と始末すべく居間に置いてある(!)トイレットペーパーを取りにいくと、その子犬エリアが破滅的な状況になっている。
しょうがないこっちを先に片付けるか、、、と嘆息しつつ作業していると、当のご本人が脱衣所の方からうれしそうに駆けてくる。

あかん、やられたっ!!

彼女には、自分のウンチをこねくり回して遊ぶ悪癖がある。
そうはさせじと、いつもは真っ先に片付けるのに。

惨状を覚悟して脱衣所に駆けつけると、、、なんと、、、うんこが2本になってました。

どんだけ出るねん!?